第36話 事件の翌日

 密かに大事件が起こっていようとも、関わりのない人々にとってはいつも通りの一日にすぎない。当然のように、翌日は登校日であり、通常授業だ。

 ただしもちろん、当事者たちにとっては『いつも通り』というわけにはいかない。


「おはよ、璃々りり! こっちこっち!」


 教室に入るなり、めいが手を上げてリリティアを呼ぶ。


「ごきげんよう、盟さん。何かありましたか?」

「あったの!」


 勢い込んだ態度は気のせいではなかったようだ。両手で拳を作って大きくうなずく。


「あのね、やっぱり気になったから、北門きたかど君の様子を見に行ったんだけど。……彼、転校するんだって。クラスメイトの人と話してるのを聞いてきちゃった」

「そうでしたか」


 妥当だろう。日本刀を振り回した姿を、事情を知らない一般人に見られてそのまま日常に戻る、というわけにはいかない。

 さらにもしかしたら――彼はこれから、罰を受けることを望んだかもしれないのだから。


「あの、さ。昨日、通り魔が捕まった話、ちらっとニュースで流れてきたじゃん?」


 全国ネットで大々的に報道されるような大惨事ではなかったが、自分の側で起こった事件なので、地元民の関心は高い。意識的に注意をしていれば、割と簡単に情報を得ることができる。


「そのようですわね」

「もしかして、だけどさあ……」


 他者の名誉に大きくかかわる内容なので、盟は続きを言い淀んだ。それでも、言いたいことは通じる。

 通り魔も北門ではないか――という疑いだ。

 あまりにもタイミングがよすぎる。連想してしまうのは自然の流れだろう。

 だがリリティアはあえて疑わしそうな表情を作り、首をかしげて見せた。


「どうでしょうか。だって、犯人は捕まったのでしょう?」


 ならば学校になど来れるわけがない。そう言った。

 盟たちはその言葉を聞いて、ホッとした顔をする。


「そ、そうだよね。さすがにそんなわけないよね」

「物騒な事件が起こるときも連続だったけど、終わるときも連続になったってこと、かな?」

「駅前で暴れた人と合わせて三回目だから、もう終わりだよねっ」


 二度あることは三度ある――とはいうが、確かに、四度目など起こってほしくない。

 かなでがした主張に根拠はないが、同意はできるのでリリティアはうなずく。


「ええ、きっと。終わりになってほしいものですね」

「本当に!」


 平穏が脅かされた実経験があるだけに、三人の肯定には力が入っていた。


「……でも、それならそれで、やっぱり警察とかに行った方がよくない?」

「その点についても、ご心配なく。実はあの後七世代ななよしろ先輩とも合流しまして、説得の後、公的機関にも間に入っていただくことになりました」


 嘘ではない。


「あ、だから転校……」


 法治国家における裁定が下っていると聞けば、奏は得心した顔になる。

 北門に罪状をつけるなら、銃刀法違反と傷害未遂といったところだろうか。嫌がらせの件が暴行として数えられるかは微妙だ。

 まして奏たちからすれば自首をしたと取れる言い方。実害のなかった事件として、警察には軽視される可能性が高い。更には未成年。実刑が下るかも怪しい。


 ただし学校には確実に知られるのと、北門自身が反省をしているのならば、学校を変えるのは納得、ということだ。

 自分に危害を加えようとしてきた相手が去るとなれば、奏としても安心だろう。


「くぅー。何だ何だ、やっぱりカッコいい気配がするぞ、七世代先輩。ね、璃々ー?」

「ごめんなさい、盟さん。少し前に打診してみたのですけれど、丁重にお断りされてしまいました」

「だよね!」


 苦笑いをして、盟はリリティアの答えを受け入れた。


「けれど盟さんのお名前を出したわけではありませんので、距離を詰めるならお手伝いしますわ」

「いやいや、そこまでじゃないから。というか行動早いね、璃々。えっと、約束しておいてなんだけど、あたしそんなに紹介できないかも」

「構いませんわ。機会があったらでよいのです。こういったことは縁ですもの」


 また盟とその話をしたときとは、リリティアの心境が大きく違う。

 それでももう必要ないとは言わなかったのは、出会いはあって悪いものではないからだ。


(人脈は力です。そのことに変わりはありませんもの)

「……宮藤くどうさん、ちょっと落ち着いた?」

「え?」

「あ、分かる分かる。前はちょっとピリピリしてた感じがあったもん」

「ああ……。そうかもしれません」


 学園入学当初、というかこちらの世界に来てすぐの頃だ。これまでの常識と違うことに戸惑い、けれど自分が努力して培って来たものの正しさも疑いたくなくて、余計な気を張っていたと思う。

 だが今のリリティアはもっと自然体だ。もしかしたらシェルランダにいた時よりも、ずっと。


「でも、今の宮藤さんの方が話しやすくて好き」

「うん。表情とか、可愛くなったって思う」

「まあ」


 褒められて悪い気のする人間は中々いない。

 かつてラミュアータ家の名前に追従してきた取り巻きたちからならば、褒められなかった日などない。少し懐かしい気持ちになった。

 けれど奏と由佳梨ゆかりの言葉は、取り巻きの少女たちが口にしたおべっかとはまったく種類の違うもの。


「あ、本気にしてないなー?」


 くすくすと笑うリリティアに、奏はわざとらしく頬を膨らませて不満を表現する。


「いいえ、まさか。そのようなことはございませんわ」


 たとえそれが、少々盛った言葉だったとしても。


「お友だちの言葉ですもの。疑いません」


 それは奏たちが、リリティアを好ましく思っているからこそ出てきたもの。否定する理由などない。

 そして何よりも、彼女たちの気持ちこそが嬉しかった。


 リリティアの機嫌を取るために、技巧を凝らして必死に褒め称えられた言葉と比べて、実に簡素だ。

 けれど卓越した美辞麗句よりも、はるかにリリティアの心に温かく残ってくれた。


 それは、想う気持ちが伝わってくるから。

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