第19話 わたくしの幸福

 リリティアの能力を知る、という本来の目的は果たしてしまったため、あとは真紀まきの合流を待つだけになってしまった。

 自然、会話が途切れる。

 しかし場を華やかせる会話術は、淑女にとっても大切なスキル。気まずさを感じ始める前に、リリティアが口を開いた――まさにそのとき。


「生活はどうだ? 大分慣れてきたように見受けられるが」


 守仁かみひとの方から雑談を振ってきた。

 その考えはリリティアがしたのと同じだろう。沈黙を心地良く共有できる間柄ではないため、会話によって空気を和らげようとしている。


「ありがとうございます。今のところ、どうにか過ごせておりますわ」


 心遣いが分かるからこそ、嬉しい。

 守仁が振った当たり障りない雑談に、リリティアも誠意をもって応じる。


「先程、互いに異性を紹介し合う話をしていたが、君も興味があるのか?」

「……ええと」


 一も二もなく乗ってよかった守仁の言葉に、リリティアは即答できなかった。

 相手から振って来たのだ。守仁が知っている中で、政府に一番近い人物を紹介してもらう、これ以上ないチャンスだっただろう。

 なのにリリティアは、迷った。


(わたくし、本当にそんなにも、結婚したいのかしら……?)


 建前上、貴族制度がなくなり身分が存在しないこの国でも、格差はある。『上級国民』などという単語が出来上がるのがその証だ。

 労働階級――いわば『下級国民』に属する状態から抜け出すのに、結婚はこの国おいても有用な手段だ。

 けれどそれを承知の上で、迷った。

 本当に自分は望んでいるのか、と。


「どうした?」


 半端な呟きのまま、イエスもノーも返さないリリティアに、気遣う声が掛けられる。


「正直に申し上げて、よく、分からなくなってきました」

「そうか」

「わたくしの国では、わたくしぐらいの年齢にもなれば、婚約者がいて当然でした。家の利益となる相手、強いては自分の人生の安定のために、結婚は必須だったと言えます」


 豊かで安全で穏やかな生活を得られる者は一握りだったから、何としてもそちら側にいたかった、という事情もある。

 けれどここは――少なくとも宮藤くどう家には、結婚に頼らずともよいのではと思えるぐらいの豊かさがあった。独身だからといって、周囲から後ろ指をさされることもない。

 リリティアが結婚を『しなくてはならない』理由は、ほとんどないと言っていい。


「かつては日本もそうだった。世界が変わっても、人がやる事は同じなんだな」

「かつて? では、シェルランダもいずれ貴族がいなくなるのでしょうか。想像はつきませんが……」


 通り過ぎた過去の時代として共感を示した守仁の言い方に、リリティアは首を横に振る。

 けれど否定はしない。実際日本にも特権階級が明確に存在していた時代があり、それを経て今に至るのだから。


「貴族制度が悪いわけではない。というより、世の事象において良いだけしかないことも、悪いだけしかないものも少ない」


 大概のことが、いい面と悪い面があるものだ。


「要は今、どうするのが相応しいか。その積み重ねにすぎないと俺は思う。そしてその均衡を取るのが政治なのだと」

「時勢に相応しい政治、ですか……」


 シェルランダの政治が、国が取るべき指針として相応しかったかどうが――

 考えてみたが、リリティアには分からなかった。


(そのような視点で、世の中を見たことはありませんでした……)


 ラミュアータ家は豊かだった。そのせいもあるだろう。リリティアは世の中に非常に無頓着だったのだ。

 女性が政治に関わることなど許されない、シェルランダの国風のせいでもある。

 リリティアはとても優秀な、その国が望む通りの最も『らしい』淑女として育てられてきたから。


「君がどうかは分からないが、俺はただ、人生の最後に『満更悪い人生ではなかった』と言うことができれば充分だ。そして願わくば、国には国民全員がそう言って終わりを迎えられる社会をつくってもらいたいと思っている」

「……」

「周囲の幸福は、己に帰ってくる。精神論や教訓ではなく、物理的にだ。例えばクラスが皆、互いを想い合って心を砕いていれば、とても居心地が良い空間になる」

「……ええ、きっと」


 それを実現するためには、クラス全員の努力が必要になる。誰か一人がやるだけでは、その一人が辛いだけだから。

 いつかきっとその優しい人は、己の行動を損をする愚かな行いだと感じてしまうだろう。


かなでさんが目指しているのは、七世代ななよしろ先輩が言うような居心地のいいクラスなのでしょうね)


 そのために彼女は、率先して体現してもいる。


「自分がどんな人生を歩むのが、この世界において幸福か。これまでの常識と変わって戸惑うだろうが……。充分に考えた方がいいと思う」

「はい」


 もしも結婚に意味を見出せなければ、リリティアはこれまでの人生において基盤となっていた目的を失うことになる。

 それは、少し怖い。

 けれど今なら受け入れられる気がしてもいた。なぜなら。


「力になれることがあれば、相談してくれていい。ああ、前にも言ったから繰り言になってしまったが、一応な」

「ありがとうございます」


 リリティアはすでに一人ではない。


(わたくしが思う、幸福な人生……)


 守仁が言う程遠い未来の想像は、まだできなかった。

 だが像とも呼べないイメージならばある。家族や、クラスメイトや、すぐに思い浮かぶ隣人や常連の客の顔。皆が笑顔でいて、自分もその中にいる。

 彼らが笑顔でいるためには、彼らが大切にしている人々の笑顔も大切で。さらにその大切にしている人の大切な人が幸せである必要がある――と、輪はどこまでも繋がっていく。


 だから、皆が幸せでなければ自分も幸せにはならない。誰かの涙の上で高笑うのは、今のリリティアには『幸せ』と言える気がしなかった。

 大切な家族に笑顔でいてほしい気持ちを知ってしまったから。

 傷付けられる恐ろしさを知ってしまったから。

 そんな風に温かな空間に包まれていれば幸福なのではと、ぼんやりと思う。

 形もあやふやな空想は、ガラリという現実の扉が開く音によって一気に吹き飛ばされる。


「お待たせ。ごめんね、二人とも。――というか、待っていてくれたんだね?」

「諸事情があってな。では、行くとしよう」

「はい」


 気を引き締め、リリティアは立ち上がる。

 皆が笑顔でいるためには、暴力が横行していては困る。


(そう。まずは正体を突き止めなくては)


 すべてはそれからだ。

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