第21話 猫の飼い主と出会いました

 思考の果てに、リリティアは答えに辿り着いた。そしてそれはこのとき、ギリギリで間に合ったのだ。


七世代ななよしろ先輩!」


 集中して嗅ぎ取った、微かな腐臭。生臭さを含んだ鉄錆の臭いは、確かにこの近くから漂って来ていた。

 その方角へ向けて、リリティアは光を放つ。

 切羽詰まったリリティアの警告の理由を、守仁かみひとは理解しなかった。しかし彼は迷わず、追い詰めているはずの男性から飛び退き、距離を取る。


 直後、リリティアが放った光を貫き、たった今まで守仁がいた位置に刀が数本、抜身の姿で突き刺さる。それは男性が持っている刀と寸分違わぬ型に見えた。

 リリティアの警告に即座に従った守仁は、すでにそこにはいない。また光に邪魔され避けた先を追うこともできなかったか、刃はただ地面を貫いただけとなった。

 だがそれは間違いなく、男性を――刀の鬼を助ける一手となる。


【血だ……血がいる! 魂が!】


 弱々しく、しかし凶暴性を増した声で叫ぶと、刀は持ち主であるはずの男性をむしろ引っ張るようにして、駅へと走っていく。

 学生の帰宅と重なっている時間帯。駅はやや混んでいる。発していったセリフから考えても、放置すれば凄惨な事態を引き起こすのは確実だ。


「七世代先輩、追わなくては!」

「分かっている。――つづり、ここにある刀の処理を頼む。これらはおそらく影打ち。まだ鬼にはなっていないと見る。お前でも扱えるだろう」

「引き受けたわ。守仁、リリちゃん、気を付けて」

「はい。綴先輩も」

「真打ちと思しき鬼の気配はすでにないが、周囲の臭いには気を配れ」

「問題ないわ」


 鬼が戻ってくる可能性は充分にある。しかし自身に戦闘能力がないという真紀まきは、恐れ気もなく言い切った。


「それでも、だ。気を付けろ」

「ええ。さあ、行って」

「ああ」


 うなずき、守仁は男性を追って駅構内へと走る。リリティアも後に続いた。

 外で騒ぎが起こっていたこと、そして一目で異様と分かる男性の姿から、居合わせてしまった客は一斉に逃げ散っていた。

 ただし混雑していた分、避難はまだ終わっていない。


「こちらの通路から西口に――。急いでください、ですが、慌てずに!」


 客の誘導に当たっていたのは、壮年の駅員の男性。最後尾にいるのは泣く子供を抱えた女性だ。

 彼女を追ってきた鬼の目と、駅員の男性の目が合う。


「ヒ……ッ」


 鬼はすでに逃げ始めている獲物よりも、まだ立ち止まっている相手を仕留めやすいと見なした。標的を女性から駅員へと変える。

 駅員は勇敢な人物だ。しかしそれでも、他者を傷付ける意思を漲らせた狂気に捕らえられ、悲鳴を上げる。


【血を! 魂を! 寄越せ、人間!】

「させませんわ!」


 リリティアと守仁が飛び込んだのは、正にそのとき。すでに絶望的な距離が空いていると言っていい。

 普通に駆け寄って止めるのは、まず不可能。


 しかし光であれば、その程度の距離を軽く超える。

 何もかもを光で塗り潰す最大光量を、遠慮なく放つ。この場にいるのはすでに駅員一人とリリティア、守仁、そして鬼だけ。

 そして駅員が、どうにかして身を護ろうと体を捩り、しかし鬼への恐れから目を閉じてしまっているのも確認済み。

 一定量を超えた光は、暴力的な側面を持つ。


「ぎゃあっ!」


 視覚を焼くほどの強い光を直視して、鬼は悲鳴を上げて仰け反った。


「蒼き海に沈め、鬼よ」


 リィン!


 リリティアが何をするつもりかを察していた守仁は目を閉じたまま直進しており、光が収まったときには男性に肉薄していた。

 そして大きく、左右の鈴を振る。

 すでに刀には多く守仁の呪力が流し込まれている。主に呼応して蒼く輝き、見る間に刀が凍り付いて行く。

 それが鍔元にまで達した瞬間、澄んだ音と共に中の刃ごと氷が砕け散る。


「うわっ」


 手元で起こった衝撃に弾かれ、男性は柄を手放し、その場に座り込んだ。


「……あ。あ、うわ……っ」


 そして見る間に顔から血の気を失わせ、蒼白になる。どうやら彼には記憶があるようだ。

 幸いにして怪我人は出ていないが、往来で抜き身の刃物を振り回すこと自体、すでに犯罪だ。


(この分だと、今日以前にもっと取り返しのつかないことをしていそうですわね)


 となると、男性の意思がどうであったかも重要になってくる。

 やったことに変わりはなくとも、鬼に支配されてだったのか、当人の意思が介在していたのかによって、本質は大きく変わる。


(そもそもこの後、わたくしたちはどうすればいいのでしょう)


 学生の身で収拾が付けられる状況を越えてしまっている気がした。


「あの、七――」

「今回は随分と大事になってしまったね、七世代君」


 指示を仰ごうとしたリリティアに被さるようにして、第三者の声が割り込んだ。

 知人に対する親しみを感じさせる口調に、リリティアは口を閉じてそちらを振り向く。


「文句は鬼に言え。それと、事態を把握しておきながら手を打てなかった君たちも同罪だと忘れるな」

「うん。その点について異論はないよ」


 近付いてきた青年は、リリティアや守仁よりも少し年上に見えた。おそらくは緋々希ひびきと同年代だろう、と判断する。

 濡れ鳩羽の黒髪に、同じくどこまでも深い黒の瞳。

 同種の人間であるリリティアには一目で分かる。彼は立場のある人間だ。


宮藤くどう。彼は谷城やしろいつき。前に話したと思うが、こう言った物事に対処するための国家機関である、文化庁生活特殊安全化保護部の役員だ。おそらく、将来は彼が部長になるだろう」

「困ったことに、おそらくそうだね」


 守仁の紹介の仕方に苦笑をしつつ、樹はうなずく。


「谷城。彼女は宮藤璃々りり。今年度の新入生であり、生徒会のメンバーでもある」

「初めまして、谷城さん。どうぞお見知りおきくださいませ」

「こちらこそよろしく、宮藤さん。――というか……あれ。君は、僕の猫を助けてくれた人だよね?」

「まあ」


 リリティア自身は覚えていないが、樹がした話の内容にはすぐにピンと来た。

 こちらの世界に来てすぐ、病院で目覚めることになった理由だ。


「では、貴方が猫の飼い主だと。縁とは不思議なものですわね」

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