6



 身体が跳び上がるのが分かる。

 思わず手にした大事な箱を落としてしまいそうになるぐらい。


 かくかく体が震える。

 恐る恐ると振り向けば、其処に居るのは黒ヒョウの彼。


 私は改めて彼を見る事となる。

 髪は濡羽色。良く日に焼けた肌。

 身長、180㎝は軽く超えている長身。

 腕は太く、熱い胸板と、鍛えられた大きな体。

 整いながらも男らしく顔立ちには、形の良い太い眉。筋の通った高い鼻。薄い唇。

 長いまつげに吊り上がった草原色の瞳。全てが完璧に収まった容姿を持つ

 正に美青年がそこに立っていたの。


「あ、あ、ああ、アルバード様?」

 振り絞った声は震えていた。つかえていた。もつれていた。


 ――やってしまった。

 その時の私は妙に冷静で、次に取らなくては為らない行動を理解する事が出来た。

 手に持つ箱を地面に置いて、それからそのまま膝を床に――。


「大丈夫か!」

「え」


 けれども私の身体は地に付く前にアルバードの太くて凛々しい手によって止められた。

 彼は私の肩を抱くと

「しつれい」

 ただそう言って、私を軽々とお姫様如く、抱き上げた。

 抱き上げられた瞬間、アルバード様の端麗なお顔が目に入って。

 私は顔が赤く染まっていくのが自身でもよく分かる。

 

 睫なが、眉毛凛々しい、鼻たか、目するど


 語彙力がどんどん下がっていく。

 だけどどうしようもないぐらいに困惑していたし、何も言えなくなるほどに頭が全然上手く回ってくれなくて。

 ただ顔が熱くて、本当に、本当に、どうようもない事になっていたのだから。


「倒れそうになるなんて、まだ体調が悪いんだな?なら部屋で寝てなきゃダメだろう」

「あ、あの」


 最初に掛けられた声は実に優しい声色で、心から私を案じている事が良く分かる。

 この方が、あの獅子やら死神と言われるアルバード様?全然雰囲気も違う。やっぱり心の優しい黒ヒョウの方がしっくりくる。

 あ、いや、違う。私は慌てて首を横に振った。

 

 「あ、アルバード様。どこも怪我もしておりません、体調も良好です。おろしてください!」

 「何を言う。膝を付き倒れ込む直前だったではないか!」


 驚いた。私はただ膝を付けようとしていただけだ。それをまさか倒れ込む直線として見られるなんて。

 

 「違います!私は粗相を、先程の無礼を謝ろうとしていただけでして。お願いです。おろしてください!」


 色々言い訳があるのだけど。この状況では言い訳も何も出来ない。ただ気恥ずかしさから私はアルバード様に懇願し漸く解放された。

 床に降ろされて、一度彼を見上げるが、ひどく物悲しげそう。私の事を心から心配した目をしている。――なんだか、本当に申し訳ない。


 だからこそと言うべきか、私はアルバード様に身体を向ける。

 そして漸くと深々と頭を下げる事が出来た。


「アルバード様。勝手なふるまい申し訳ございませんでした」

「……いや、謝る必要などない。どうやら俺の早とちりであったらしい。此方こそ失礼した」


 とても律儀な方らしく、謝罪。

 ただ、これで終わると思いきや、彼は私の側に突然に肩を抱いて、そのまま胸の中へ。

 アルバード様に抱きしめられている。この事実を、私はどう受け入れるべきで、どう反応すべきなのか。分かる事は1つ。絶対私の顔リンゴのように赤くなっているわ。

 顔を上げれば整った彼の物悲しげな表情が目に映る。


「どうか、あんまり心配を掛けないで欲しい」


 何処か安堵したような妙に艶のある声が耳元で送られる。

 むしろそっちで腰が抜けてしまいそうだ。


 殿方と接してきたことは無かったのだけど、殿方って皆こういう感じなの?

 コレが続くのなら、私の実が持ちそうにない事は良く分かった。


 「それで、メアリー嬢。そちらは?」


 暫くして漸く解放された。いや、開放はされてないか。

 アルバード様はしっかりと私の肩を抱いたまま、足元にある木箱を行き差す。


 気が付いて当たり前ですよね。

 正直、一番気にしてほしくなかったものなのですが。気になりますよね。

 私は困る。今、木箱を開ける訳には行かない。その結果、へんな雑菌が中に入れば「ぱあ」だから。

 でも蓋を上げずに、なんて説明すればよいのか。

 頼りになるはずのアンは私達に気を利かせてなのか、いつの間にかいなくなっているし。

 本当にどう説明すべきかしら。


「アルバード様お願いがあります」

「ん?」


 ああ、もう!こうなれば、儘よ!

 私はアルバード様を見上げる。


「この木箱、料理です」

「料理?貴女は確か、何も食事をなさらないと報告を受けていたが……」

「これが今、私が唯一食べられる料理なんです」

「それは――!」

「でもまだ、途中。コレからこれを40度の常温の場所で“発酵”させなくてはいけないのです!!」


 嘘偽りなく全て話した。

 アルバード様は首を傾げる。


「……“発酵”?」

「一晩腐らせる事です!」


 絶対に、絶対にアルバード様は驚いた事だろう。

 目に見えて分かるほどに驚かれていたし、表情が「しんじられない。この娘は大丈夫か」なんて語っている気もする。

 でも私も此処で、止まるわけには行かない。もう全部見つかっているのだ。だったら、もう押し通すしか道が無い。


 「お願いです。今の気候なら成功すると思うのです。何処かこう、密閉した小屋で良い。40度ほどで常温を保てる部屋を御貸くれませんか?一晩だけで良いのです」


 ――言っておいてあれだが、ちょっと図々しくないだろうか。大丈夫だろうか。大丈夫じゃない気がしてきた。

 本当に勢いで言ってしまって。アルバード様は何も言わない。引かれた?当たり前だけど引かれた?


 「……庭先に小さな小屋がある。そこが貴女の望む様な場所であれば、好きに使うと良い」


 だけど、アルバード様から発せられたのは予想外の一言だった。

 それも私から離れたかと思ったら、軽々と側に有った木箱を持ち上げて。


「あの」

「条件として」


 最後の言葉。

 アルバード様はぎこちなくも柔らかく優しい笑みで言う。


「先ほどの君の話の続き。これがどんな料理になるか、聞かせてくれ」

 

 

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死神と言われる騎士様に溺愛されてますがソレはソレとして、かねてより興味のあった食の道に進みたいと思います。~まずは酢から~ 海鳴ねこ @uminari22

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