第3話 わがまま花火

 自他ともに認める人見知りであるユイにとって、小学校一年生の時のそれは歴史的快挙といってもいい出来事だった。

 発端は、飼っていた子猫のリリが逃げ出したことだ。

 必死に探し回って、見つけたのだが、捕まえられず逃げられるを繰り返した。

 どうしようと考えて、考えて、考えて、出た結論は、猫を捕まえられるくらい運動が得意な人に手伝ってもらう、というものだった。

 クラスで一番背が低くて、一番走るのがはやい。

 ヒナミちゃんはそんな子だった。

 別に仲が悪いわけではなかったけど、挨拶以上の会話をしたこともない。

 ちょっと気が強そうで、髪も短めで、時々先生に怒られるようなこともする。そんなヒナミちゃんが正直恐かった。

 前日の夜から繰り返し、繰り返し、頭でシミュレーションして、そして、教室で声をかけた。

「あ、あの、高浜さん」

「ん? なに?」

「あ、あの。ちょっとお願いが……」

 ヒナミちゃんは二つ返事でリリを探すのを手伝ってくれることになった。

 それがきっかけで、ユイはヒナミちゃんと仲良くなった。

 ユイの家は学校から路面電車に乗って五個先の電停で降りたところ。

 一方でヒナミちゃんの家は、学校から路面電車に乗って、大きな駅で普通の電車に乗り換えて終点近くまで行かなければいけない。

 一人で間違えずに乗り換えが出来るヒナミちゃんが凄い人に見えた。


 二年生も同じクラスになった。

「二人組つくってー」と言われればユイとヒナミちゃんは必ず一緒になった。

 三年生では別々のクラスになったけど、毎日のように行き来していた。

 四年生でもう一度同じクラスになった。

 今年は楽しい一年になるなって思った。


 だけど、一学期の終盤。ヒナミちゃんは事故に遭った。


 車にはねられそうになった女の子を庇ったらしい。

 ヒナミちゃんは、色々な機械に繋がれ、病院のベットに横たわっていた。

 呼びかけても、頬を撫でても、反応しない。

 生きている。間違いなく生きている。だけど、二度と目が覚めないかもしれないと聞かされた。

 何とかしたいけど、何もできない。

 よい結末を祈るだけの日々が続いた。


 二年後。ユイが六年生になったとき。

 目を覚ましたヒナミちゃんは、足がほとんど動かなくなっていた。治ることはないらしい。

 雨の日。

 杖をつきながら、また脱走した飼い猫のリリを捕まえてきてくれた。

 長く伸びた髪を濡らしながら、二年前と何も変わらず微笑みかけてくれた。

 嬉しかった。

 また、ヒナミちゃんがいてくれる毎日がはじまる。それが嬉しくてたまらなかった。

 だけど、違った。

 ヒナミちゃんは歩いて通える学校に転校することになった。十一歳だけど、もう一度四年生のクラスに編入するらしい。

 学校も学年も変わってしまい、ユイとヒナミちゃんを繋いでいた見えない糸が切れてしまうようなきがして、繋ぎとめようと必死になった。

 たまに電話で話して、時々会った。

 そして一年がたった。

 ユイは中学生になったけど、ヒナミちゃんは小学五年生。

 科目ごとに担当の先生が変わる話。

 部活は科学技術部に入り、ロボットを作っていること。

 電話で色々話すけど、今一つ話が通じていない気がする。

 ずっと横並びで歩いていると思っていたのに、本当は段々と離れていっているのだ。

 それでも、という一心で夏休み。ユイはヒナミちゃんを花火大会に誘った。

 だけど、だけど、断られた。

「人ごみの中だと、ね」

 ヒナミちゃんははっきり言わなかった。だけど、わかってしまった。

 杖を使いながらゆっくりとしか歩けないヒナミちゃん。人ごみでもまれると、怪我をしてしまうかもしれないから、行きたくない。

 そういうことだ。

 ヒナミちゃんの友達のつもりで、ヒナミちゃんの事情を考えられなかった。ユイは自分への嫌悪感でいっぱいになった。

