第17話 優しい関係、それゆえに

「お前は? 暁居あけいたちといて楽しいのか?」

「いいえ、まったく。だってあのグループの長はかなでさんですもの。わたくしが楽しいはずがないでしょう?」


 さらに言うなら、グループの一員でさえない。ただのゲストだ。


由佳梨ゆかりさんとめいさんは満足しているのかもしれませんけれど。あるいは、孤立を恐れて妥協をしているか」

(どちらであっても、わたくしには然程関わりのないことですけれど――……あら?)


 いつの間にかもう一人、強張った顔でこちらに近付いてくる者がいた。由佳梨だ。


「由佳梨さん。どうかなさいまして?」

「その、変な態度取っちゃったから、謝ろうと思って……」

「まあ」


 由佳梨の義理堅さに、素直に驚く。


「わたくしは気にしていませんわ。貴女にとって、聞きたくない内容を口にしていたのは分かっていますもの」

「うん……。人から言われると、やっぱりちょっと痛いんだね」


 由佳梨も自覚があるから、リリティアに対して怒ってはいない。だが言った通り、辛そうではあった。


宮藤くどうさんから見ても、そう見えるんだよね」

「望んでいらっしゃるのかとも思っていましたわ。安全と楽は手に入りますもの。悪い選択ではないかと」

「……安全と楽、か」


 自分の中の気持ちと照らし合わせるように、由佳梨はリリティアの言葉を繰り返す。そこにはどことなく、納得していない響きがあった。


「違いましたでしょうか?」

「ううん。間違ってない。わたしは自分の意見とか、考えとか、そういうものが否定されるのが怖くて、決めてくれる奏に甘えているから」

「奏さんを信じていらっしゃるのね」


 リリティアの言った安全とは、立場そのものを指してのこと。しかし由佳梨は、グループを外されることなどは考えていないようだった。


「奏はとても、優しいから。宮藤さんも分かると思うけど」

「そうですわね」


 助けられてもいる。認めざるを得ない。


「それだけ。ごめんね、邪魔しちゃって」

「待っていたところですから、問題ありませんわ。――ところで」


 リリティアが本当に気にしていないのが分かったのか、ホッとした様子で話を切り上げようとする由佳梨へと、今度は逆に問いかける。


「由佳梨さんは、そのままでよいのですか? 『痛い』と言っていたのに?」


 つまり、望んでいない状態であるということに他ならない。


「――……」


 由佳梨は即答しなかった。小さく息を飲み、そしてゆっくりと吐き出す。

 その吐息に混ざって、言葉が細く発された。


「……うん」


 真に望んでいる形ではない。それでも由佳梨は妥協することを選んだ。それが安全で、楽だから。


「そうですか」


 分かっていて選んだのであれば、リリティアが口を出すことではない。由佳梨の判断は協調という意味で、決して間違ってもいないのだから。

 彼女の心が許す限り。


「それじゃあ、また明日」

「ええ、ごきげんよう。また明日」


 今度こそ、挨拶を交わして由佳梨と別れる。


「不毛だよな」

「人によると思いますわ」

「いや、関係そのものじゃなくて。暁居はきっと、水瀬みなせがちゃんと話すのを喜ぶと思う。何なら遠慮されてるのを暁居も気にしてるかもだし」

「なるほど。奏さんならばそうかもしれませんわね。……確かに」


 虹詞こうしの言わんとしていることを理解し、リリティアはうなずく。

 互いに望んでいるのに、見合って、動き出せないせいで心が辛い。それは間違いなく不毛だ。


「けれどそれは、仕方がないことかと。環境が変わることを人は恐れるものです。現状がそれなりに安定しているならば、尚更」


 変わることには、どんなものにであれリスクが生じる。ためらうのは当然だろう。


「そういや以前、人間は想像できるリスクの三倍の利益を見込めないと動かないって聞いたことあるな」

「まあ、そうなのですか?」


 興味深い数字だ。


「出典も忘れたウロ知識だから、本気にすんな。ただ、俺もそうだなって思ったのは覚えてる」

「わたくしも、三倍なら賭けるかもしれませんわ。なるほど、説得力があります」


 そして由佳梨の心理とも合う。奏と本気で向かい合うことは、由佳梨の中でリスクの三倍の利益ではないのだろう。


「じゃ、お前もずっと三倍の利益が見えてるんだな」

「どういう意味です?」

「何にでもガツガツ行くからさ」

(それは、少し違いますわね)


 リリティアにとって、この世界のすべてが新しく、これまでの自分と同じものなどほとんどない。

 だからだろう。環境を変えることを怖れていない――というか、これまでの環境と呼べるものが存在しない。

 やってみるしか分からないのだ。

 だがその中でも、選ぶべき指針だけははっきりした。


「人は、利益だけで動くわけではありませんわよ。いえ、むしろ情の方が強く働くと言っても過言ではない。――今、わたくしは進みたいのですわ。目的のために」


 まずは家族を守るために、次に、誰かが無意味に傷付けられないように。


「そうか」

「貴方はどうなのです?」

「俺が変化を望んでるように見えるか? 俺は平和に学園生活送って、平和に卒業して、平和に就職できればそれでいい。でも、就職って平和じゃなさそうだよなあ……」

「ふふ。では、貴方が作るしかありませんね。貴方が思う、平和な会社を」

「簡単に言うなよ。まったく、これだから上手くいってる家業持ちの勝ち組は」


 呆れた息をついて、非現実的だと、乗り気ではない反応が返ってくる。


「でも、お前は正しいよ。自分が望んだものを望んだままに形にできるのは、やっぱり自分しかいないんだから。後はどこまで妥協できて、どこなら納得できるかって話だよな」

「……そうですわね」


 リリティアのこれまでの人生に、妥協はなかった。そんなことは許されなかったから。貴族として生まれた、当然の務めでもあった。


(でもここでは、平民なら、心が許せば妥協してもいい……)


 少しずつそのことが飲み込めてきてもいる。


(ではわたくしは、どうしたいのでしょうか)


 自分の心がどこまで、何を望んでいるのか、今のリリティアには即答できない。

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