第11話 夜の怪

「ま、有意義なら良かったよ」

「!」


 ほっとしたように緋々希ひびきに言われ、リリティアは思索の中から現実へと戻ってくる。


「つーか、学校でもそれなんだよな? 懐広いな、七世代ななよしろ……。流石と言うべきか」

「わたくし、別に他者から後ろ指をさされるような行いはしていませんわ。何が流石なのです」

「っ……」


 不思議に思って首を傾げれば、緋々希の方が息を呑んだ。

 そしてゆっくりと吐き、うなずく。


「そうだな、お前が正しいよ。今のは俺がおかしかった。悪かったな」

「……いえ」


 少しずつ璃々りりの記憶も遡っているから、今のリリティアには緋々希の言わんとすることも一応、分かった。

 それでも納得はしない。なぜなら『違う』だけで排斥されることにリリティアは異議を唱えたいからだ。


 自分が恥ずべきことをしていない自信も、リリティアにはある。貴族の淑女としての立ち居振る舞いは、リリティアがシェルランダで努力して獲得した、誇るべきものでもある。

 だからこそ譲る気がない。


「さて。長々と邪魔をして、後で成績が伸びなかったとか言われてもアレだし、そろそろ退散するわ。頑張るのはいいけど、ちゃんと息抜きもしろよ」

「はい。ありがとうございます、お兄様」


 いきなり勉強に真面目になった娘だが、そこは憧れの学校に入れた喜びと、授業に置いて行かれたくない必死さということで、特に不審がられてはいない。


(いいタイミングだった、と言えますわね)


 七世代学園の中に、璃々の中学時代の友達などがいない所も。

 というより、璃々には元々、そこまで親しい友達はいなかったようなのだ。

 携帯端末にはそれなりに登録があるが、やり取りは四月の少し前まで。今はもう連絡もない。


(つまりは『学校にいるときのみの友人』ということですね)


 それはそれで悪くないだろう。人付き合いという意味では、社会の必須スキルと言える。

 そして少なくとも璃々は、そつなくこなすだけの才覚の持ち主だったということでもある。


(もし入れ替わっていなければ、虹詞こうしさんに通じる所があったかもしれませんわ)


 初日に行われた彼の自己紹介を思い出しつつ、璃々は存在しなくなったもしもを想像してみる。

 リリティア自身は、もう少し人とのつながりを重視する。人脈の強さによる優位性と、脆弱さによる不利をよく知っていたからだ。


(ここでは、それほど顕著ではないのかもしれませんけれど。持つ力が多くて悪いことはありませんからね)


 かなでたちとの付き合いも、リリティアにとってはその一つだ。

 部屋を去ろうと腰を浮かせた兄を見送りに、リリティアも席を立ったそのとき。


 ぎにゃああぁぁぁっ。


 という獣の鳴き声と。


「きゃああぁぁあっ!」


 という人の悲鳴がほぼ同時に響き渡った。


(近くですわ)


 本当に、すぐ近くからだった。窓を開けて外を見れば、何が起こっているのかが分かるのではというぐらいに。


「璃々、来い!」

「えっ」


 近くではあったが、壁の外のこと。リリティアにとってはまだ他人事だった。

 自分に累は及ばないとたかを括っていたリリティアは、厳しい声で緋々希に手を取られて戸惑う。


「最近は物騒だからな。窓から二階に押し入ってくる奴だっているかもしれない。父さんたちと固まっておこう。人数は力だ」

「わ、分かりましたわ」


 言われてリリティアは思い出す。今の自分は、誰かに護られて安全を享受しているような身分ではないのだと。

 リリティアの返事に怯えが滲んだのに気が付いて、緋々希は握った手に少し力を入れてきた。自分の存在を誇示するように。


「大丈夫だ。俺がいるだろ」

「――……」


 宮藤くどう璃々には、護衛はいない。

 しかしこうして、心細くなったときに手を握ってくれる家族がいる。


「はい、お兄様」


 緋々希が武術に秀でているとは、欠片も思えない。璃々の記憶にも勿論そんな情報はなかった。

 それでも繋いだ手の温かさが、リリティアに安心を与えてくれる。


(もしものときは、わたくしが前に立たなくては。わたくしの魔法は、きっとここでは強力な武器となる)


 シェルランダにいた頃であれば、あり得ない思考。だが今リリティアは、とても自然にそんな考えが思い浮かんだ。

 そしてそれを、不思議とも感じていない。

 手を繋いだまま一階に下り、試作を切り上げ後始末に入っていた両親と合流する。


「ああ、緋々希、璃々、丁度良かった。母さんを頼む」

「お父様はどうなさいますの?」

「様子を見てくるよ。店の前のことだ。知らぬ振りもできないし」


 外は女性と獣の悲鳴が呼んだ人垣で、少々騒がしいことになっている。

 しかし裏を返せば、集まっていられるぐらいには状況は落ち着いている、ということだ。現在進行形で何かが起こっていたら、人はもっと逃げているはず。

 少し考えて、リリティアは鋼一郎が出したのとは違う結論を出した。


「では、わたくしもお父様と行きます」

「な、何を言ってるんだ、璃々」

「我が家で一番強いのはお父様でしょう。そして一番か弱いのはわたくし。二手に別れるのであれば、戦力は均等に配するべき状況かと存じますわ」


 そこで意味ありげに緋々希へと視線を流し。


「お兄様がご自分とお母様とわたくしの三人を護れるとは思えませんし」

「酷え」


 直前のやり取りがやり取りだけに、緋々希は一層傷付いた顔をする。


「う、うーん。分かった。ただし、父さんから離れないようにな? 遠くから状況を見て、まずはそれからだ。多分、もう救急車も警察も呼ばれているだろうから、できることもないと思うが……」

「分かりましたわ」


 父を安心させるため、真剣な様子でうなずきつつ、リリティアは別のことを考えていた。


(『普通』の犯罪者に対抗するための警察では、鬼ノ怪モノノケ相手は荷が重い、と先輩方は仰っていましたわね……)


 そういう存在が通り魔を行っていると聞いたからと言って、この事件もそうだと決まったわけではない。

 だが可能性はある。

 もし犯人が鬼ノ怪であるならば、さっさとこの場から離れていることを願うべだ。

 しかしまだ犯人がいるようであれば、一番有効な手段を持っているのは父でも兄でもなく、リリティアである。

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