 繋がっていた糸はもう切れる直前なのだという気がした。

 結局、花火大会は悪天候で中止になった。


 数日後。

 ヒナミちゃんから電話があった。久しぶりに家に泊まりに来ないかというお誘いだった。

 タイミングからして、花火大会を断った埋め合わせということだろう。

 貸しだの借りだの、そういったもので繋がる関係を望んでいたわけじゃないんだけど。

 それでも、切れそうな糸を繋ぎ止めたくて、ユイは行くと返事をした。

 昼間は用事があるから、夜に来て欲しいとのことだった。

 本当は午前中から遊べる日に誘ってほしかった。と、思ってしまう自分のわがままさとか、独占欲とか、嫌になる。


 誘われた日の夕方。

『松山市、松山市です』

 路面電車はブレーキを軋ませながら停まる。

 電車の扉の横にある機械にカードをピッとやって、降りる。

 ここで普通の電車に乗り換えて、ヒナミちゃんの家へむかうのだ。

 ユイが歩き出そうとしたそのとき。

「ユイ―!」

 手を振りながら名前を呼ぶ人がいた。

 ベンチに座る小柄な少女。ヒナミちゃんだった。

 ヒナミちゃんは杖を支えにしながらゆっくり立ち上がる。フラフラで見ていて不安になる動きだ。

 ユイは慌てて駆け寄る。

「ヒナミちゃん、大丈夫?」

 しかし、ユイが手を貸す前にヒナミちゃんは一人で立ち上がった。

「ありがと。大丈夫」

 ヒナミちゃんはそういって笑った。

 ああ。私の出番はないんだな。ユイはそんな風に考えてしまった。

「ヒナミちゃん、どうしたの?」

 ユイが尋ねるとヒナミちゃんは笑顔を浮かべた。

「ユイ、乗り換えが不安だって言ってたでしょ? だから迎えに来た」

 確かに、ユイはそう言ったことがあった。だけどそれは一年生の頃の話だ。数回ヒナミちゃんの家に行ったら、それからは不安を感じなくなった。

「それ、一年生の頃ことじゃん」

 ユイはヒナミから目をそらしながら言った。


 カタン

  コトン

カタン

  コトン


 電車は軽快な足取りで線路の上を走る。

 駅に停まる度に乗客は減っていき、オレンジ色だった車窓が暗くなり家々の明りが浮かぶ頃には、ユイとヒナミちゃんの二人っきりになっていた。

「ユイ、中学校楽しい?」

「うん」

 ヒナミちゃんは話しかけてくれるが、会話が続かない。

 昔はどんな距離感で、話題で、話していたんだっけ? 思い出せない。

 電車が緩いカーブを曲がると、窓の外に見えていた建物の明りか消え、真っ暗になった。

 海辺に出たのだ。ヒナミちゃんの家はもうすぐだ。

「ねえ、ユイ……」

 ヒナミちゃんが何かを言いかけたそのときだ。

 突然、電車は急ブレーキで止まる。それと同時に車内の蛍光灯が消え、真っ暗になった。

「なんだろうね」

 ヒナミちゃんの声。暗くて表情は見えないけど、不思議そうな表情をしているはずだ。

 車掌さんのちょっと焦ったようなアナウンスが入る。

『只今、車両故障が発生いたしました。点検を行っております。恐れ入りますが運転再開までしばらくお待ちください』

 それからしばらくして、車窓さんが懐中電灯を手にやってきた。

「ごめんね。ちょっとだけ待っててね」

 車掌さんはそういうと、車両の窓を何か所か開けていった。冷房も止まってしまっているらしい。

「大丈夫だから、ちょっとだけ待っててね」

 車掌さんはそう言うと、別の車両に移動していった。

 ユイが手をちょっとだけ動かすと、ヒナミちゃんの手に触れた。

「大丈夫だよ。私が付いてるから」

 ヒナミちゃんが、優しい声で言った。

「べ、別に恐がってない」

 ユイは慌てて言い返す。すると、ヒナミちゃんはフフッと笑った。

「ユイ、何かあった?」

 ヒナミちゃんはそっと、尋ねる。

「別に……なにも」

