第17話:炎をあやつる者①

***


 最奥の森にデキアとやってきたセリは、目の前の状況に呆然とした。


「デキアは知っていたんですか?」


 いいえ、とデキアは頭をふる。


「私は樹が枯れたという報告しか受けておりませんので……」


 森の中にいるのは怒ったエリル数人と、両手両足を縛られているソルニャの姿だった。


「一体どういうことですか?」


 セリはすぐさまソルニャに駆け寄った。こんな状況で考えられることは一つだが、ソルニャがそんなことをするとは信じられなかった。


「ソルニャがドラゴンと通じていたのです」


 エリルの族長ブラインがソルニャに向ける眼差しは軽蔑に満ちている。


 デキアはエリルの樹を見て「まさにドラゴンの仕業ですね」とセリに告げてきた。


「妖精界で炎を扱える者はおりません。炎を扱うのはドラゴンだけです」


 エリルの樹があったらしき場所には燃えた樹の残骸が虚しく残るのみだ。


「ソルニャ、どうして……」


 言うと、ソルニャはキラキラとした無邪気な目をしてセリを見上げてきた。誰もが怒りに満ちた状況にそぐわないその表情に、セリは不安を覚える。


「セリに私を必ず選んでほしかったから」


「選ばないよ、絶対」


 友達だもの、とセリが言うと、ソルニャは嬉しそうに微笑む。


「でももう私を選ぶしかないよね」


 なぜそんな悲しいことを言うんだろう。一緒にいて楽しかったのに。ソルニャは楽しくなかったとでもいうのだろうか。セリの目に涙が浮かぶ。そんなセリを見て、ソルニャは幸せそうにピンク色の目を細めた。


「私のことで悲しむセリがもっと見たい」


 ごめんね、とソルニャはつぶやいた。


「こんなこと、私もしたくないのに……でも、自分が止められない」


 ソルニャはそんな風に、セリには理解できないことを言う。


 そして、食い入るようにセリを見つめるのをやめなかった。


 とうとうセリの目から涙がこぼれ落ちる。


 視線を感じてまわりを見ると、デキアをはじめ他の妖精たちもセリを観察するような、無機質な眼差しを向けていた。


 ソルニャのために涙を流す自分を見る彼らの目に、羨望が浮かんでいるのを見て、セリは戦慄を覚えた。


 ――彼らも自分のために誰かが悲しむのを見たい。そう思っているように見えたから。




***


 ソルニャにはふさわしい処罰を考えるとエリルの族長に告げ、セリはソルニャを解放するように告げた。デキアにとりあえず城にソルニャを連れていってもらい、セリはひとり、湖に戻ってきた。


「どうしてエリルの樹を燃やしたの」


 湖には少年の姿をしたドラゴンに憑依した、初代妖精王がいた。


 セリはその姿を見るや否や、駆け寄って問い詰める。


 ドラゴンを召喚したのはソルニャであるらしい。だが被害を防ぐためにいつも初代妖精王の亡霊が憑依していたのなら、エリルの樹を燃やしたのは初代妖精王ということになる。


「私は憐れな子の頼みをきいただけだ。キミたちが来るまであの子を憐れんでやれるのは私だけだったから。先代の妖精王はソルニャを憐れんでいたが、彼女の犯した大きな罪を許すことができない為、彼女に触れることはなかった」


 初代妖精王の肩の上で灰色猫が『憐れみは哀しみを知らなければ生まれない』などと分かり切ったことをプラカードで説明してくる。


「だからあの子には、侵入してくるドラゴンしか話せる者がいなかった」


 それはつまり、憑依した初代妖精王ということだろうか。


「あの子は怒りを外に出すことができない。幼い頃からそれを出せば、殴られ、無視され、顧みる者がいなかったせいだ。決して怒りを感じていないわけじゃない。ただ周囲の環境のせいで、あの子は無意識のうちにそうすることを自分に禁じてしまった」


 セリはソルニャがどうやって生きてきたかを考えて、涙をこぼした。そんな環境で、そして怒りを覚えやすい妖精の肉体で生きていくのは、どれほどの地獄だろうか。数時間の妖精体験でもセリには耐え難い苦痛だったのに。


