第30話 見知らぬ悪意

「学校の敷地の使用について俺がどうこう言う権利はないが、できれば観賞は俺がいないときに頼む」


 自分に近付いてくるリリティアとめいの姿を見て、虹詞こうしは読んでいた本に栞を挟むと、潔く閉じた。


「何か用か?」

「ええ。少しお伺いしたいことがありまして。この二日程、かなでさんの周囲で不審な方を見かけませんでしたか?」

「何で俺に聞くんだよ……。お前らの方が気付くだろ」

「そうとも言えないので、聞いているのですわ」


 自分の能力の稀有さに頓着していない虹詞には面倒そうにされるが、気にしない。


暁居あけいの周囲ってか……。水瀬みなせの方じゃねえの、変な空気になってたのは」

「え、ゆ、由佳梨ゆかり? 由佳梨の周りにまで変な奴が発生してるの!?」


 まだ把握していなかった友人の危機かと、盟が身を乗り出す。


「変な奴とか言ってやるなよ……。遠目から意識した目で、たまに姿追ってただけだし。監視したり、とかそーゆーのでもなさそうだったし」


 気になる相手をつい探して、目で追ってしまう。それ自体は責められることではないだろう。


「あたしは!? あたしを見てるイケメンはいないのか!?」

「さあ。見かけない」

「くそう。恥ずかしがり屋さんめっ」


 悔しそうに舌打ちをする盟を、虹詞は呆れた目で眺め、ため息をついた。


「盟さんの件はともかく、そちらが妙な感じになっているとは、どういう意味でしょう?」


 これまでは無害だった、と虹詞は判断した。しかしそれが昨今変わったということは、無害ではなくなった、という可能性もある。


「そうだった!」


 リリティアの発言に盟も正気に戻り、話に返ってくる。


「んー……。なんかこう、落胆した、みたいな憤りが見えなくもない。ただ元から水瀬と接点があるわけじゃないし、そのまま離れてくだけだろ」


 機会があって好意を抱いたけれど、見ているうちに好ましくない面を知って離れる。それもまた、よくあることだろう。


「勝手に期待されて勝手に幻滅されてるのも微妙だけど……。まあそれで終わるなら、まあ」


 少なくとも、普通に過ごしているリリティアたち、更には由佳梨本人でさえあずかり知らぬところで起こった変化である。害はないといえば、ない。

 複雑そうな表情をしつつ、飲み込もうとする盟と同意してもよいはずなのだが、どうにもリリティアはそれで片付けきれなかった。


璃々りり? どうしたの?」

「いえ。どうにも引っかかるところが……」

「え? どこに?」

「少し待ってください」


 リリティアも、どこがと明瞭な答えは出ていないのだ。虹詞の話を反芻しながら、必死に考える。


(勝手に期待して、落胆――。そう、もしそれが、由佳梨さんの『変化』に対してなら……?)


 由佳梨は温和で協調性の高い性格をしている。

 自らの意見を言って、行動を起こすようなタイプではない。――なかった。まして相手が望んでいないと分かっている部分に、踏み込もうとなどしない。

 由佳梨自身もそう言っていた。昨日までは。


「――!!」


 けれどそんな自分の在り方、友人たちとの付き合いに、由佳梨は迷いも感じていた。奏や盟といて、あるいは、リリティアに触発されて。

 もし由佳梨を見詰めていたというその生徒が、彼女の大人しさを好ましく思っていたのだとしたら、どうだろうか。さらに、それを変えようとした由佳梨に幻滅し、彼女を『変えた』相手に憤っているのだとしたら。


「虹詞さん。その方はどこのどなたです?」

「いや、知らねーって。タイの色同じだし、同学年なのは間違いないけど」

「そうですか。情報、ありがとうございます。盟さん、戻りましょう」

「う、うん」


 言うが早いか身を翻したリリティアに、盟も慌ててついてくる。


「ど、どうしたの。何か分かった?」

「もしかしたらその相手は、由佳梨さんを変えた奏さんのことを恨んで、嫌がらせをしているのかもしれませんわ」

「はァ? 何ソレ」


 理解できない、という感情そのままの声で言って、盟はぎょっとする。


「だとするなら、奏さんと由佳梨さんだけでは危険です。二人とも標的ですから」


 まずは急いで戻って合流するべきだろう。何も起こらなければそれでよい。

 そうしたら明日以降、虹詞に頼んでその人物を探し出す。奏の身に起きていることを話して協力を求めれば、おそらく虹詞は断らない。

 今日奏と共に飼育当番に当たっている生徒は、小屋の清掃をしていた。人目は限りなく、無い。

 半ば走るようにして、小屋近くの遊び場まで懸命に戻る。


「い――、いる! 誰かいるよ、璃々!」


 リリティアと盟が離れたときにはいなかった第三者、見知らぬ男子生徒が奏の側に立っている。

 由佳梨はいない。席を外しているようだ。


 正面から見合っている奏には、把握できていないのだろう。その男子生徒は、後ろ手に刃物を持っていた。

 日本刀の刃先の部分だけを、布で厚く巻いて手にしている。握る自分の手を傷付けないための処置だ。


「ヤバそう!」


 それが刃物であることだけは理解した盟が、悲鳴のような声を上げた。

 リリティアと盟は、揃って全速力で走り出す。


(もう少し――気付かないで!)


 もし奏がこちらに気付いて目を逸らしたら、余計な隙を生じさせてしまう。そして邪魔者が近付いていることを男子生徒の方が気付いたら、一気に行動を起こすかもしれない。

 どちらにしろ、距離が遠すぎる。


(それに、あの日本刀は……っ)


 真打ちが漂わせていた凶悪な臭いこそないものの、この時期だ。無関係とも思えない。

 だが、駆け寄ってくる人間二人はとても目立つ。心当たりもあって、奏は自然に顔リリティアと盟の方へと向けた。無防備に。


「あ、盟。宮藤くどうさん――」

「奏、逃げて!」


 奏が手を上げ、こちらに向かって大きく振ろうとしているのを最後まで見ずに、盟が叫ぶ。


「え?」


 警告に対する奏の反応は、当然ながら鈍かった。

 嫌がらせを受け始めたとはいえ、まさか刃物で直接害されることまでは考えていなかっただろう。

 まして奏からすれば、見も知らぬ相手だ。


 今まさに進行している構図は、リリティアが怖れた通りのもの。駅のときのように光で牽制しようにも、奏はこちらを向いて、しっかり目を開けてしまっている。

 奏たちの目までを焼くことをリリティアがためらっているうちに、男子生徒が刃を振り上げた。

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