九本桜 長い一日の終わり

「あーははは! 千本桜の入団戦も、随分と敷居が下がったもんだねぇ。いやぁ結構結構!」


 馴染みの酒場【ドラッカート】にて私達は小さな宴を開いていた。酒に弱いエヴァは、蜂蜜酒ミードで顔を真っ赤にしながら膝を叩いて笑う。


 牛若は私が小さく切り分けた肉を食べながら、時折眠そうに目を擦っている。


「それで? 獣人の子供は、どうなったのさ」


「捕まえた闇商人の元へ戻す訳にもいかず、国営の孤児院オーファニッジで引き取ってもらう手筈になった。だが、素直に従わないだろうな」


「千本桜へ入団させてやればいいんじゃないの? 本人だって、それを望んでる訳だしさぁ」


 そういう訳にもいかない。とはいえ、放っておく事も出来ない。さて、どうしたものか。


「……それはそうと、エヴァに聞いてみるのだが」


「何よ何よ、僕のスリーサイズでも聞きたい?」


「私と牛若以外で、異世界からやってきた者はいるのだろうか?」


 エヴァの杯を傾ける手が止まった。先程の陽気な顔は一変、真剣な表情へと変わる。


「……どういう意味?」


 私は小次郎という謎の剣士と出逢った話を話す。エヴァは黙ってそれを聞いた後、頭を抱えた。


「この世界で時空魔法を扱える者は僕しかいない。つまり君達以外に異世界人はいない……はずだが、要は【未来人説】の事を言っているんだろう?」


 この説が最初に出たのは、私の師【鬼一法眼きいちほうげん】が時空魔法発動の要である魔導書、六韜を持っていた事に起因する。


 エヴァによれば、私が六韜を開いてしまった事が原因でこちらの世界の六韜と繋がり、たまたま時空魔法が発動したのではないかと言う。ではそもそも師匠はどこで六韜を手に入れたのか。


「六韜は、この世に二冊とない僕の魔法研究の結晶ともいえる代物だ。それを鬼一法眼が持っていたとすれば、ここよりも未来――時空魔法が僕以外でも使える時代からやってきた可能性はある」


「当人から話を伺いたいと思い、団員に小次郎殿が開く武館の場所を調べさせた」


「おお! その場に僕も立ち合わせておくれよ!」


「それが出来ないんだ」


「出来ない? なんでさ!」


「彼の武館は最初から存在していない」


「……つまり、嘘だったと?」


 私は手にした麦酒エールを一気に飲み干す。


「何故そんな嘘をつく必要があったんだろう」


「こちらの実力を計ったのでは無いか。果たして、お眼鏡に叶ったのかどうか」


 去り際、彼はまた会おうと言っていた。その時がやってくるのを、こちらは待つしか無い。


 ふと隣の牛若に目線を向けると、机に突っ伏して眠っているではないか。しかし無理もない、今日は色んな事が有り過ぎた。


「宿舎へ連れて行く。明日から修行開始だしな」


「二人で生活をするのなら、その根無し草の性格も直さなきゃいけないと思うけど?」


 今まで冒険や遠征にと一箇所に定まる事などしてこなかった。ベルディア王国の指南役になっても、団員達が使う宿舎の一室を借りて事欠かなかったし野宿でも問題無いとまで思っている。だがエヴァの言う通り、今後は牛若の事も考えて行動しなければならない。


「そうだな……また相談に乗ってくれ」


 牛若を担ぎ、女給仕に挨拶だけして店を出ようとする私に再びエヴァが声を掛ける。


「今夜も君の奢りという事でいいのかな?」


「ああ、存分に楽しめ。金はまとめて払っている」


 エヴァは女給仕に「どういう意味?」と訊ねた。


「剣聖様は千本桜の団員がウチの店を利用した際、全額自分へ回すよう支払いを済ませているのです」


「え、それって幾らぐらい?」


店主オーナーではないので詳しい事は分かりませんが……全団員が一年間好きに飲み食い出来るだけは貰っていると聞きました」


「……自分の事に一切、金を使わない人だよねぇ。剣道馬鹿と言いますか……あ、店で一番高いお酒を貰えます? シャナの奢りで」


 エヴァの注文に呆れ顔を作りながら厨房へ戻っていく女給仕の姿が、私の印象に残った。


 ――帰路の途中、夜風を浴びながら私は思う。久々だからというのもあるが、若い頃に比べ少ない量の酒で酔っ払うようになったなと。


 私も老い先を考えねばならない年まで来た。これからは残る者達の未来を考えて生きなければ。


 牛若は将来、もう一つの世界を救う剣聖となる。だが、そうすれば牛若が消えた後のこちらの世界はどうする? 千本桜がいれば概ね安泰とは思うが、果たしてそれだけで良いものか……。


 色々と悩んでいると、いつの間にか宿舎が見えてきた。同時に建物内から、何かを倒すような激しい物音も聞こえてくる。


「うるせぇ! お前らの言う事なんてきけるか! バーカバーカ!」


 夜だというのに大声で悪態をつき、二階の窓から飛び出す小さな姿。


「何をしているんだ、ナナシ」


「あっ、アンタは審判のおっさん!」


 幼くとも流石は獣人というべきか、受け身もせずあの高さから降り立っても元気に動き回っている。


「聞いたぜ! アンタ、実はすげぇ奴だってな? だったら、ここの奴等に言ってくれよ! 入団戦はやり直しだってさぁ」


「やり直し? 何故その必要がある?」


「俺さ、途中から全然覚えてねぇんだ。気が付けば寝かされててよ。しかも訳の分かんねぇ所へ連れて行こうとしやがるし。ふざけんなっつの」


 獣化した後の記憶は消えているという事か。


「お前を捕らえていた闇商人はいなくなった。これからは孤児院で学び、幸せな生涯を送る為の努力をしていくんだ」


「……何言ってんのか分かんねぇけどさ。それってつまんなそう。俺は騎士になりてぇんだよ」


「何故、そうまで騎士にこだわる?」


「騎士って偉いし強ぇだろ? 俺がそうなりゃあ、悪い奴らを片っ端からぶちのめしてやれるからな」


 拙くも信念を持っているように感じた。何よりもナナシが持つ潜在能力は計り知れない。


「……組み手も出来て、修行の幅が広がるな」


 ここでようやく宿舎から団員が姿を見せて、私とナナシに駆け寄ってくる。


「け、剣聖! 捕まえてくださったのですね、お手数をかけて申し訳ありません!」


「おら、さっさと来い! これ以上迷惑かけるな」


「んだよ、離せ! ぶっとばすぞ!」


 暴れるナナシと団員に割って入り、私は告げた。


「待ってくれ。ナナシの身元は私が引き取ろう」


「け、剣聖? それは、どういう意味でしょうか」


「私がこの子の義父となる」


 それを聞いた団員達はお互いの顔を見つめ合い、笑ってみせる。


「成る程ですね。それでしたら問題はありませ――えぇええええええええええ⁉⁉」


 この日一番の絶叫が、ベルディアに鳴り響いた。

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