第16話:眠れる湖の妖精王

***


 城に戻ると、アルトは二人の寝室で倒れていた。いや眠っているというべきか。


 何故か手には『仔キリンりんりん』のマスコットが握られている。そのマスコットを見て、セリはプロポーズをした日のことを思い出した。たった数日しか経っていないのに、まるで遠い出来事のようだ。


 セリはデキアと協力してアルトをベッドに寝かせた。


「ゼノアルト様がこうなったのは、器が壊れそうなせいかもしれません」


「妖精王の体と器が何らかの形で関係しているからですね。ある方からききました。あなたたちの感情と湖の関係も」


 湖から水があふれそうな現状。それがおそらく今、アルトの心に負担がかかって、アルトは眠っているのだろう。


「もうここからは私が何とかするしかないですね」


 セリが言うと、デキアは弱々しい笑みを浮かべた。


「セリ様は強靭な心をお持ちですね」


「強い弱い関係なく、緊急事態ですから。とりあえず何とかしないと」


「そう思えることが強いんですよ」


 デキアはそう言うと、とりあえず整理しましょうか、と言って人差し指をピンとたてた。


「まず、ゼノアルト様についてですが、神の樹に次代の妖精王としてデブルの卵が実っていないので、ゼノアルト様が滅することはないと考えてよいでしょう」


 でもセリを愛する気持ちを失ってしまうかもしれない。そうなってしまったら、アルトは生きていても、セリは死んだようなものだ。


「急ぎの案件は、まず次代のマクスウェルの生命の樹を選ぶことです。ゼノアルト様が目覚めない限り器の交代は不可能ですが、眠りと水量が関係しているとなると、すぐに解決策は思いつきませんし。とりあえずこれ以上の悲しみを生まないために、先に解決できることを考えましょう」


「器が壊れて、水があふれると、悲しみがすべて妖精たちに戻るんですよね?」


 セリの言葉に、デキアは何を想像したのか、ぶるりと身をふるわせた。


「一度に悲しみが戻れば、きっと我々はそれに耐えきれず死んでしまうでしょう」


 妖精絶滅の危機ということだろうか。いや本当に、生命の樹といい、ここの妖精たちは命の危機が多すぎやしないだろうか。そもそも悲しすぎて死ぬとか、気持ちはわからないでもないが、そういう設定は勘弁してほしい。初代&二代目妖精王への恨みは深まるばかりだ。


「でもそうだとすると、そうなる可能性があるのに、エリルが自分の樹を枯らせたりするんでしょうか?」


「樹が枯れても、その樹であった妖精を知る者たちは悲しむでしょうが、それだけですからね。エリルもマクスウェル同様、次代の樹はソルニャであると思っているでしょうし。……そもそも我々自身、その出来事に対してどれだけ悲しみが募るかは自覚できませんから」


 デキアの言葉にセリは何も言えなくなる。おそらく今いる妖精たちは生まれながらに悲しみを感じたことのない者たちだろう。


 セリも経験して感じたことだが、悲しみをともなわない不安は、不安すべてが怒りに直結するせいなのか、とにかく大きな怒りになりやすい。そして怒りはすべてを見失わせるほどのパワーを持っていることも、セリは身をもって体験した。


 妖精たちが短絡的で利己的なところがあるのも、もしかするとそのせいなのかもしれない。


「アルトが目覚めて、大きい器を作ることができれば、エリルとマクスウェルの生命の樹選定も、いっそのことくじ引きにして解決できるのに」


 セリがつぶやくと、デキアは「どうでしょう」と不安げな声をだした。


「器が何でできているのか我々には分かりませんが、妖精王様が滅すればすぐに次の妖精王様がさらに大きな器をつくって、湖を安定させていたらしいです。ですが、ゼノアルト様はまだ器を交代させていませんよね。……他の妖精たちは何も考えていないようですが、私はこれがとてもおかしなことだと思います」


 デキアの言うとおり、アルトは器を作れなかった。いや作れるのかもしれないが、愛の大きさに比例するため、前妖精王の器よりも大きな器を作れなかったのかもしれない。それで苦悩していたことをセリは知っている。


「妖精王の交代って、普通はどんな感じなんですか?」


 たずねると、デキアは「うーん」といいながら、視線を上に向ける。


「まず神の樹にデブルの卵体が実ります。妖精王様はそれに触れてみずからの死期を知るといいます。幅はありますが、卵体が実ってから、だいたい五年から長くて三十年くらい後に妖精王様たちは滅するらしいです。卵体が孵化してから妖精王様が滅するまでは、そのデブルは次代の妖精王として、妖精王様とともに過ごされます。この期間をゼノアルト様は人間界でお過ごしになることになりましたが。本来であれば、孵化と同時に妖精王の記憶を継承した後、妖精王になるまでの二十数年は妖精界で暮らしていたはずなんでけどね」


 だからなおさら妖精たちに愛を感じられないのかもしれないとセリは考えた。

 記憶を引き継いでも感情を引き継ぐわけではないともいっていたし。


 やはり器の問題はアルトが自分でどうにかしなければならない問題だ。だが。


「とりあえず、エリルの樹を見にいきます」


 マクスウェルの次代の樹を選ぶことが先決だとデキアは言うが、セリにはまだ決められない。とりあえずエリルの樹を枯らせた者がエリルの者ならば、その者をエリルの次代の樹に選定するつもりだった。セリの中では合理的な判断だと思うし、誰が反対しても変えるつもりはない。


 しかし、アルトが目覚めて、器の交代が終わっているという前提ではある。


 絶体絶命に近い状況ではあるが、セリは一つだけ希望を持っていた。


 もしかすると、アルトが目覚めてさえくれれば、器の問題は解決できるかもしれないと。


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