第31話 思ったままの、本当の自分と

かなで――ッ!」

「……?」


 陽光に輝いた凶刃の反射に違和感を覚えた奏が、ようやく視線を男子生徒に戻す。そして表情と体を凍りつかせた。


「お前のせいで……!」

「や……っ」


 目を見開き、凝視するしかできない奏へと、凶刃が振り下ろされる。


「駄目ッ!!」


 その刃が奏に到達する前に、横合いから、決死の叫びを上げながら由佳梨ゆかりが男子生徒へと体当たりをした。

 力もなく、体重も軽い由佳梨の体当たりになど、大した威力はない。それでも男子生徒の注意が完全に奏に向かっていた分、意表はつけた。

 男子生徒はほんの少しよろめいて、数歩下がる。


「奏! 大丈夫!?」

「狼藉はそこまでです。観念なさい」


 腰を抜かしてへたり込んだ奏と、その奏の側に膝を突き、彼女の肩を支えた由佳梨。そして二人を庇ってめいとリリティアが立ちはだかる。


「き――、北門きたかど君……?」


 そこで相手の姿をはっきり視認し、由佳梨が戸惑いの声を上げた。


「知ってるの?」

「う、うん。同じ図書委員だから」


 答えた由佳梨に、盟とリリティアは納得する。

 北門の目的は元々由佳梨だ。そちらになら接点があってもおかしくない。

 一対四になった人数に、北門は苦い表情をする。特にリリティアを見た瞬間、苛立たしげに歯ぎしりをした。


(わたくしが、特に邪魔になるだろうことを意識している……。ということは)


 駅での事件の関係者だ。


(おそらく、真打ち……!)

「皆……。あ、ありがとう……」


 歯の根が合わず、か細く震えた声で、由佳梨に縋りながら奏は感謝の言葉を口にする。


「こんなこと、冗談じゃすまないぞ! 何考えてんの!!」

「そいつが悪いんだ!」


 金切り声を上げ、北門は刃の切っ先で奏を示す。


「ひっ」

「そいつが、水瀬みなせさんに悪い影響を与える害悪だからだ! 水瀬さんはな、俺の理想だったんだ。大人しくて、可憐で、馬鹿で下品な女たちと違って、余計な自己主張もしない。正に大和撫子だ」

「あァ?」


 北門の主張が余程癪に障ったのだろう。盟が低くおどろおどろしい声を出す。


「いつの時代の女性像語ってんの? 大体それ、理想の女性でも何でもないじゃん。自分に逆らわない、都合のいいロボットが欲しいだけじゃん」

(もの凄く、覚えがありますわね……)


 北門が語った理想の女性像とは、正に、シェルランダでも推奨されている淑女の在り方だ。

 己の意思を殺し、主である夫に従う。

 その方が、政治を牛耳る男性たちにとって都合が良かったから。


「黙れ。お前らみたいな下品な奴と一緒にいるから、水瀬さんまで変わってしまうんだ。下品な馬鹿は馬鹿同士でつるんで、勝手に坂を転がり落ちて行けばいい。まともな人間を巻き込むな!」

「――勝手なこと、言わないで」


 いきり立ち、息継ぎのペースさえ忘れているせいでところどころ言葉を掠れさせつつ発された北門の主張に、一瞬で場の空気さえ凍らせるような、冷ややかな声が浴びせられた。

 発したのは由佳梨だ。奏の肩を抱きながら、北門の顔を正面から見据える。


「貴方が、自分の意見を笑って肯定してくれるだけの誰かを望んでいるのは、分かった。でも生憎、わたしもそこまで人間を捨ててない。表面上都合が良くてそう振る舞っていたとしても、お腹の中では違うことを考えてる。きっと」


 安全のための、偽りの同意。

 それは偽りを信じている相手への裏切りでもある。


「少なくとも、わたしの思う大和撫子とは違う。それはきっと安全で穏やかで、でも少し寂しいときもある、偽りの関係」

「由佳梨……」


 これまでの自分を思い起こしてか、由佳梨は数呼吸分、間を空けた。


「それでもいいと思ってた。奏も盟も優しかったから、幸せだったもの。だけどやっぱり、少しだけ寂しくて辛かった」


 努力して繕った自分を認めてもらえるのも嬉しい。けれど――ほんの少し、一部分だけでもいい。

 ありのままの自分で好意を獲得して、友と語り合いたいと考えることは、間違っているだろうか?


「わたしの心が、嫌だといったの。だから少しだけ、思っていることを口にすることにしたわ。そしてそれは元々、わたしがそういう人間だったってだけだし、本音で話そうと思ったこと、後悔してない」


 言って由佳梨は、北門に向けていた怒りの視線を柔らかく和ませて周囲を見た。奏と、盟と、そしてリリティアを。


「そしてわたしに決断させてくれた友達に、感謝している。貴方の理想の大和撫子なんて、元からここにはいなかった」

「実は突っ込み厳しい毒舌だったものなー」


 苦笑しつつ、盟が言う。


「ごめんね? でも、盟のことが好きだから言うんだよ。どうでもいい人には、その人が不快に思うだろうことなんて言わない。面倒なだけだもの」


 面倒に巻き込まれるかもしれない。嫌われて、自分が嫌な思いをするかもしれない。それが怖いから、口を噤む。

 けれどそんな思いを超えて大切だからこそ、苦言でも呈するのだ。


「分かってる分かってるー。愛してるぞ、由佳梨」

「うん。わたしも愛してるよ、盟」

「わ、わたしも二人のこと大好きだよ!?」


 冗談めかした言いようで、しかしそこにこもった親愛は本物だ。


「……と、いうことらしいですわ。貴方が由佳梨さんに向けた不満も奏さんに対する怒りも、ほとほと筋違いというものです」

「黙れ!」

「そして貴方には、聞きたいことがあります。お分かりですわよね?」

「……っ」


 リリティアが余裕を演出しつつ言えば、北門は怯む。

 駅の事件で実際に戦ったのは守仁かみひとだけだと言えるし、何なら彼はその戦いすら見ずに撤退した可能性もある。

 ハッタリと一笑に付しても構わなさそうなリリティアの言葉を、彼は恐れた。


「くそっ」

「逃がすとお思いですか」

「えっ。宮藤くどうさん、危な――」


 舌打ちをして身を翻した北門を追いかけようとしたリリティアに、奏が驚きの声を上げて引き止めてこようとする。


「問題ありませんわ。けれど奏さんたちは三人でまとまって行動しておいてくださいな」


 勿論取り逃すつもりはないが、念のためにだ。

 早口でそう言うと、返事は待たずに駆け出した。

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