新進気鋭(しんしんきえい) (3)
「分かった。それでもいいから、部活に入れてよ」
静かな闘志と共に告げられた言葉を受けて、部員一同は一瞬顔を見合わせた。
答えは、決まっていた。
「熱田、文句ないな?」野上が口角を上げながら、熱田に目を向けた。
「文句どころか、大喜びですよ。こっちから無理矢理誘いに行かなくて良くなったんですから」
「どのみち連れ込む気だったもんな、お前。じゃ、俺らの総意は一つだ」
野上はそのまま立ち上がり、「ほら、立て」と手で煽るようにして他の部員も立たせた。
元々立っていた加藤だけは、その場で何をすれば良いのかあたふたしていたが、それ以外の二人はすっと立ち上がり、野上へと続いた。
座ったままぽかんとしていた露峰の元へと四人で歩み寄ると、野上から順々に露峰をヤンキー座りで囲んだ。
浪川はその様子を傍から眺め、ふっと笑っていた。
「ようこそ、
にたりと笑う野上の右手は、手の甲を上にした状態で露峰の前に差し出されていた。
握手ではなかったことに露峰が驚いていると、その隙を突いて加藤が「ああ、そういうね」と瞬時に理解し、野上の右手に自分の右手を重ねた。
段々と理解し始めた熱田と猫丸も、続けて手を重ねる。露峰はそんな四人を見て、ようやく理解したようだった。
「よろしくお願いします」
露峰がそう言って最後に手を重ねると、野上はにかっと笑い、思い切り腕を振り上げた。
「翔蛉高校剣道部、ファイトォォォォォ!!」
「「「「おおおおぉぉぉぉ!!」」」」
今この瞬間、翔蛉高校剣道部のメンバーが正式に、揃い踏みとなった。
全員が手を振り上げ、思い思いに声を上げている姿は、剣道らしい男臭さを含みつつも、どこか爽やかな青い空気を纏っているのだった。
全員がある程度余韻を楽しんだ後で、浪川が横から控えめに声をかけた。
「あの、私は―――」
「え? 先生は顧問決定でしょ」
「ああ、はい―――よろしくお願いします」
あっけなく告げられた事実に、浪川は目が点になっていた。
「お? これはもしや先生もやりたいんじゃないのー? きっとそういうことだよ野上くん」
加藤が肘で野上を小突くと、野上は「ああ、そういうことね。任せといてくださいよ先生」と再び浪川の前に手を差し出した。
「いや、そういうわけでは―――」
「翔蛉高校剣道部――――」
「ああ、もう。分かりましたよ」
浪川の言葉は誰の耳にも届かず、野上はかけ声を始めていた。
「ファイトォォォォオオ!!!」
「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉ!!」」」」」」
六人の声はそれぞれが個性的な波長で道場内に響き、その波が完全に消えるのには相当の時間を要したのだった。
「で、今日はどんなメニューの予定だったんですか?」
露峰が部室で着替えている間に、浪川が野上に尋ねた。
部員の四人は先ほど同様、二対二に別れて基本のおさらいをしていた。唯一変わっていたのはペアで、熱田と猫丸が入れ替わって先輩らの相手をしていた。
「今日は基本徹底デーなんですよ。俺の希望で」
「基本徹底―――なるほど。だから皆さん防具を着けていないんですね」
浪川が目を向けた先のロッカーには、全員分の防具が綺麗に並べられていた。
既に部活が始まってから四十分は経っている。普段ならとっくに防具を着けて、基本打ちをしている時間だった。
「あ、でもせっかく二人が来てくれたんだし、普通の稽古の方がいいですかね。それか、浪川先生が考えたメニューとかでもいいですけど」
「いえ、基本徹底デーでいいと思いますよ。私もそうですが、露峰君も昨日を除けば久々の剣道でしょうし。我々としても、ありがたいことです」
