飛梅と小説家《薄氷奇譚》6


   参



 翌日。


 春寒しゅんかん昨日きのうとは打って変わり、初春はつはるに相応しき暖かな風が吹き優しく私の額を撫でてゆく。


 しかし、私の心には未だ春北風はるならいが吹いていた。


 依然として原稿は白紙であるし、童男おぐなの行方に関する解決策も思い浮かばぬままだったからだ。


 とにもかくにも書斎に籠もって鬱々と過ごし、手元にある砂糖菓子を旨いとも不味いとも感じず頬張るばかり。


「誰ぞ、少し時を戻してくれねェもんかね……」


 誰も居ない窓外を眺めながら、くらい現実逃避を繰り返すが如き情けなさであった。


 加えて、無心で食べ続けていたせいか、気づけば、茶けの菓子が肝心の茶よりも先に全てなくなりそうになってしまう体たらくだ。

 と、その時である。

「……い」

 ふいに、何処いずこよりか微かに嗄声させいが聞こえた気がして、私はにわかに総毛立った。

「何だ?」

 砂糖菓子を軽く握りしめたままで動きを止め、しかめっ面で耳をそばだて部屋を彷徨うろつき声の主を探す。

 その結果、信じ難きことに、その微かな嗄声は私の手の中の砂糖菓子――つまり金平糖の奥深くより聞こえてくるようだった。

 ――来た。恐らく、あやかしだ。

「危うく食うところだよ。場所は選んでくれよ」

 妖に襲われるのはいつものことだが、一分一厘とて胃の腑に入れたくはない。絶対に、だ。

 襲いに来るのは構わないが、出来得ることなら外出時に現れてほしいと、切に願う。

 が、私の心中を知ってか知らずか、まるで私の話など聞こえていないかのように、声は淀みなく語り続けた。

「もし。もし。助けてください先生。薄氷うすらいを踏み遊んでいたら薄氷童子うすらいどうじに捕まってしまいました」

「ほう」

藪から棒に放たれた爆弾発言に私はわずかに慄く。

 くして、とんでもないことに、常ならば妖をそれ相応にあしらい追い払えば済むところ、私は、金平糖の中の声の正体が神隠しに遭ったくだんの童男なのか否かを確実に見破らねばならぬ立場となってしまった。

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