第32話 火と水

 そうしながら体内の魔力を活性化させ、ついでに、すぐ消える光をほんの少しの光量で放つ。守仁かみひとに異常を知らせるためだ。


七世代ななよしろ先輩であれば、きっと魔力が使われたことに気付いてくれるはず)


 その違和感を放置せずに探ってくれれば、そう時間をかけずにリリティアの元まで来てくれるだろう。

 北門きたかどは、どうやら校門へと向かっているようだ。


(校内から逃げるおつもり? それで一体どうしようというのでしょう。浅慮な)


 名前までしっかり分かっているのだ。名簿を見れば、それ以上のことも容易に知れる。

 失笑し、リリティアは北門が通り過ぎた校門を、当然のように擦り抜けて――


「伏せろ!」

「きゃっ」


 唐突に背後から押し倒され、地面に倒れることになる。乱暴に擦れた膝が痛い。

 だが文句を言うつもりはなかった。直後、頭上を鋭い音を立てて刃物が通過したのが分かったからだ。

 押し倒されていなければ、致命的な怪我を追っていたかもしれない。


「あ、ありがとうございます。七世代先輩」

「ああ、無事で何より。それと、無茶が過ぎる」


 リリティアがすぐに応じたことにほっと安堵の息をつき、守仁は立ち上がる。

 校門を出た北門の手には、見覚えのある刀が握られていた。


【あァー……。匂う。匂うぞ。清流の匂いだ。いいなあ。香しいなあ。泉の守り人よ】


 刀がしゃべり始めた瞬間に、真打ちが発したのとまったく同じ悪臭が辺りに漂う。


(この臭いを発するということは、やはりこいつが真打ちですわね)

「泉の呪力に魅せられたか、鬼よ。しかし泉の神水は貴様程度の呪力ではただの毒。諦めろ」

【はははっ。試してみなければ分かるまいよ】


 刃の切っ先を向ける守仁へと、鬼を持った北門も、ふらりとよろめきながら正眼に構える。

 構えた、というよりも構えさせられた、という印象が強い動きだったが。


「俺は――……。俺は悪くない。悪くないんだ。悪くないから、見た奴全員消さないと……。悪者になって爪弾きにされるのは嫌だ」

「無茶苦茶ですわね。本音なのでしょうが」

「すでにまともな思考力は奪われているようだ。人としての彼の始末は、谷城やしろに任せればいい」


 北門と――正確には鬼刀と見合うこと、数呼吸。おもむろに守仁は地を蹴った。

 体の軸の定まりさえなく、鬼刀は強引に北門の腕を持ち上げ、守仁を迎え撃つ体制を取る。


「うぅっ」


 同時に、北門が苦痛の声を上げた。

 その理由は一目で知れる。どう見ても、腕の角度がおかしい。自分の意思でやっていたら、その形に曲げることなど絶対にできない。


 刀の鬼が人体の構造に詳しくないか、宿主の負担を全く考慮していないかのどちらかだ。

 そして少なくとも、後者ではある。


【ククッ!】

「ぎゃ……!」


 振り下ろされた刀は、音も鋭く早かった。しかし単純なその一撃を、守仁は僅かに身を反らしただけで苦も無く避ける。

 そのまま刀を刃で断とうとして、ためらいを見せた。


【そぉうれ!】

「ま、待て、痛いっ、痛いっ」

【はははははっ】


 北門の悲鳴を、鬼はむしろ楽しそうに笑って聞き流す。

 型などはなく無茶苦茶に、しかし力任せの威力だけは充分に乗った暴力が、縦横無尽に振り回される。

 その全てを守仁は体術だけでしのいだ。しばらくして限界を感じたのか、後ろに大きく飛び、剣閃の囲いから逃れる。


「七世代先輩……?」

「角度が悪い。下手に衝撃を与えると、使い手の腕の方が壊れる」


 鬼は中々に、人体に精通しているようだ。

 己はどうでもいい扱いをしつつ、守仁に対しては人質になることも理解している。


「しかしこのままでは、同じでは?」


 守仁が手を出さずとも、鬼に振り回されている北門の体への負担は、じきに怪我にまで達することだろう。


「……その通りだ。やるしかない」


 守仁の声には苦さがあった。人を傷付けることをためらっている。


(正直、あまり気にかけて差し上げる必要はない方かと思いますが)


 だがそれでも、北門にだってもちろん彼を大切に想う親兄弟がいるだろうし、通り魔を行っていたのが鬼の影響であるならば、彼も被害者ではある。


「では、こういう手はいかがでしょう?」


 何より、北門を傷付けることで守仁が良心の呵責を覚えるのであれば、リリティアにとってはそちらの方が問題である。

 なので一つ、提案をしてみることにした。


「金属は熱されて冷やされてを繰り返せば、脆くなるものです。使い手に衝撃を与えないで壊せるぐらいにまで脆くすれば、北門さんへの負担は軽くなるのではないでしょうか」

「そうか。君の属性は火だったな」

「ええ」


 そして守仁の属性は水だ。丁度いい。


「ですがわたくし、戦闘技術はまったくの素人よりは幾分かできる、程度のものですわ。フォローをお願いしますわね」

「ああ、必ず」


 自分で言って刃物の前に立つ以上、本当の意味で庇ってもらおうとは思っていない。それでは守仁が危険なだけだ。

 それでもきっと、守仁はリリティアを護ろうとするだろう。

 想像ができてしまって、つい、口元に笑みが浮かぶ。


(あなたのその、融通が利かないほど義理堅く優しいところ。わたくし、嫌いではありませんわ)


 ふと、盟の言葉を思い出してしまった。

 身分に執着をほぼ失った今のリリティアにとって、守仁が恋愛対象になるか否か。


(いえいえいえ。やめましょう)


 そんなことを考えている場合ではない。


宮藤くどう?」

「な、何でもありませんわ! では――刀の鬼の方。覚悟はよろしくて?」

【覚悟は、そちらがした方がよかろうよ】

「止めろぉ! もう邪魔をするな! お前らが消えて、俺の邪魔をしなければそれで済むんだ!」


 この期に及んでも、北門は鬼を責めるのではなく、立ち塞がったリリティア達へと敵意を向ける。


「助けようとして差し上げているというのに。辟易しますわ!」


 一つ、わざとらしく息をついてからリリティアは走り出した。次いで、リリティアと左右を挟むようにして守仁も動く。

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