第20話 凶朱の刀

 リリティアにも大分慣れた通学路を、守仁かみひと真紀まきと共に歩き、家への道を遡る。

 事件が起きてから数時間は警察によって封鎖されていた現場だが、現在はすでに解放されていた。

 人間に被害がなかったことが、一番の理由だろうか。


 猫が流した血はすでに洗い流されていて、知らなければここでそんな凄惨な事件が起こった事も分からないだろう。

 日常を取り戻すためにも、衛生的にも、治安的にもそうするべきだ。

 けれど少しだけ引っかかるのは、まるで本当に何もなかったかのように繕われているせいだろうか。


「守仁、どう?」

「妖気が残っている。追えそうだ。行こう」


 言って守仁は制服のポケットから内側に鈴が括りつけられたあおい金属製のリングを取り出した。それを右手首にかけて心持ち前方に腕を伸ばすと、リン、と鈴の一つが震えて音を立てる。

 鈴が反応する方向へと、黙々と足を進めていく。

 途中すれ違う人から若干怪訝な目を向けられるのが、リリティアには少々堪えた。同行する守仁も真紀も全く意に介した様子はないが。


(い、今は体面など気にしている場合ではありませんものね!)


 自分の心を奮い立たせ、毅然として前を向いたまま守仁について行く。

 リリティアの奮闘を試すかのように、鈴は徐々に、人通りの多い方へと三人を導いて行った。


「この道は……駅に向かっているのでしょうか」

「そのようだ。――っ!」


 リリティアの呟きに守仁が応じた瞬間、一斉に鈴が音を立てた。

 周囲にまばらにいた人々が一斉に、音の発生源である守仁を見る。その多くは怪訝なもの。だがその中の一つ、奇妙に赤い瞳が、こちらを射抜くような強さで視線を向けてきて――


 シャン!


 守仁は手首に掛けていたリングを滑らせて手に握り、鋭く振るう。

 高く澄んだ金属音を響かせ、リングを追ったリリティアの目を捕らえたのは、刃物の輝き。

 陽が朱に染まりつつある黄昏の色を写し取ったかのように、刃の色は不吉に光る。


「刃を手放せ。鬼と化す前に」

「……さっきから、リンリンリンリン。耳障りなんだよ、クソが!」


 淡々とした守仁の警告に帰ってきたのは、怒声。

 始めは小さく、ややあって感情の昂りを抑えられなくなったかのように、口汚い罵声を飛ばす。

 一見どこにでもいるような普通の恰好をした男性が手にしているのが、博物館で目にするような日本刀だと知り、周囲から一斉に悲鳴が上がる。


「致し方なし。――力尽くで行く」


 腕を振るって刃を逸らすと守仁は親指を使ってリングを弾く。と、一つに見えていたリングが二つに分かれた。それを左右、両手で持ち変える。

 それではっきりしたが、リングの外周は異様に鋭くなっている。守仁のリングは装飾用でも楽器でなく、武器だ。


 本来の姿を露わにした武器を見て、リリティアは武器としてのその輪に心当たりができた。はるか東に栄えるという大陸で使われている投擲武器に酷似している。

 だが、守仁はそれを投擲用として使うつもりはないらしい。リングそのものにも握るためのグリップが用意されている。


「抜かせぇ!」


 柄を両手で握りしめ、男性は力の限りで刃を振るう。そのリーチは、守仁の持つ戦輪とは圧倒的な差がある。

 剣道三倍段、という言葉があるように、素手で剣に立ち向かうには三倍以上の実力が要されると言われる。

 獲物の有利不利は、それだけの差を生むものなのだ。

 秘匿性の高い守仁の戦輪は、正面切っての戦いに向くようには見えない。


七世代ななよしろ先輩の実力の程は分かりませんが……っ)


 危ういようであれば手助けできるよう、リリティアは火の魔法を構築しておく。


「大丈夫だよ、リリちゃん」

「ええ、そうは思うのですが」


 堂々たる守仁の態度がハッタリでないことを祈りつつ、リリティアは真紀にうなずいた。しかし魔法は維持しておく。

 だが幸いにして、真紀の言う通り杞憂で澄んだ。


 振り下ろされた刀を、守仁は怖れげもなく左手で受けて逸らし、そのままがら空きになった相手へと接近する。

 もう腕を引き戻しても、日本刀を振るうことはできない位置だ。

 そして右手に握った戦輪の刃を、相手の喉元に突きつける。


「う……っ」

「大人しくしていろ。すぐに済む」


 ピタリと皮膚に押し当てられる刃物の感触を味わいながら、動けるような一般人はいない。男性は震える声で呻き、己の喉元に突きつけられた刃を注視するのみ。

 その間に、リン、リン、と左手の鈴が慣らされる。

 錆のようにも見えるくすんだ赤い刀身に、深い蒼色の呪力が流れ込み――


 ギギィィイイィィイイッ!!


 刀が悲鳴を上げた。反射的に耳を塞ぎ、せっかく魔法を維持していた集中さえ途切れさせるほど、ひどく耳障りな金属の悲鳴だ。


【やめよ、止めよ――止めよ! 喪う――。我が喪われてしまうではないか!】


 耳で聞く声と異なり、直接脳に捩じ込まれるようにして刀の意思が響き渡る。


「ぅえ……っ」


 その暴力的な圧力に耐えきれず、居合わせてしまったほぼ全員が地面に崩れ落ち、吐き気に苛まれてえずきを上げる。

 リリティアもふらりとよろめいたが、こうした魔力を持つ悪しき者からの干渉を撥ねのける術は教えられていた。


 己を浄化するつもりで、自らの体に魔力を流し続ける。そうすることで、違うものを押し流すのだ。

 同行者の二人はといえば――守仁はほんの僅かに眉を寄せただけで、真紀に至っては無反応だ。


「この地にお前が栄えるべき場所はない。歪みより生まれし妄執よ。消え去るがいい」

【よせ、止せ――止せ――!!】


 リン、リン、と鈴が鳴るたびに、朱は色を失い、刀身が蒼く染まっていく。

 守仁の呪力が刀を制するのも間もなく、とほっと安堵の息をついた瞬間。リリティアは自分が抱いたその感想に、奇妙な違和感を覚えた。


(何か……重要なことを忘れているような……)


 過った不安の原因を見出そうと、リリティアは周囲に首を巡らせる。記憶を刺激してくれる何かを求めて。


「リリちゃん?」


 そのリリティアに不思議そうな声を掛けてくる真紀を振り返り、はっとした。

 真紀がほんのりと纏う、花の香り。そんな清々しく、しかし仄かにしか香らない弱い香りでさえ、リリティアの鼻に届いている。つまり。


(臭いが違う!)


 猫を害した現場にあった臭い。それを追ってきたはずなのに、ここには――男性からはしないのだ。

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