「そうですか、じゃ、このままで」
野上はぺこりと頭を下げた。それと入れ替わるように、次は熱田が浪川の前に立った。
「先生」
「はい」
浪川は目の前の少年の目つきを見て、過去に自分が彼の誘いを断っていたことを改めて思い出した。
「露峰と一緒にこの部活に入ってくれるってことは、前はできないって言ってた指導とかもしてくれるってことですよね」
「―――ええ、そう捉えてもらって、問題ありません。今日からは活動日には基本、顔を出そうと思っています」
「―――そうですか。ありがとうございます」
そう言うと、熱田は小さく頭を下げて後ろに下がっていった。
浪川は呆気にとられていた。
てっきり、以前自分の誘いを断っておきながら、ころっと手の平を返して戻ってきたことを責められるのかと思っていた。
他意はないが形として、彼ではなく露峰君を選んでしまったように見えていることも、少し気にしてはいたのだが―――
「お待たせしました」
部室から姿を現した露峰は、肩に大きな竹刀袋を担ぎ上げていた。その竹刀袋は紺色の生地に金色の鯉のような刺繍が入っており、その中心には綺麗な刺繍で"露峰"と刻まれていた。
露峰が少し首を回して道場内を見渡していると、すぐ側にいた猫丸が瞬時にその竹刀袋に反応を示した。
露峰の元へと駆け寄り、竹刀袋に顔を近づける。
「あー、やっぱり―――カッコいいよね、その竹刀袋―――」
「え、あぁまあ。使い古してて、割と色褪せてきてるけどね」露峰は少し引き気味にそう言った。
「それでもカッコいいよ。昔からよく見てたけどさ―――ちょっと憧れてたもん」
「あー、伏見は小学校の頃から剣道やってたんだっけ。ならこの竹刀袋は見飽きてるかもね」
露峰は自分の言葉に何かを気付かされ、少し天を見上げて頭を回した。
「―――あれ、もしかして伏見、浄心にいた?」
「いや、僕は全然違う道場だよ。ちっさいとこ、多分知らないと思う。それでも、この紺に金の刺繍が入った竹刀袋は、試合場で死ぬほど見たからね―――」
「まあそうだよね、小学校の部なんて、ほとんどうちの道場の門下生みたいなもんだったし」
露峰の台詞から、猫丸は当時のことを思い出して目をギラつかせた。
右手を握りしめ、口角はふつふつとした怒りによって吊り上がっていた。
「ほんと、強いんだよね、浄心道場の人達―――! なんとか勝てたと思ったら、次の試合で当たった浄心道場生にボコられるし―――良い思い出ばっかりだよ―――!」
「その―――なんか、ごめん。強いやつは強いんだよ、あの道場」
露峰が乾いた笑いを浮かべていると、隣では猫丸同様、竹刀袋に興奮を隠せずにいる加藤がいた。
「でも、お前はそこの三位だったこともあるんだろ。クソ強えじゃん」
「あった、ですよ。過去の栄光ってやつです。第一、あそこでは常に強いやつの方が珍しい。順位だって、コロコロと入れ替わる。あの時期の男子の成長って、著しいですからね」
「そんな卑下しなくてもー、カッコいい竹刀袋持ってんだからさあー」
そう言って竹刀袋に触れようとしていた加藤を横目に、露峰は「関係ないでしょそれは―――」と呟いた。
その言葉を聞き逃さないように、少し離れた所で練習していた熱田も騒ぎの中心に顔を出した。
「お前んとこの道場は、どいつもこいつもこんな派手な竹刀袋ぶら下げてんのか。目立ってしょうがねえな」
「それが狙いなんじゃない? こういう見た目に惹かれるようなタイプも、あっちからしたら良いカモな訳だし」
露峰はそう言って加藤と熱田を指さした。二人は「なっ!?」とショックを受けている。
「でも―――これはあんまり自分では言いたくないけど、全員がここまで派手なやつを持ってるわけじゃないよ」
