第25話 奏の異変
翌日、校門を通り過ぎて桜の並木道を歩く途中で、馴染み深い背中を見付けた。
しかしその姿勢は馴染み深くない。なぜだかややどんよりとして、丸くなっている気がする。
「ごきげんよう、
「うわぁ!」
決して驚かすつもりはなかったのだが、リリティアが後ろから声を掛けたせいで奇襲となり、奏は悲鳴と共に肩を撥ね上げた。
とはいえ、常の奏ならばそんなことはないはずだったのだ。彼女は挨拶をすることもされることも多いので、後ろから声を掛けられたところで平然と対応する。
なのに今日は、意識が外に向いていない。
「失礼。横に並んでからの方がよろしかったかしら」
「く、く、
驚いたことを自白してしまってから、奏は慌てて手を左右に振った。
「悩み事ですか?」
「ええと、そう、なのかな……。でも大丈夫! 心配してくれてありがとう」
不安そうな表情を覗かせて、しかし奏はすぐに笑顔を張り付けて誤魔化した。
重大な悩みであるほど、人には話し難くなる。ましてリリティアと奏は、胸を張って断言できる親しさすら備えていない程度の友人だ。
「そうですか」
重ねて問いかけるべきかどうか。
迷ってから、リリティアは踏み込まないことを選んだ。
けれど正しいかどうか、自分でも分からない。そのため、変に気まずい空気が流れてしまう。
「……余計なことかもしれませんけれど。自分で解決できない悩みは、抱え込んでいても重くなるばかりですわ。無理はなさらないでくださいね」
話せるようならば、話してくれていい。そういう思いを込めて奏に伝える。
「――うん」
奏も聡い人間だ。リリティアの真剣さを受け止めて、はっきりとうなずく。
「ありがとう、宮藤さん。でも大丈夫。多分、気のせいだから」
「分かりました」
「わたし、日直なんだ。職員室に寄って行くから、ここでね」
「ええ。また後程」
事実であり、丁度いい言い訳でもあった。奏はやや早足で、教室へ向かうルートとは外れて去っていく。
一方のリリティアは真っ直ぐ教室棟へと向かう。その進行方向、桜の木に半身を隠すようにして、
「ふっふっふっ。あたしは見た!」
「何をしていらっしゃるのです?」
去って行った奏に声を掛けなかったところを見るに、隠すようにではなく、事実身を隠していたのだろう。
それは理解した。しかしもったいぶった盟のノリについて行けず、リリティアは淡泊に聞くことしかできない。
「ちぇーっ。ノリ悪いぞー」
「ええ、わたくしもそう思いましたが、正解が分からなかったのです」
「流石だなお嬢様!」
不満なのか感心しているのか微妙な口調で言ってから、盟は木から離れてリリティアの隣に並ぶ。
「奏のことなんだけど。相談してもいい?」
「構いませんわ。たった今、ご本人からはお断りされましたけれど」
盟も隠れて見ていたはずだが、念のためにそう言った。
奏から隠された自分が知ってもいいのか、と。
「あたしも隠され仲間だから問題ないね!」
「まあ。盟さんもですか」
「棘! 棘を感じるよ、宮藤さん! でも同意する! あたしも言ってもらえなかったっ」
げっ歯類の小動物が頬袋にエサを詰め込んだかの如くの姿で、盟は不服を表現する。
「そこでっ。奏に『大丈夫?』って聞いてくれた宮藤さんと、相談をしたいと思います!」
「奏さんが気落ちしている理由をご存知なのですか?」
「――嫌がらせされてるっぽい」
声は若干潜めたものの、盟は直球でそう口にした。
「奏さんにですか。嫌がらせをして利がある相手には思えませんけれど」
必要があれば、敵は蹴落として進む。そういう教育をされてきたリリティアは、真っ先に利害について連想した。
「奏みたいな真っ直ぐな『善い子』が気に食わないって人がいるからね。びっくりはしない」
「まあ。随分性根が捻じ曲がっていますのね。善きことが気に食わないとは、一体どのような社会をお望みなのかしら」
盟の答えは、純粋にリリティアを驚かせた。
思想についてもだし、利益のない――どころか損害しか生まない行いも、まったく理解できない。
「さーねー。でもそういう人の方が、『気に食わない』って感情が、抑えられない割合も多い気するしね」
「無様ですわね」
「わぁ。辛辣だあ」
容赦なく切って捨てたリリティアに、盟は怯えたように愛想笑いをする。
リリティアにか、それとも善人を気に食わないと感じる誰かに対してか、あるいはその両方にか。
「人が何故、人足り得るのか。人間を人間足らしめるもの。それは理性と考えます」
「おおー、アレだね。昔の偉人が言ってた『人間は考える葦である』ってやつだね。つまり考えない人間は人間じゃなくて、葦だと」
「素直に逆説を取れば、そうなるのでしょうか。ですがそれは葦に失礼ですわ」
葦は葦であれば、そうしてデザインされた葦としての生を全うしていると言える。
「感情という欲望に負け、正しきを考える理性を失った人間は、最早その存在を称する言葉が存在しないかと。少なくとも、わたくしはその人ならざるモノを形容する語録を持ち合わせておりません」
言いながら、ふと思う。
(人ならざるモノ……。まるで
追いかけている相手の呼称を、つい重ねてしまった。
「やっぱり辛辣だあ……」
「ともあれ、相手の下劣さはともかく、嫌がらせをされてよい気分になる人間はほぼおりませんわね。納得しました」
「うん。ごく一部の人だけだと思う」
世の中には様々な趣味嗜好の持ち主がいるので、もしかしたら極少数、いるかもしれない。可能性は否定するべきではない。
「どうしたらいいかな」
「相手を突き止めて話し合い、ではないでしょうか」
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