第2話 秘密基地と妖精さん
愛媛県、松山市にある高浜港を出たフェリーは、ほんの十分ほどで瀬戸内海に浮かぶ
船はほとんどショックなく接岸する。
下船する人の中で、特にゆっくりとした足取り。それにあわせて動かす両手の杖の先が甲板を叩き、コツコツと音をたてる。
ヒナミは大きく息を吸う。
夏の日差しと、潮の香りがした。
話は遡り、一週間と数日前。
夏休みは間近だけど、通知簿という絶望を味わうにはまだはやい、幸せな時間。
ヒナミと、それから友達のミホ、イチカちゃんは三人で海辺の道を歩いていた。いつもの帰り道だ。
三年前に交通事故に遭い、ヒナミは何か支えになるものがないと歩けなくなった。だから、上腕部に固定できる杖を両手に持って、ゆっくりと歩く。背中のランドセルがガチャガチャ音をたてた。
ミホもイチカちゃんも急ぐ用事がない限り、ヒナミに歩調を合わせてくれる。嬉しいことだ。
「ね、ね、ね。夏休みさ、みんなでバーベキューしない? ってお母さんが言ってるんだけど、どうかな?」
イチカちゃんがピョンピョン跳ねながら言うと、その赤毛についたヒマワリの髪飾りも揺れる。
「いいけど、イチカの家だと場所ないよね。どこか行くの?」
ミホが尋ねる。
「えっと、カキ島……じゃなくて、キク島……でもなくて……」
「
ヒナミが助け船を出すと、イチカちゃんは「そう、それ!」と言って笑った。
こうしてヒナミ、ミホ、イチカちゃん、イチカちゃんのお母さんの四人でフェアリーに乗り
「きたよ。妖精さん」
ミホは空を見上げ、静かにいった。
「妖精さんって何?」
ヒナミが尋ねるが、返事はなかった。
送迎の車に乗って、ヒナミ達はバーベキュー場までやってきた。
道具も、食材も全て準備済み。到着したら焼いて食べるだけ。
の、はずだった。
「申し訳ございません。実は手違いで準備にもうしばらくお時間を頂きたいのですが」
バーベキュー場のおにいさんは申し訳なさそうに頭を下げる。
「じゃあ、少し待ってようか。遊んでおいでよ」
イチカちゃんのお母さんが言った。
こうしてヒナミたちはワイワイしながら雑談歩き、気がつくと山のふもとだった。
「この島に来るのも、久しぶりだな」
おもむろにミホがいった。
「ミホちゃん、きたことあるの?」
そう尋ねたのはイチカちゃん。
「うん。私、一年生のときに広島から引っ越してきたんだけど、その頃はあんまり学校に馴染めなくてさ、お父さんが気分転換にって、よく連れてきてくれたんだ」
ヒナミは事故に遭う前は、別の学校に通っていた。だから当時のミホのことは知らない。
「ヒナミちゃんは?」
イチカの視線がヒナミにむく。
「うーん。四年くらい前に一回、林間学校できた気がする。あんまり覚えてないけど」
あれ? 林間学校のすぐ後、髪を凄く短くしなきゃいけなくなって、男の子みたいってからかわれた気がするんだけど、なんでだっけ?
まあ、いっか。
「ねえ、ヒナミ。秘密基地って知ってる?」
ミホが言った。
「秘密基地? どういうこと?」
ヒナミは首をかしげる。
「山の中に、廃墟があったんだ。まだ残ってるかなって、思ってさ。行ってみない?」
「なにそれ面白そう!」
すかさずイチカちゃんが食いつく。
舗装されていない山道を、三人は進む。
とはいっても、歩いているのは二人。
ヒナミはミホに背負ってもらい、ヒナミの杖はイチカが持っている。
あるきながらミホは話しはじめた。
さっき話した通り、私、学校に馴染めなくて、気分転換にってしょっちゅうこの島に連れてきてもらってたんだ。
んでね、山で一人で遊びまわってたんだけど、ある日、廃屋を見つけて、ここを秘密基地とする、っておもちゃとか、絵本とかを持ち込んで遊んでたわけ。
だけどある日、うっかり眠っちゃって、目が覚めたら真っ暗になってた。
急いでお父さんのところに戻ろうとしたんだけど、道がわからなくなっちゃって、その、情けないんだけど、泣いてた。
そしたら、妖精さんが助けてくれたんだ。
銀色の髪の女の子で、私より頭一つ分くらい小さかった。
「どうしたの?」って妖精さんが尋ねるから、「帰れなくなった」って言ったら「着いておいで」って。
それで、妖精さんはすごい速さで山道を走って、私はついていくだけで精一杯だったけど、銀色の髪が目立ってたから、なんとか追いかけていけた。
それで、その女の子を追いかけてるうちに、山から出られて、お父さんに会えた。
お父さんと、島の人たちは、とっても心配してくれてて、どこ行ってたんだって訊かれたから、山で迷子になって銀色の髪の女の子が助けてくれたってこたえた。
でも、女の子はいつの間にかいなくなってて、島には銀髪の子はいないって、言われたんだ。
だからきっと、あれは妖精さんだったんだと思ってる。
その後、島には連れてきてもらえなくなったから、結局妖精さんには、お礼も言えてないんだ。
ミホの話しが終わる頃、突然木々が開けて廃屋が現れた。古い民家のようだ。
「うわあ」
イチカちゃんが声をあげる。
「なんにもかわってないな」
ミホは背負っていたヒナミを降ろすと、中に入っていく。
ヒナミとイチカも少し遅れてついていく。
雨漏りしているのか、畳は湿り、腐っていた。
