新進気鋭(しんしんきえい)(4)

 浪川は数回肩を回し、戦国時代の武将のように片手で竹刀を振り回した。竹刀に合わせて回る手首はしなやかで、それでいて力強さも含んでいた。


「で、どうしましょうか。彼らと同じような形でよかったですか」


 ふと顔を合わせられ、熱田の意識は道場内へと引き戻される。熱田は正直、迷っていた。

 勿論、今の自分の型も見てもらいたい。しかし、せっかく目の前に強者がいるのだから、長年の悩みの種をいち早くぶつけてみたい、ような気もする。

 

 揺れた結果口からこぼれ出たのは、なんとも情けのないものだった。


「先生って、強いんですよね」

「―――答えづらい質問ですが、まあ強かった時期もある、という自負はありますね」

「案外さらっと認めるんすね」

「一応トロフィーなどもいくつか頂いてますしね。これで弱かった、という方がなんだか嫌味な感じがするでしょう」


 その言い方が既に嫌味だけどな、という本音は、浪川の爽やかな笑顔に免じて飲み込んでやることにした。


「しかしどうしました、いきなり。その嫌な質問が、基礎練になにか関係があるんですか?」


 熱田は両手に力を込めた。言いたくない、というより、自覚したくないのだろう。そう身体が叫んでいるのがわかる。


「いえ、そうではないんですけど―――全国二位にまでなった先生が、どうやってそこまで強くなったのかが、純粋に気になったというか」


 自分なりに踏ん張ったつもりだった。それでもやはり、発した言葉は本質から遠回しのものになってしまっていた。


「ふむ、そういうことですか。ですが―――そうですねえ。振り返ってみても、継続と工夫くらいしか思い当たらないというか―――勿論、細かく言えば苦悩やら挫折やらもあったんだとは思いますけどね」


 挫折、という単語が耳に入った途端、熱田は目の前の視界が晴れた気がして目を見開いた。たった一つの単語が、自分を求める回答への道を開いてくれたような感覚に身を任せ、熱田は口を開いた。


