相葉由紀（あいば・ゆき）は六年三組のクラスの中で目立（めだ）たない子だった。彼女は一人で本を読むのが好きで、休み時間はいつも何かの本を読んでいた。放課後（ほうかご）も学校の図書室（としょしつ）で下校時間（げこうじかん）ぎりぎりまで本を読んで帰ることもあった。

この日は激（はげ）しい雨と雷（かみなり）の日だった。午後の授業（じゅぎょう）のあとの帰りの会が終わったときも雷雨（らいう）は続いていた。

相葉由紀の自宅（じたく）は学校から少し離（はな）れたところにあったので、雨が少し弱くなるのを期待（きたい）して、彼女は図書室で少し本を読んでから帰宅（きたく）することにした。

この学校には図書室が二つある。

一つは旧校舎（きゅうこうしゃ）に、もう一つは新校舎（しんこうしゃ）にある。当然、新校舎の図書室の方が広くて綺麗（きれい）だ。ゆったりと座（すわ）れるソファーもあるし、蔵書（ぞうしょ）の数も旧校舎の図書室とは比べものにならないくらい多かった。また、普通の小学校とは違い、新校舎の図書室には漫画（まんが）も並（なら）べられていたので休み時間はいつも混（こ）んでいた。大半（たいはん）は漫画を目当てにくる児童（じどう）であり、ほとんどの漫画はいつも貸出中（かしだしちゅう）で本棚（ほんだな）に残っている漫画の数は少なかったのだが。

逆に、旧校舎の図書室にはほとんど児童が訪（おとず）れることはなかった。それは、新校舎の図書室よりも狭（せま）くて古くて漫画がない、ということとは別の理由（りゆう）もあった。旧校舎の図書室の隣（となり）には四畳（じょう）ほどの小さな図書準備室（としょじゅんびしつ）があった。この準備室には、もう誰（だれ）も読まなくなった古い本や、旧校舎・新校舎の図書室に並べきれなかった本などが保存（ほぞん）されていた。

図書準備室に廊下（ろうか）から入るドアはなく、旧校舎の図書室の奥（おく）にある狭（せま）いドアからしか入ることができなかった。そのドアには古いタイプの南京錠（なんきんじょう）がかけられており、その鍵（かぎ）はパスコードである四桁（けた）の数字を正確（せいかく）に合わせないと開くことはできなかった。しかし、いつの頃（ころ）からか、図書準備室には誰も入らなくなり、南京錠の鍵のパスコードは教師（きょうし）を含（ふく）めて誰もわからなくなってしまっていたようだった。

そんな開かずの図書準備室には、なにやら幽霊（ゆうれい）が潜（ひそ）んでいるという噂（うわさ）が数年前から学校全体に広がっていた。だから、今ではほとんど誰も旧校舎の図書室には入らなくなっていた。

しかし、相葉由紀はこの日の放課後に旧校舎の図書室に行くことにした。新校舎の図書室が、雷雨（らいう）のためかとても混（こ）んでいて、ゆっくりと静（しず）かに読書に没頭（ぼっとう）できなさそうだったからだ。それに、久（ひさ）しぶりに旧校舎の図書室に行ってみることで、なにか面白（おもしろ）い本が見つかるかもしれない、との期待（きたい）もあった。

もちろん相葉由紀は幽霊（ゆうれい）の噂（うわさ）は知っている。しかし、幽霊なんて非科学的（ひかがくてき）なものが存在（そんざい）するはずがないと思っていたので、この日は幽霊の噂のことなど思い出しもせずに旧校舎の図書室に入っていった。

「あ、やっぱり誰もいない。静かでいいな。」と、思わず口にして相葉由紀は推理小説（すいりしょうせつ）が並ぶ本棚（ほんだな）に向かった。そして、前から読もうと思っていたアガサクリスティーの『そして誰もいなくなった』の本を選び、図書室の奥の方の椅子（いす）に座って読み始めた。

夢中（むちゅう）になって本を読んでいたとき、ふと近くで誰かが話しているのが聞こえた。

「え、誰かいるの？」と、相葉由紀は少しおどおどした様子で聞いてみた。幽霊の噂のことを思い出してしまったのだ。だが、返事（へんじ）はなかった。

「気のせいかな？気のせいよね。きっと雨の音を聞き間違えただけだわ。」と、不安（ふあん）な気持ちを振（ふ）り払（はら）うかのように、わざと少し大きな声で独（ひと）り言を言った。と、そのとき「ひゃっ！」という声がはっきりと相葉由紀の耳に聞こえた。

「今のは絶対（ぜったい）に聞き間違えじゃないわ。誰かいるのかしら。もしかして本当に幽霊？」と、相葉由紀がすぐに図書室から逃（に）げようかと悩（なや）んでいると、『ピカッ！ガラガラガッシャーン』と窓（まど）の外が光ると同時（どうじ）に大きな雷の音が聞こえた。近くに雷が落ちたようだ。それとほぼ同時に、「うゎー！！！」という叫（さけ）び声が聞こえ、その直後（ちょくご）に誰もいないはずの図書準備室から大きな音が聞こえた。

相葉由紀は驚（おどろ）きと怖（こわ）さで気が動転（どうてん）し、とりあえず自分のランドセルだけを手にとって急（いそ）いで図書室を抜（ぬ）け出て、そのまま傘（かさ）もささずにずぶ濡（ぬ）れのまま走って家まで帰った。読みかけの本と彼女のお気に入りの筆箱（ふでばこ）やノートを図書室に忘（わす）れてきたのに気づいたのは、家に帰ってからのことだった。