二本桜 シャナとウシワカ

「うわぁああぁああ⁉」


 隣で寝ていた子供が悲鳴をあげながら飛び起きる。殺されかけたのだ、怖い夢を見ても仕方ない。


「大丈夫か?」


 暗がりでも小さな背中が跳ねるのが分かった。

優しく声を掛けたつもりだが、驚かせてしまう。


「……こ、ここは……どこですか?」


 寺に置かれた蠟燭に火を灯しているが、全容は窺い知れない。少しでも不安を取り除いてやろうと、私は汲んできた水を渡しながら話す。


「襲われた地点から更に登った場所にある寺だ。暗くて見えないだろうが、そこには毘沙門天像や千手観音像も並んでいる」


 こちらの解説など聞かず、子供は水を飲んでいた。随分と喉も乾いていた事だろう。


「君は牛若うしわか、だな?」


 名を呼ぶと、相手の動きが止まった。


「なんで……なまえを……?」


「私は君に会いに来たんだ」


 胡座から正座へ、姿勢を正す。牛若もそれに倣って正座を行う。


遮那しゃなと申す。遠い地で剣と共に生きてきた」


 腰に差した打刀と脇差しを正面へ置く。


「牛若。君はこの先、時代の奔流に飲み込まれてしまう。運命さだめとも言うべきか」


「……さだめ……」


「生き抜く為には力が必要となる。強くならねばいけないのだ、心も身体も。そうでなければ、何も守れない。何も変わらない」


「つよく……でも、どうやって……」


「私が教える」


 それだけ伝え、私は愛刀を手に立ち上がった。


「百聞は一見に如かず。ついてきなさい」


 やってきたのは裏山。風光明媚なこの場所も今は夜で眺められないが、せせらぎだけは変わらず耳を癒やしてくれる。


「水汲みの時に見つけてな、おあつらえ向きだよ」


 それは六尺を越える巨岩だった。厚さも強度も、申し分ない。


「これを今から真っ二つにしてみせよう」


「そんなの、むりだよ。できっこない」


 永い間この地を見守り続けてきた存在だったと思うが、未来の為に犠牲となってもらう。


 私は一礼をした後に鯉口を切り(鞘を握り親指でつばつかの方向へ押し出す所作)岩と対峙する。


「スーー……フンッ!」


 抜刀、抜き付け、納刀。身体に染み付いた動作だが、今回も納得のいくものではなかった。分かりきっているが、剣の道は深い。

 

 数秒待ち、岩が動き始めた。横一文字に切断され、上半分が地に落ちる。それを横で見ていた牛若が、目と口を大きく開けて眺めていた。


「す、すごい! どうやったの⁉」


 ようやく子供らしい元気な声を聞けて、こちらも嬉しくなってしまう。


「全てのものには神が宿り、生きている。鍛錬を積めば、相手の【隙】を見抜く事が可能。そこへ一撃を放つのだ」


「せっしゃにも、できるかな?」


「無論だ。出来ぬ筈が無い」


 先程まで沈んでいた牛若の顔が、一気に満面の笑顔と化す。


「つよくなって、ははうえと、あにじゃたちをまもりたい」


 拙い言葉の中に強い意思を感じた。思わず目頭が熱くなるのを感じ、面を被っていて良かったと初めて思う。


「強くはなれる。けれど時間を掛けてもいられぬ。常人が四十年必要なものを、元服までの期間に会得するのだ」


 あまりの無茶振りに牛若も困惑している。けれど私には勝算があった。


「今から私と共に此処ではない世界――【異世界】へ赴いてもらう。そこなら飛躍的成長を望める」


「いせ、かい……?」


 こちらも実際に見てもらうのが早い。私は懐から一冊の本を取り出す。


「これは魔導書。我が師は【六韜りくとう】と呼んでいたが、この本を使う」


 私が表紙に手をかざし呪文を発すると、頁がひとりでに開き強烈な光を放つ。次の瞬間――。


『遅いぞシャナ! こっちは何か問題が起こったのかと気が気じゃなかったよ!』


「ひっ⁉」


 突然、本が喋り出した事で牛若が悲鳴をあげる。


「すまない。だが目的は達した」


『そうか、例の……ウシワカ? と接触出来たんだね。今そこにいるのか? おーい、初めましてウシワカくーん』


「怖がらせるな、怯えている」


『ありゃ、これは失敬。こちらの準備は万端だけど、もう大丈夫?』


「ああ、問題無い。頼む」


 私は牛若に向けて手を差し出す。


「大丈夫、私を信じろ」


「………………」


 牛若は恐る恐る私の手を握った。本からは呪文の詠唱が続き、そして――。


 私達は、完全にこの世界から姿を消した。

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