「挫折って、具体的にはどんな」

「具体的に―――? まあ、勝てなくなった、とかですかね。後は自分のスタイルを模索している期間なども、長い期間の挫折と捉えてもいいかもしれません」


 突如として食いついてきた熱田に驚きつつも、浪川は身体を引くことなく彼と向き合っていた。そして心のどこかで、彼の姿勢について心当たりを覚えていた。


「そう―――ですか。そういう挫折もありますよね、わかります」


 相槌のように聞こえるその言葉の節々には、熱田の煮え切らない思いが見れ隠れしていた。

 それを浪川が見逃すはずもなく、浪川は相手の鍵穴に合う鍵を探すような感覚で熱田の本音を探った。


「そういえば、露峰君との一戦。相当やりづらそうでしたね。やっぱり、ああいう相手は物珍しかったですか」

「いや―――? そんなですけどね、割と余裕だったと思いますけどね。これはマジで」


 そう話す熱田の目は、明後日の方向を向いていた。

 時を同じくして、突然自分から目を背けた露峰に野上は声をかけた。


「ん? どした露峰」

「いや―――なんだか今、馬鹿な虚勢のために俺が下げられた気がしまして」

「―――?」


 露峰の視線の先には、熱田と浪川がいた。


「そうですか、では私の勘違いですね。審判として君たちをすぐ近くで見ていたので、これは確かかと思ったんですが」


 熱田は歯を食いしばっていた。今、言わなくては、俺は一生助けを求められなくなってしまう。そんな気がした。


「苦戦はしてません。してませんけど―――」

「はい」浪川は青年の葛藤を目の前にして、困惑から言葉を失っていた。


「ちょっと―――俺の剣道が崩れちゃった場面は、あったかもしれないです」


 熱田は改めて自分のプライドの高さに嫌気が差していた。どうしてこう―――素直に悩みをぶつけられないんだ、俺は。食いしばる歯が、キシキシと音を立てる。


「ふむ―――確かに、言われてみればあれは"露峰君が貴方を崩した"、というより、"貴方が自分から自分の剣道を崩していった"と言った方が正確かもしれませんね」


 なにかを思い返すように斜め上を眺める浪川の言葉を、熱田は黙って受け入れていた。

 無言の肯定。これを浪川は怪訝な表情で受け止めた。


「しかし、だとすればあれは、なにが引き金となっていたのでしょう。あの場面で己の型が崩れるとなれば、大概は相手が起因となっていそうなものですが」


 熱田は唾を飲み込んだ。彼の強さはきっと、本物だ。この壁を乗り越える術も、知っているに違いない。熱田は顔を上げた。


「聞いて―――もらえますか。俺にかかってる、呪縛の話を」


 目を血走らせている熱田に反して、浪川はきょとんとしていた。


「おーい、また目線がどっかいってるぞー」

「あぁ―――すいません」


 野上は気の抜けたような顔を浮かべる露峰を前に、眉をひそめていた。


「どうした、やっぱり気になるのか」

「いえ、そうでもないです。すいませんでした、次からは気をつけます」


 そう言うと露峰は、なにかを払拭するように少し頭を振った。長めの前髪が首の動きと連動し、少し遅れて揺れる。

 改めて見ると―――やっぱり美形だな、こいつ。野上はため息をつくと、首を回してもう一人の美形に目線を移した。


「気を遣わなくていい。正直に言ってみろ、そういうのがあるんだろ」

「そういうの―――?」次は露峰が眉を曲げていた。


「だーから、そういうのだよ。ほら、先生とお前って―――一言では語れない関係なんだろ?」

「は―――?」露峰の身体には感じたこともない悪寒が走っていた。

「ここだけの話、俺には姉貴がいてな。あんまり知りたいものでもなかったが、姉貴が布教してくるせいで、嫌でもそういう知識がついちまってな。そんで、姉貴が言うには―――」


 予感はしている。それでも、露峰の口は痙攣してまともに動こうとしなかった。


「美男と美男が揃えば、そこには愛が生まれる。それは運命であり、抗えないものだって―――」


 野上が言い終わるよりも先に、露峰は野上の口を両手で覆った。これ以上は、なにがなんでも、聞きたくない。感情が先行した結果だった。


「むごっ―――あ、あんあよー!(なんだよー)」

「違いますから―――! それ以上気色の悪いことを言わないでください、お願いですから」

「で、でも―――」

「お・ね・が・い・で・す・か・ら―――!」


 露峰の見た目からは想像もできない険相に、野上は口をつぐんでゆっくりと首を縦に振った。


「いいですね?」

「わ、わかった―――ごめん」

「はぁ、ほんとに―――」


 露峰は野上から離れながら、同時に頭を抱えていた。未だに頭の中がぐわんぐわんと揺れている感覚が消えない。

 露峰は野上に向かって特大のため息を吐きながら、互いを納得させるために言葉を並べた。


「確かに、俺は翔蛉高校に入ってくる前から彼を知ってました。でも、彼と会ったのはたったの一回なんです。関係性なんてほぼないようなものですよ」

「え、そうだったのか。てっきり道場内とかの因縁があったりするのかと―――」

「無いですよ。だいたい、彼は浄心の人間じゃないですしね―――それに」


 野上からゆっくりと移された目線の先には、熱田と浪川の二人が神妙な表情でなにかを話している姿があった。


「俺が見ていたのは、もう一人の方です」

「もう一人―――? 熱田か」


 露峰と同じ方向に顔を向けながら、野上は頭を回した。露峰が熱田を目で追う理由といえば―――なんだ? 昨日の試合がそんなに屈辱的だったとか?

 他にもいくつかの候補が脳裏に浮かんだが、そのどれもが違うことは本人に確認せずとも分かった。


「にしても、なんで」諦めて尋ねた野上を見ることなく、露峰は熱田から目を背けた。


「彼も彼なりに、色々と悩んでそうだったので。"ある意味での同族"として―――なんて言ったら怒られそうですけど―――ちょっと心配なんですよね。なんとなく」


 そう語る露峰の目は、どこまでも底が見えない海のように黒く、近くの光を吸い込んでしまいそうな深さを滲ませていた。




「「「「「「ありがとうございました―――!」」」」」」


 各々が基本に立ち返り、一から基礎を叩き込んだ稽古が黙想と共に終わりを迎える。誰の額にも汗は滲んでいなかったが、その身体には確かに経験が刻まれていた。


「お疲れ様でした。普段では中々しないような練習内容でしたが、各自満足のいく稽古ができましたか?」

「「「「「はい!」」」」」


 正面に正座している浪川の問いかけに、五人は景気よく返事を返した。

 それを見て浪川は満足そうに笑うと、引き続き全員を眺めるように首を回した。


「皆さんが今日実感したように、剣道とは守・破・離が重んじられている武道です。今日叩き込んだのは、"守"です。皆さんはこの"守"を嫌というほど身体に刻み、その後で"破"へと進みます。