「それでどうする? 私はあの憐れな子の望みをすべてかなえてやりたい」


「……ソルニャを生命の樹にしろということ?」


 苦しい環境でけなげに生きている者に、どうしてそんなことを言うのか。怒りと悲しみで声が震えてしまう。


「憐れだと同情するなら、死なせる方法じゃなくて生かす方法を考えるべきじゃないの?」


「なぜ?」


「え?」


「あの子が望んでいないことを叶えようとするのは何故かときいてる」


 真剣な声。でも目を見ると、やはり意地の悪そうな光が浮かんでいる。


「誰でも生きたいと望むじゃないですか」


「誰でも? あまねく生物すべてが? 人間もすべてがそう思っているのか?」


 そうではない。そうではないけれど……どう返していいかわからずセリは困惑する。


「死にたいから、死なせる。そんなのおかしいにきまってる」


「それはキミの価値観だろう? もしくは多くの人間の」


 彼はそう言うと、「あの子は本当にかわいそうな子だ」と、淡々とした口調でつづけた。


「この妖精界は、中から手引きすれば、いくらでも異物は侵入できる。どうしてあの子が、ソルニャがドラゴンの召喚を繰り返したと思う? 私と話すことを目的としていたかもしれない。だが……」


 初代妖精王はそれだけではない、と暗に告げる。


「あの子は表に出せないだけで、怒りに満ちていた。妖精たちの非情さへの怒り。自分を生んで死んだ両親への怒り。そしてそれでも生きている自分への怒り。そして周囲すべての環境への妬み。妖精が哀しみじゃなくて怒りで死ぬのであれば、百回死んでも足りないくらいにあの子は怒りに満ちている。ドラゴン召喚はあの子にとって怒りの表出の代替行為でもあった」


 怒りとソルニャがまったく結びつかない。彼の言うソルニャとセリの知っているソルニャは同じ妖精なのだろうかとさえ思えてくる。


「いや、怒りというよりは憎悪というべきか。純度の高い怒りと憎しみに、とにかくあの子は疲れ切っている。……キミも今ならその気持ちがわかると思ったんだが」


 どうして分からないのかと、初代妖精王はどこか責めるような眼差しを向けてくる。


「キミが悲しむのを見て、あの子ははじめて『愛』を感じたらしい。ドラゴンに憑依した私があの子に向ける憐れみにも似た愛とは違う『愛』だと。自分だけに向けられる、特別な『愛』がこんなにも嬉しいものなのかと言っていたが」


 彼はじっとセリを見つめてくる。そして頬をつたうセリの涙をそっと指先ですくった。


『伴侶は勘違いしています。生命の樹は人間の価値観で言う死ではないですよん』


 プラカード猫がそんな言葉を掲げてきた。初代妖精王が普通に話しているせいで役目がないと思ったのか、先ほどから猫は会話の補足しようとしているようだ。どこまで働き者なのか、とセリは妙なところで関心してしまう。


「生命の樹はそのままの人格として生きていける。ただ妖精の肉体として他の妖精たちと会話をしたり、触れ合ったりできないだけだ」


「なおさら地獄じゃない?」


「むしろどの妖精たちにとっても福音だろう。……特にソルニャには」


 どういう意味なのか。セリはまったく納得できない。


「人格はそのままだが、怒りや悲しみはそこに存在しない。妖精たちよりもさらに高次の存在になるんだ。そこには『愛』しかない。むしろ妖精や妖精界たちを見守ることに喜びを感じるだろう」


 言っていることが矛盾しているような気がして、セリは眉をひそめた。


「でもソルニャが妖精たちを愛していると思うの?」


「キミとキミのいる妖精界を愛し、見守ることに喜びを感じるだろう。……そして本来、生命の樹は『愛』を知っている者こそが適任なんだ。樹としての寿命という点では」


 そう言われ、セリはヒューバートが「最近樹の寿命が短くなってきている気がする」と言っていたことを思い出す。

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