飛梅と小説家《薄氷奇譚》2


   壱



 やけに冴返さえかえる春の空気を貫き差し込む、長閑のどかな陽射し。その柔らかさを左頬で感じながら、私は文机ふづくえの前に腰を下ろしていた。

 思えば、今まで随分と長い月日を、このような虚しき思案に時を預け過ごしてきた気がする。

 机上に目をやる。と、原稿用紙は相も変わらず真っ白だ。


  『絶望』


 その言葉が私の脳裏をよぎった次の瞬間、部屋の片隅にある振り子時計が、ボオオンボオオンと、恐ろしげに鳴り響いた。

「おお、もう昼か」

条件反射で顔を上げ、時計の文字盤を確かめる。

 針は揃って天を指しており、正午丁度だった。

「要するに 『最早これまで』だな!」

ポンと膝を打ち、筆を置く。

「よし──! 小早川こばやかわ君が来ないうちに、急いでこの家を出よう!」

 小早川君とは、私の担当編集の名前だ。

 常は味方だが、今この時ばかりは敵である。

「原稿を書く気はあるんだがなァ」

 神に誓って、書く気概だけは何時いつ如何いかなる時も持ち合わせている。

 しかしながら、如何せん世の中には仕方のない場合があり、気分転換が必要な瞬間があり、まさしく今がその時であった。

 煮詰まった脳髄に、ひと時の諦念を。

 そのような次第にて、私は、万一の遭遇を避け窓から抜け出すことを今決意した。

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