「まさか、上位勢だけとか―――!?」
「まあ―――というか、さっき話した三位とった試合、あれでもらったんですよ」
その場にいた全員が、「嫌味かこいつ―――」と心の中で呟いた。しかし当の露峰は"事実を述べただけ"とすました顔をしている。
「浄心道場で買える防具は、基本的に紺と金で統一されてます。でもこんな派手なのは、何かしら結果を残さないと貰えません」
「確かに、人によってちょっと違ったかも―――」猫丸は記憶の中の強者を頭に思い描いた。
「でもそれって―――なんか、見ようによってはちょっと残酷だよな」
ふと呟いた野上の言葉が、露峰の心のかさぶたを引っ掻いた。
「どうしてですか、大会に勝ったら賞状が貰える、それと同じじゃないですか」
熱田の疑問はもっともだ。それは野上にも分かっていた。
でもどうしてだろう、与えられるのが道場内という、コミュニティの中での功績だからだろうか。それとも、強者らに対する小さな嫉妬心からか。
―――いや、違う。これは露峰の話を聞いたからだ。野上は確信した。
「そりゃあ、そうなんだけどさ。でも、ほら―――そういうの貰うとさ、そいつはずっと"強く"なきゃいけないんだって、周りに言われてる気がするんだよな。それが重圧になったりしそうで、俺だったら辛いかなって」
強くなくなったら、周りの視線が痛くなる。その言葉は、目の前にいる露峰のためにも心の内に秘めた。
誰もが口をつぐんでいる中、唯一口を開いたのは、熱田と野上の後ろに着いてきていた浪川だった。その声色はハキハキとしており、それは彼が自分の発言に自信を持っていることを顕著にしていた。
「野上君の言ったこと、全て正しいです。それに、これは試合でも同じことが言えます。前年度勝った人間が、もし次年度初戦で敗北すれば、周囲はきっと『弱くなってる』だの『あれはまぐれだったのか』だの、好き勝手言い始めます。
しかしね、これだけは皆さんに覚えておいて欲しいんです」
浪川は目に力を込めた。
「成長するためには、変化しなくてはなりません。というより、変化こそが、成長なんです。たとえその変化によって、試合に勝てなくなったとしても。それは経験の一つです。成長過程なんです。
それに、貴方達はまだ学生です。プロじゃない。変化を恐れるには、あまりに早すぎる。勿論、勝ちにこだわるのは目標設定として大事なことですが、それを恐れや躊躇いにしてはいけません」
露峰は浪川の言葉を、ある人間の言葉と重ねていた。
『一度試合に勝てなかったからといって、自分を否定してしまうのは勿体ないのではないか』
『君はまだ若いのだから、もう少し己を信じてみたまえ。それからでも、遅くはないだろう』
未熟だった自分が、適当なことを言われた、俺が勝てなくなったのはあの人のせいだ、と見限った先生と、浪川は似たようなことを言っている。
しかし、今だから分かる。きっと、彼が言いたかったのはこういうことなんだろう。
土本先生―――あの試合以降、会うこともなくなった恩師に、露峰は思いを馳せていた。
いつか―――今の俺のまま強くなった姿をみせてあげたい。その思いが、露峰の新たな原動力になり始めていた。
「周囲の顔色と、自分の成長。どちらを取るかは皆さんに任せますが、私は圧倒的後者派ですね。前者を気にしていては、不変を望むようになってしまう。それは、勝負の世界において致命的ですからね」
「それってほぼ選択肢潰してるようなものじゃ―――」
「受け取り方次第ですよ」
猫丸の横やりも、浪川は穏やかな笑顔で軽くいなした。
「じゃ、おしゃべりはこの辺で。大分時間も経ってしまいましたし、練習を始めましょう。今日は基本徹底デーとのことなので―――どうしましょうか」