 まあ、なにが言いたいかというと、強くなるには基礎はないがしろにできないということです。これからどんな稽古をする時にも、このことは忘れないでくださいね」

「「「「「はい!」」」」」


 若い声が道場内に響き渡る。全員で合わせて声を発する度に、五人は自分たちの繋がりが濃くなっているように感じていた。


「さて、今日の稽古はこれで以上ですが―――これからの稽古はどうしましょうか」

「どうっていうと―――?」野上が首をかしげる。


「内容ですよ。今までは野上君や加藤君がやっていたような内容を、熱田君と伏見君が少し改良して行っていたでしょう? ですが今、遅ればせながら私という顧問が現れた。いわば、練習内容を外野から考えてくれる存在ができたんです。

 皆さんが望むのなら、私が稽古内容を考えてもいいかな、とも思ったのですが、どうでしょう」

「お願いします」


 いち早く頭を下げたのは熱田だった。それに続いて全員がドミノのように頭を下げていく。


「―――ええっと、それは全員の総意ということでいいんですかね?」

「俺は異議無いです。強い人に考えて貰ったメニューの方がいいのは分かってますし」

「俺も!!」


 野上に続いて頭を上げた加藤は、勢いよく賛同の手をあげた。熱田はまっすぐと浪川を見つめている。

 

 "俺は賛成に決まってる"という圧を受けた猫丸は、ゆっくりと頭を上げた。


「僕も賛成です。よろしくお願いします」


 猫丸の隣で、露峰も小さく首を縦に振った。


「分かりました。じゃあ次からは私が練習内容を指示します。ですが、なにか疑問点や不満等があればすぐに言ってください。思うところがあるのにやらされている、というのは、部活としては最低だと、私は考えています。

 それに、我々は顧問と生徒である以前に、同じ部活のメンバーなのでね」

「「「「「はい―――!」」」」」

「うんうん―――あ、あと」

 

 浪川はなにかを思いついたように手を叩いた。


「これを聞きたかったんですが―――皆さん、地区大会は見に行きましたか」


 五人は一瞬固まり、すぐに互いに目を見合わせた。


「俺は行ってない―――ってかいつやってたのかも知らん―――」

「俺もだあ―――」野上の不安そうな表情に加藤が続く。


「な―――!? 地区大会ってそんなに早かったか!? しまった、俺としたことが―――頭からすっかり抜けちまってた―――」

「僕もだ―――顧問の先生任せになっちゃってたからかな、そういう日程とか全然知らなかった」


 熱田と猫丸はどこにもぶつけられないやるせなさを抱えながら顔を合わせ、連動するように露峰へと目を向けた。

 そこにあったのは『俺が行ってるわけないでしょ』と言わんばかりの呆れた表情だった。


「そうですか。皆さん行ってないんですね」

「クソ―――出たかったのに―――!」

「出るのは難しいでしょう、日程的に」


 失意の底にいる熱田は一度見ないことにし、浪川は他の四人を目で追った。

 熱田君ほどではないが、彼らの心の奥底がそわそわしているのが隠しきれていないな―――浪川の目は自然と綻んでいた。


「出るのは難しいですが、見に行くことならできますよ」

「えっ、でも地区大会はもう―――」


 猫丸の不安を余所に、浪川はふっと笑みを浮かべていた。


「我々が見に行くのは地区大会ではありません。愛知県の強豪が集まる大会―――"県大会"ですよ」


 県大会。その単語が道場に響き渡ると同時に、その場にいた全員の体温が上がる。頭に血が上る者もいれば、その場にいる人間達を頭に思い描いて脂汗が背中に滲む者もいた。

 三者三様の反応を見せる翔蛉高校剣道部だったが、ただ一つ、共通していることがあった。


 それは"見てみたい"という純粋な興味だった。そこにいるのがかつての仲間であれ、まだ見ぬ強者であれ。今の愛知県県道のレベルを、この目で見てみたい。

 あわよくば、その場に自分たちが立つところを頭に思い描きたい。そんな希望に似た熱が、彼らの心身に巡っていた。

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