 目が暗さに慣れてきた。

 ヒナミちゃんの顔はすぐ近くにあった。近づけてきていた。

「多分、ユイが思う以上に私、ユイのことわかるよ。今日のユイ、何かおかしいよ。どうしたの?」

 ヒナミちゃんの声。優しい。何を言っても「そっか」って受け入れてくれてくれそうって思っちゃう。

「……ずるいよ」

 そんな言葉が出てきたことに、発したユイ自身が驚いた。

「ずるいよ。私、ヒナミちゃんがどんどん遠くに行っちゃって、離れ離れになって、それが嫌なで、ずっと悩んでるのに、ヒナミちゃんは昔と変わらなくて、ずるいよ」

 ユイだって、めちゃくちゃなことを言っている自覚はある。でも、感情が触れ出て止まらなかった。

「そんな風に、思ってたんだ。ねえ、ユイ。膝枕したげる」

「へ?」

「ほら、はやく。暗くなってる今のうちだよ」

 ヒナミちゃんはポンポンと自分の膝を叩いた。

「……じゃあ」

 ユイは座席の上に寝そべると、ヒナミちゃんの膝に頭をのせた。ヒナミちゃんの脚、細いな。

「ユイは、私が離れちゃうって思ってたんだ」

 ヒナミちゃんが尋ねる。ユイは膝の上でうなずいた。

「だって、前みたいに毎日会えるわけじゃないし、私は中学生になっちゃったのに、ヒナミちゃんは小学生のままだし、前の花火大会だって、ちょっと考えたらヒナミちゃんは来られないってわかったはずなのに、私、誘っちゃったし」

 ヒナミちゃんはそっとユイの髪を撫でる。

「私たちが同じ教室にいたころ、とってもせまい世界にいたんだと思う。せまいから、私たちはとっても近い距離でいられた。でも、私はその世界を飛び出しちゃった」

 ヒナミちゃんの声を聞きながら、ユイは目を閉じる。ヒナミちゃんと二人ですごした教室の景色が、次々と浮かんでくる。

 忘れ物があれば貸し借りして、難しい宿題は教え合い、授業中にこっそり手紙を送り合った。

 ヒナミちゃんの話しは続く。

「私はユイから離れて、色々なものに出会った。ユイの知らない私の友達もいっぱいできた。だけどね、嫌なことも辛いこともいっぱいある。疲れちゃうときもある。そんなときね、ユイの顔が見たくなるんだ。声が聞きたくなるんだ」

 ヒナミちゃんは大きく息を吸った。

「ユイは、私の帰る場所。この先、どれほど離れても、私は時々、ユイのところに帰ってくるから、待っててくれないかな?」

 ユイは、ヒナミちゃんの膝に頬を擦り付けた。

「わがままだよ。ヒナミちゃん」

「うん。わがままだね。でも、こんな私を許してくれないかな?」

「やっぱり、ヒナミちゃんはずるいよ。悩んでた私が、バカみたい」

 ユイはそう言ってから、続ける。

「楽しいことがあったら、辛いことがあったら、いつでも言ってね。私はいつでもヒナミちゃんの味方だし、ヒナミちゃんの話しなら何でも信じるから」

 耳元でささやくように「ありがと。ユイ」という声が聞こえた。


 ヒュー

    ドン


 突然、花火の音が聞こえた。

「ユイ、見て」

 ヒナミちゃんに言われ、ユイは体を起こす。

 真っ暗な車窓の先、海の上から打ち上げ花火が上がっていた。

「花火……なんで」

 花火は次から次へと打ち上げられ、瀬戸内の穏やかな波を照らし出す。

 それを見ながら、ヒナミちゃんがつぶやく。

「そっか。この前の花火大会、中止になったから、その分をサプライズで上げてるんだ」

 花火はハイペースで次々と打ち上げられ、ユイとヒナミはその光を見ていた。

「見られたね。花火」

 ユイが言うと、ヒナミちゃんもうなずいた。

 一通り花火が上がり終わった頃、電車の明りがついた。

『大変長らくお待たせいたしました。応急処置が完了しましたので、これより運転再開します』

 車掌さんのアナウンスが入り、電車は走り出した。

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