でぼちん

狐照

第1話

「でぼちん」


と聞こえた。

洗面台に頭を突っ込んでいる所だった。

毛量が多いので、毎朝寝癖直しに頭から水を被らないといけないのである。

けれど聞き慣れない単語を、聞き慣れた声で言われたもんだから、びしょびしょのままに顔を上げてしまった。

どうせ濡れるのだからと、洗う寝間着のシャツが水を吸う。

前髪が張り付いて邪魔なので全部持ち上げる。

そうやって視界を確保したのだが、どういう反応をしたら良いのか分からなくなってしまった。

だって声の主が真顔でこちらを見ているんだもの。

というか真顔にもほどがあって怖いぞ。

どうしたんすか、何んすか、と気軽に声を掛ける事が出来なかった。

良い声のひとが見ているのだ。

真剣な目付きで何処かを見ている。

眼ではない。

眉より上だ。

頭でもない。

その間とくればそう、額、だ。


「…ひたい、へんっすか?」


「え、全然」


普段からキリっとしているひと、今もキリっとしながら額を見ている。

なんというか、すごく、すごい、熱視線で。

おや、おかしいぞ?

昨夜の初お泊りなんかより、情熱的なのなーんで?

頭びしょびしょの、その水シャツ濡らし色変わり、額を見つめられ続けるという謎の時間に。


「…」


耐えきれなくなって前髪を下ろしてしまう。

ついでにタオルで頭も拭こうとして、


「あ」


悲し気な声と顔。

何で?

え、何?

どうしてそんな顔を?


寝癖を直したいだけなのに、頭を拭きたいだけなのに、どうしてこんな事に。

でも感じるのは額への熱視線。

思い出すのは昨夜の額へのキスの多さ。

顔が赤くなるのを感じ、タオルで顔を隠してしまう。


「なぁ」


「…はい…」


「でぼちん見せて」


「…でぼちんってなんすか…?」


「おでこ」


「…」


「見せて」


「な、なんでですか?」


「可愛いから」


「…」


「な」


タオルの端を持つ手に手が重なる。

その隙間からチラっと窺う。

もう本当に真剣な眼差しで。

逸らさないから。

最後はひっぺ剥がされるだろう昨夜のように。

思い出して、お互いはじめてだったのに、何故あんな事になって出来たのか。

うん、そう。

付き合って、はじめての夜の次の朝だった。

変な感じにだけはなりたくなくって、タオルを外す、そしてまだ濡れている前髪を上げる。

いつもはもっさり前髪で隠れている額、否、でぼちん。

わざわざ晒すとなるとこんなに恥ずかしいのか。


「ど、すか?」


どういう顔をしているのが正解なのか分からずにいると、一歩二歩先輩後輩の距離超え近寄って、


「ん、可愛い」


そう囁き、でぼちんに口付け落とす。

どうしていたら良いか分からなくて、タオルを握り締めかけてから「でぼちん、マジかわいい…可愛い…」額に夢中な恋人に苛立って、ぎゅってその身体を抱き締めた。




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