第3話 入学式にまいります

(及第点ではないかしら?)


 翌日リリティアは無事退院し、迎えに来てくれた家族と一緒に、初めて我が家へと帰ってきた。

 シェルランダの実家よりも大分小振りなこれからの家だが、平民だということを加味すれば致し方ないこと、と覚悟はしてある。


 そして事実、それほど悪感情を抱いたわけでもなかった。

 リリティアの中では間違いなく初めて訪れた場所なのに、知らない場所である感じがまったくしない。慣れ親しんだ場所に戻ってきた、そんな安心感しかない。


(こうしていると、侯爵令嬢であったのが夢か幻のよう。でも、事実ですわ。だって今のわたくしを作り上げたのは、親愛なるシェルランダ王国と、ラミュアータ家ですもの)


 なのに、こちらの世界も変に身に馴染む。

 これは体がこちらのものだからというだけなのだろうか。

 多少引っかかりはするが、考えても答えは出ない。リリティアはその疑問を、とりあえず胸の奥にしまっておくことにした。


「さ、到着だ。入学式に間に合ってよかったな。本当にもう、無茶するなよ?」

「ええ、勿論ですわ、お兄様」


 にっこりと微笑んで、心配そうな緋々希ひびきに断言する。


(このわたくしが、自分の身を危うくするような愚かな真似をするはずがないではありませんか)

「……?」


 リリティアが浮かべた笑顔に、緋々希は初めて、違和感を覚えたような顔をした。


「……璃々りり?」

「何でしょうか?」

「……いや、気のせいだよな。何でもない、悪かった。入ろう」

「はい」


 緋々希が抱いたのだろう違和感の正体を、リリティアは容易に想像することができた。彼はきっと今、妹が別人に見えたのだろう。

 当然である。別人なのだから。

 ただし同時に――リリティアにもとても不思議なのだが、自分が宮藤くどう璃々であることにも、驚くほど馴染んでいる。

 璃々の兄である緋々希が、己の感覚を気のせいだと結論付けるぐらいに。


(それでも別人なのだけれど)


 しかしそうと口にすれば、面倒が起こるだけだ。そして状況が変わるわけではない。関係がぎこちなくなるのが関の山。


(とりあえず、今のわたくしが宮藤璃々であるのは間違いない。もしかすれば、一生。その心積もりでいるべきでしょうね)


 なぜこんなことになったのかはともかく、一つだけはっきりしている。

 どこの誰になろうとも、それでも彼女はリリティア・フィー・ラミュアータだということだ。

 侯爵令嬢として育まれてきた誇りは、どこに行こうと変わりはしない。




 その二日後の四月八日。リリティアは晴れて、高等学校の入学式に臨むことになった。


(不思議な生地……)


 リリティアではなく、まだ璃々だった時にあつらえた制服に袖を通して、くるりと一回転。プリーツスカートがふわん、と可愛らしく広がる。

 リリティアが通うのは、私立七世代ななよしろ学園。県内の学力偏差値は中の上といったところだが、自由な校風と、出身者に成功者が多いことで人気の学校だ。


 制服はブレザータイプ。上着は青のラインが格子状に入っていて、スカートには桜の花の刺繍が銀の糸で縫われている。

 最高級の品を身に纏うのが常であったリリティアからしても、良質な衣服と言えた。

 とはいえそれは、衣服だけではない。


 食卓に並ぶ料理の味の細やかさ、柔らかなベッド。デザインとして模様まで入ったガラス窓。

 どれもシェルランダでは手にするのに莫大な金銭が必要になるか、もしくは手にできないもの。


 リリティアはシェルランダ王国を愛しているし、勝ち負けに非常に拘る性格である。

 その彼女をもってしても、認めざるを得なかった。


(この国は、シェルランダよりも文化水準が高いのだわ……)


 そして――そして驚いたことに、璃々は頭が良かった。リリティアの知識にはない、様々なことを知っている。


(これだけの知識を持ち、トラックに撥ねられる可能性を理解しながらも身を挺して猫一匹を助けるとは、一体どういう思考回路をしているのかしら)


 まったくもって、理解不能だ。


「おい、璃々。そろそろ出ないと遅刻するんじゃないか」

「ええ。今行こうと思っていたところです、お兄様」


 兄である緋々希は大学の二期生。初見で判断した年齢ほぼそのままで、リリティアは密かに満足した。

 最後のチェックを終えて鞄を掴み、ドアを開ける。


「行って参ります」

「おう。……ってかお前、そのキャラのまま行くの? マジで?」

「問題がありまして?」

「……勇気に乾杯する。せっかく受かった第一志望だ。早々に転校、なんてことにならないように祈っとくぜ……」


 もの凄く不安そうな緋々希に見送られ、リリティアは学園へと向かう。七世代学園は宮藤家から徒歩圏内に存在している。


(まさかこのわたくしが、目的地まで一人で歩くだなんて)


 平民のようで屈辱的だが、紛うことなく平民なので、致し方ない。

 同時に少し――侯爵令嬢のプライドにかけてほんの少しだけだが、自分の足で自由に歩けるこの環境を、楽しくも感じている。

 常に傍らに侍女が控えていて、自分で雑用を行う必要がない代わりに、侯爵令嬢だったリリティアにはプライベートというものが存在しなかった。


 いつでも淑女の規範たる態度でいなくては父母から叱られ、また令嬢たちに付け入る隙を与えてしまう。

 だが宮藤璃々には鵜の目鷹の目で失点を探してくるような敵はいない。家族もそこまで厳格ではない。

 一言で言えば、気楽であった。


(これが、平民の暮らし……)


 とても奇妙な感覚だ。

 当日に迷って遅刻する、などという失態を犯すつもりのないリリティアは、昨日のうちに登校路の下見を済ませてある。そのおかげで、余裕を持って辿り着けた。

 正門前には入学式と書かれた看板が、造花で飾られて立っている。


 正門から続く道の左右は桜の木が並んで植えられていて、生徒たちを出迎える。時期柄やや終わりかけの感はあるが、葉と花が混ざった桜の木の様も、季節の流れや生命の流動を感じさせてくれて、風情があった。

 これから三年間で幾度も通る道なのだ。悪くない、とリリティアは内心でうなずく。


「あら、貴女……」

「?」


 後ろから訝しむような声を掛けられ、リリティアはそちらを振り返る。

 そこにいたのは、洗練された貴族を見慣れたリリティアでさえ感嘆してしまうほど、美しい佇まいの女性だった。

 リリティアが着ているのと同じ制服を身に着けているのだから、まだ学生なのは間違いない。襟元を確認すると、ローマ数字の三をかたどったバッチが付いている。最上級生だ。


「おはよう、お嬢さん。迷ってしまったの?」

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