その上に、おもちゃや絵本らしきものが置かれているが、どれも風雨にさらされ、ほとんど原型を留めていない。
「持ってきていたおもちゃも、絵本も、全部、置いたまま帰って、その後、島に来なくなったから」
ミホは残骸を見ながらいった。
そのとき、ヒナミ視界の隅に何かが一瞬見えた。それは、銀色の髪の女の子のように見えた。
「へ?」
ヒナミは顔を動かしその姿を追うが、みつからない。
あれって……。
突然、誰かが服の裾を引っ張った。
見ると、ヒナミの横に銀色の髪をおかっぱにした女の子が立っていた。
五、六歳くらいだろうか。銀色の髪をおかっぱにしていて、瞳は青色。
女の子はヒナミに何かを差し出す。
「へ、何?」
片方の杖から手を放し、もう片方で体を支えながら受け取る。
それは、頭がとんがったサメのぬいぐるみだった。
図鑑で見たことがある。たしかミツクリザメだ。
少々色あせてはいるが、目立った汚れも、破れているところもない。
「これって……」
ヒナミは女の子がいた方を見る。そこには誰もいなかった。
「ヒナミちゃん、それなぁに?」
イチカちゃんはぬいぐるみを覗き込む。
「えっと……、そこに落ちてた」
ヒナミは出まかせを言っておいた。
「あー、それ!」
そのとき、ミホが声をあげる。
「それ、私が一番大事にしてたヤツ」
ミホが駆け寄ってきたので、ヒナミはぬいぐるみを渡した。
「ヒナミ、見つけてくれたの? ありがとう。すごい。綺麗なままだ!」
ミホはぬいぐるみをギュってして、匂いを嗅ぐ。
「誕生日にお母さんがくれたんだ」
三人で下山する。
往路と同じく、ヒナミはミホの背中。ヒナミの杖と、ミホのぬいぐるみはイチカが持っている。
「ずっとあのぬいぐるみを拾いにきたくて、でも、もう何年もたってるから、見つからないか、見つけてもボロボロで悲しい気持ちになるだけだと思ってた。でも、来てよかった」
ミホは落ち着いた口調で言った。
「そっか」
ヒナミは短く、それだけ返した。優しい口調で。
そういえば、今、思い出した。
かつて、ヒナミが林間学校でこの島にきたときのことだ。
夜、レクリエーションとして肝試しをすることになった。
クラスの半分が驚かす役で、残り半分がお化け役。ヒナミはお化け役になった。
肝試しといっても、当時まだ小学校低学年だし、狭い範囲で、お化けの配置場所も全て決まっていて、先生も小まめにお化け担当の居場所を巡回していた。
さらに、林間学校に出発する前に、お化けの配置と演出を書いた紙を、驚かされる側に見られてしまいもう恐がらせることが出来ないのは確定している状態だった。
そんな中、ヒナミはあることを考えていた。
当初の計画にない恐がらせ方をすること。
確か、その頃に吸血鬼の映画を見たんだったと思う。
映画では吸血鬼に噛まれた人ガンは吸血鬼になり、更に別の人を襲っていた。吸血鬼は髪が銀色になるという設定だった。
ヒナミは吸血鬼に噛まれちゃった、と言えばみんな恐がるんじゃないかと思い、こっそり銀色の絵の具を持ってきたのだった。
配置場所に就いたヒナミは、本来の計画にあるお化けの準備はせず、髪に絵の具をぬった。
そこに巡回の先生がやってきて、ヒナミの姿を見ると驚きの表情を浮かべる。
上手くいった。ヒナミがそう思ったのもつかの間。
「それ、乾くととれなくなるかもしれないよ」
先生のその一言を聞いた途端、今度はヒナミが驚く。
「すぐに洗っておいで」
ヒナミは急いで、水道のあるキャンプ場にむかった。
しばらく山道を進むと、ふと泣き声が聞こえた。
女の子の声だった。
誰かが道を外れたのかもしれない。そう思って草木をかき分け、声の方へむかうと、知らない女の子が泣いていた。
「どうしたの?」
ヒナミが声をかけると、
「ふぁえっふぇふぁくふぁっちゃふぁー」
女の子は何かを言った。泣きながらなので、何を言っているかわからなかった。
何度も声をかけて、やっと女の子が迷子だとわかったヒナミは、女の子をふもとまで送っていった。
そして、すぐにキャンプ場に戻って髪を洗わなきゃと思い、慌てて走り去ったのだった。
事故に遭う前のヒナミはとても足が速かった。
ヒナミにとっては、その後、絵の具がとれなくなったことの方が重要で、迷子のことは忘れていた。
ミホの背中に揺られながら、景色を見ていると林間学校でそんなこともあったなと、思い出した。
「ねえ、ミホ。妖精さんにお礼は言った?」
ヒナミは尋ねる。
「あ、そうだ。妖精さん。ありがとう」
「どういたしまして」
ミホが言うと、すかさずヒナミは返事をする。
「なんでヒナミが返事するんだよ」
「私が妖精さんみたいに可愛いから、かな」
「ヒナミ、置いていくよ」
「あ、ひっどーい」
二人のやり取りを見ていたイチカが笑い出す。
「二人とも、ホントに仲良しさんだね」
「イチカちゃんもね」
ヒナミはそう言って笑った。
バーベキュー場が見えてきた。
ちょうど準備ができたようで、イチカちゃんのお母さんが手を振っている。
「さ、美味しいバーベキューだね」
ミホが言う。
「オー」
ヒナミとイチカは声を合わせた。
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