第13話 浮かぶ決意

 今度は離れないようにという意味も込めてか、鋼一郎こういちろうはリリティアの手を取って歩き出す。

 野次馬の外側を、そっと回って帰ろうとする。その途中で。


「――では、猫を襲った犯人のことは、見ていないと?」

「そう……。そうです。も、もう猫が血まみれになって横たわっていて、それで、悲鳴を……」


 第一発見者らしき女性が、到着した警察に訊ねられているのを耳にする。

 鋼一郎はちらりとだけ目を向けたが、歩く速度は変えずに通り過ぎた。リリティアも黙って通り過ぎる。


「ただいま、二人共。何もなかったかい?」

「ええ、家の中は大丈夫よ。表はどうだったの?」

「女性は無事だったよ。猫は……失血が多くて、まだ分からないらしい。怪我自体はそう深くなかったみたいで、体力さえ持てば持ち直すだろうと」


 美羽みわはほっとした表情を見せたが、それを口にはしなかった。

 すでに襲われ、恐怖を与えられた者がいる。今尚、命を脅かされている生命がいる。

 そんな中で自分たちが無事だったからよかった――などと口にするのは憚られたのだろう。

 だが大切な人たちの安全にほっとしてしまったのも自然な心の動き。それゆえの沈黙だ。


「ただ……。残念だが、犯人が捕まるのは時間がかかるかもしれないな。第一発見者の女性は、猫を襲った犯人を見ていないと言っていたから」

「そうなのね。しばらくは戸締りや身辺に気を付けましょう」


 対策としては心許ない。しかし一般人ができるのはそれぐらいだ。


「それと、これは父さんのただの勘だが、あの女性は嘘をついていた気がするな」

「嘘? 犯人を見たのに言ってないとか、まさかその人が犯人とか……」

緋々希ひびき


 緋々希がした憶測は、どちらも軽々しく口にしていいものではなかった。妙な尾ヒレが付けば、女性の社会的地位に影響を与える可能性さえ孕んでいる。


「あー……。うん。スミマセン。軽率なこと言った」

「お兄様はどうも、失言が多いですわね。わたくし少々心配になってきましたわ」

「お前のマイブームほど危なくはないぞ!」

「まあ! わたくしの立ち居振る舞いに、隙などありませんわ。失礼な!」

「はいはい、ストップストップ」


 ぱんぱん、と手を叩き、苦笑しながら美羽が子どもたちの言い合いを止める。

 緋々希にしてもリリティアにしても、本気で口喧嘩を始めようというわけではない。ただどうしようもなく下らないことをして、非日常感を拭いたかっただけだ。

 美羽も鋼一郎もそれを理解して、何とか顔に笑みを作る。


「とにかく、今日はもう遅いから、皆で寝てしまいましょう。璃々りり、お母さんと一緒にいらっしゃい」

「はい、お母様」

「……え。ってことは、まさか俺も父さんと同じ部屋で寝んの。まさか」

「今日ぐらいは我慢しろ。もしかしたら、犯人がまだ近くに潜んでいるかもしれないんだから」

「了解ー……っす……」


 両親が子どもたちを心配していると分かれば、緋々希もそれ以上否とは言わなかった。


(お父様たちのご懸念はごもっとも。けれどおそらく、犯人はすでに近くにはいないでしょう)


 猫に付いていた臭いの元は、もう残り香が霧散するほど遠くへ行っていたのだから。

 鋼一郎が嘘をついているのではと読んだ女性についても、リリティアにはその心理が分かる気がした。


 女性はおそらく、おそらく猫を襲っていたモノを見た。しかしそれはきっと、人から逸脱した『鬼』だったに違いない。

 だから目撃したことを言えなかった。よくて錯乱していると見なされるだけだろうし、悪ければ精神異常者、あるいは悪質な嘘つきとして、世間から鼻摘まみ者にされる。

 たとえそれが、本当は真実であったとしても。考慮さえされないだろう。


(もしお父様の直感が正しいのならば、猫を襲ったのは鬼ノ怪であると考えてよいでしょう)


 明日学校に行って、真紀まき守仁かみひとに話すのは決定だ。

 しかしそれで解決につながるかどうかは、リリティアには確信がない。


(……どこも頼りにできないのであれば)


 ついさっき、鋼一郎の言葉によって想像してしまったこと――家族が傷付けられた姿を思い浮かべてしまい、リリティアは強く拳を握る。


「璃々? どうしたの、寝るわよ?」

「はい、お母様」


 自分を呼ぶ美羽の元へと早足で近付きながら、心に決める。


七世代ななよしろ市を徘徊する鬼を、探さなくては)


 平穏を脅かす相手が側にいては、安心して学生生活も送れない。




 翌朝、リリティアは登校してすぐに真紀の元へと向かった。

 HRが始まるにも大分早い時間だったが、幸いにして真紀はすでに登校していた。ゆっくり話す時間が取れたことにほっとする。

 学年が違うクラスであろうと、リリティアに遠慮はない。教室内に平然と足を踏み入れた。その行いに教室内が少しざわつく。


「あ、ごきげんようの子だ」

「え、ウサギマスターの?」

「そうそう」


 口調が割と浮いているリリティアは、個人として認識されやすくなっている。

 とはいえ人から注目されることに慣れている身だ。それを特別には感じない。

 視線の中を堂々と歩み、真紀の側で立ち止まる。


「ごきげんよう、つづり先輩。少しお時間を頂けませんか?」

「いいよ」


 入ってきた瞬間から騒がれていれば、気付かない人間もなかなかいない。話しかけられる前から体をリリティアの方へと向けていた真紀は、少し苦笑しつつうなずいた。


「でも、ちょっと場所を変えようか」

「ええ、そうしていただけるとありがたいですわ」


 リリティアの発言に「ですわだ」「リアルですわだ……」と再びざわめきが起こる。が、もちろんリリティアは気にしない。

 こちらはやや奇妙に取られてのことだと理解しているが、自分にとっての誇り。変えはしないと決めているためだ。


「じゃあ、生徒会室に行こう」

「はい」


 生徒である真紀が自由に出入りできて、かつ一般生徒があまり立ち入らない、という案件を見事に満たしてくれる場所だ。

 これだけでも、生徒会に入ったことが間違いではなかったように思える。


 三年生の教室は、教室棟の二階。渡り廊下を過ぎれば、生徒会室はすぐだ。

 真紀は扉に手をかけ、そのまま開く。

 普段から開けっ放しにされている――わけではない。中には先客がいた。


「七世代先輩」

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