第5話 クラスメイトの皆様方・2

 少しだけ迷ったが、リリティアも『普通』に倣った。この世界での常識がまだ把握できていないからだ。

 結局、クラスで名前以外の自己紹介を付けたのは、かなでと、リリティアの隣の男子生徒のみだった。


朔倉さくら虹詞こうし。俺は俺のために命かけられる奴と、そいつのために命かけてもいいと俺が思える奴しか友達だとか思わないんで、薄っすい付き合いへの強要はナシで頼む。あ、円滑なクラス運営のための付き合いは別だから、適当によろしく」


 そう奏への牽制の台詞を口にして、虹詞は席に着いた。

 それでクラスが緊迫したかというと、そうでもない。言われた側の奏が「任せて!」とばかりの笑顔だったからだ。

 むしろ、虹詞の方がげんなりしていた。

 はたしてこの滑り出しが良い学園生活の兆しかどうか――もちろんリリティアには分からない。




 高校生活が始まってから、一週間。リリティアはそれなりに多忙な時間を過ごしていた。

 理由はただ一つ。


 ――授業が難しい。


 リリティアは璃々りりの持つ知識を共有できるが、それをもってしても難しい。

 あまりに常識が違うので実感が湧かず、理解に時間がかかるというのもあるが、それだけではなかった。


(どうやら宮藤くどう璃々は、少し無理をしてこの学校に入ったようですわね)


 それは別に良い。上昇志向はリリティアにとっても望むところだ。

 だがつまり、現状、学園内においてリリティアの学力は下から数えた方が早い位置にあるということでもある。


(冗談ではありませんわ!)


 学校には定期試験というものがあるらしい。そして七世代ななよしろ学園では、上位三十名が張り出されることになっている。


(このわたくしが! 上位三十名の中にさえ入らないなんて、あり得ません!)


 しかも恐るべきことに、この七世代学園は、県内でさえ中の上のランク。その中で下位にいるとなれば、実質の璃々の実力は中の下と考えてよいだろう。

 その璃々の知識量にすら、リリティアは、というかシェルランダ王国の教育は遠く及ばない訳だが――それはともかく。


(あーりーえーまーせーんーわ―!!)


 気持ちが変わる理由にはならない。

 そんな訳で、現在のリリティアの毎日は勉強と勉強と勉強に追われていた。

 学園内であくせくするのはリリティアにとって『格好悪いこと』だったので、家に帰ってからの話だが。


 学園内での休み時間は、もっぱら読書に充てられている。

 こちらは元の世界でも嗜んだ趣味だったので、難しい勉強より余程楽しい。

 その内容の自由さに驚きはしても。


 リリティアの日々が、そんな繰り返しで完成しかけていた頃。


「宮藤さん、一緒にお昼食べない?」


 唐突に、奏に声を掛けられた。

 可愛らしいアニマルプリントの布に包まれたお弁当箱を手に、奏がにっこりと笑って立っている。その近くには、彼女とよくいるのを見かける女生徒が二人。


「お約束はしていなかったはずですわね?」

「うん、してなかった。いきなりは駄目かな」

「……構いませんけれど」


 断るほどの理由もなく、リリティアは承諾した。ただ、少し気に食わない気分ではある。

 侯爵令嬢であったとき、リリティアの周りには常に人がいた。リリティアが何もしなくとも、大勢の人間が彼女に気に入られようと追従したものだ。


 ただしそれは、リリティアが侯爵令嬢だったからだ。平民である宮藤璃々となった今では、通用しない理屈である。

 なのに同じ平民であるはずの暁居あけい奏には、取り巻きがいる。一体どういうことなのか。


「やったー。絡むの初だから改めて自己紹介しとくねっ。あたし八重咲やえざきめい。ヨロシクー」

水瀬みなせ由佳梨ゆかり。宮藤さん、よく本読んでるよね。わたしも読書好きだから、お勧め教えてくれたら嬉しい」


 ゆるふわなヘアスタイルをばっちり決めた盟と、黒髪ロングストレートな大人しめ女子の由佳梨。彼女たちの振る舞いは、伯爵令嬢クラスだとリリティアは判断する。

 上はいるけれど下の方が多く、然程萎縮はしなくてよい。そういう立ち位置だ。


(ああ、わたくし、気が付いてしまいましたわ)


 なぜ奏のことが気に食わないと感じたのか。

 それは彼女の立ち位置が、かつての自分のものであったからだ。

 だがその奏が、関わる必要もなく、これまで関わってもいなかったリリティアに、なぜ声を掛けてきたのか。


(ふっ。自明ですわね。わたくしの輝きは、身分のみではなかったと証明されただけです)


 すぐに結論を導き出し、そちらには満足した。

 リリティアはラミュアータ侯爵家の生まれに誇りを持っていたし、生まれ故に与えられる優遇を存分に享受してきた。

 しかし稀に――ふと心に思い浮かばなかったわけではない。

 ラミュアータ侯爵令嬢ではない、自分の価値というものを。


「趣味を共有できる方がいるのは嬉しいわ。由佳梨さんはお好みのお話があって?」

「明るい気分になれるお話が好きかな……。宮藤さんは?」

「ジャンルや傾向は問いませんわ。書き手の主張がこもっていれば十分です」


 何を想い、何を考えて描いたか。

 それを知ることは、リリティアにとって武器の一つとなる。

 何しろ人間の心は一つだ。他人の思考など普段は読めもしないから、知りようがない。

 だが本は、それを可能とする。


 十人十色、千差万別と謳われても、大きく分ければ皆『人間』でしかないのだ。考えること、感じることに共通点がある者は意外と多い。でなければ流行など生まれない。

 本は知識を得るための学術書というだけではなく、他者の思考や傾向を知ることのできる参考書でもある。

 それはそれとして、美しい情景を描き出す文章そのものが好きなのも確かだが。


「すごいね。わたしも宮藤さんみたいな楽しみ方ができるようになりたいな」

「楽しいと感じるものは、人それぞれですわ。由佳梨さんが興味を持ったときに、手を伸ばしてみればよいのです。そのときがきっと、貴女にとってそのジャンルを楽しく読める瞬間ですもの」


 無理に楽しい部分を見つける必要はない。自分にとって楽しいものは、触れた瞬間から心が躍る。


「分かる分かる。昨日まで全然好みじゃなかったのに、今日ドラマ見たら『あれ? この俳優さん結構好みかも』とかって瞬間、ふっ、て降りてくるもんねー」


 早、お弁当箱を開きつつの盟が、ノリよくうなずきつつ言う。


「あれ? 盟に俳優さんの好みとかあったっけ」

「イケメン! アイドルでも芸人でも歌手でも可!」

「盟の懐って、広そうに言ってるけど狭いよね……」


 しかも芸ではなく、顔の造形優先である。


(美貌が己を魅力的にする大きな武器であることは同感ですが。やはり中身もあってこそですわよね。容色など必ず衰えるのです)


 とはいえ、盟がしているのはテレビの話。娯楽の好みに過ぎないのだから、それもまた楽しみ方の一つである。

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