浪川が野上に視線を移すと、野上は全体を見渡して唸った。
「うーん―――どうしよう、先生も合わせて六人いるわけだし、二人ペアで確認するってのを続けるか、それとももう面付けちゃうか」
「どうせ基本をしっかりやるなら、このまま面付けなくてもいいと思いますけどね。二人ペアを作るなら、私も着替えてきますし」
浪川はそう言って更衣室を指さした。
「え、先生も持ってきてるんですか。道着とか」
「いえ―――ですが、うちの学校には剣道の授業があります。予備でもなんでもあるでしょう。衛生的にあまり好みませんが、今日ばかりは仕方ありません」
若干顔をしかめる浪川を見て、全員が内心で共感していた。
少し悩んだ末に、野上が「よし」と手を叩いた。
「じゃあ先生の言葉に甘えて、引き続きペアになって素振りと足の練習をしよう。
このペアの練習は、互いが互いのフォームとか癖を見て、色々と言い合いながら矯正していくってのが目的だ。だから先輩後輩関係なく、遠慮せずに意見してくれ。頼むな」
野上はそう言って露峰に目を向けた。露峰は力強く頷いて「はい」と声を上げた。
「よし! じゃあペアは―――」
「お願いします―――!」
野上が適当にペアを決めるよりも前に、熱田が全員の間に割って入った。熱田がペアを申し出ていたのは他でもない、浪川だった。
「―――はい、よろしくお願いします。じゃ、ちょっと待っててくださいね」
浪川が更衣室に消えると、熱田は「よし」と小さくガッツポーズを取っていた。
「なんだよお、びっくりしたなあ」加藤は目をぱちくりさせていた。
「こういうのは早い者勝ちなんすよ。貰いました」
そう言って「へへへへ」と加藤を見下ろす熱田の表情は、若干したり顔を浮かべているようだった。
「俺もびっくりしたぜ、急に血相変えてお前」そんな熱田を前に、野上も面食らっていた。
「―――でもこの光景ってあるあるだよね、道場とかだと」
「まあ―――そうだね」猫丸に目を向けられて、露峰は嫌なことを思い出したような表情を浮かべた。
「え、そうなの? 浄心道場とかどうだったんよ」
「うちも伏見の道場も変わらないと思いますけど―――なんか先生が準備するってなったら、俺らの方から稽古をお願いしにいかなきゃいけない、みたいな、暗黙のルールがあるんですよ。先生が空いてる状況を作っちゃいけない、って」
「あー、なんとなく想像できた。地稽古とかでってことだろ?」
「そうですね、後はかかり稽古とかもそうです。だよね」
露峰が猫丸と熱田に目を向けると、二人はぎこちなく首を縦に振っていた。
「ちょっと待てい、なんで嫌そうに言うんだよ、露峰。強い先生に稽古つけて貰えるって、めちゃめちゃ嬉しいことじゃんかよ」
「加藤先輩―――それは珍しいタイプですよ。基本的には皆、先生とかとやるのは避けてるんです。無駄に厳しかったり、剣道の癖が強かったりするんで―――」
露峰はそう言いながら、道場全体に漂う違和感を全身で受け止めていた。
そして全員を視界に収めて、露峰はため息をついた。
そうだ、この人たちは全員、その珍しいタイプの人間なんだ。それに気付いた露峰は「いや、なんでもないです」と目を逸らし、途中で発言を中断した。
「まあ先生と組むやつはローテーションするとして、ひとまず俺ら四人も手っ取り早くペア分けしよう。そうだな―――とりあえずは学年をばらけさせるって意味でも、俺と露峰、加藤と伏見って感じにするか」
「「「「はい―――!」」」」
野上の号令に従って、四人は各自道場内に散らばった。
野上と露峰は道場の中心付近、加藤と猫丸は道場の入り口付近に集まり、熱田は道場の正面で浪川を待っていた。
それぞれが練習を始めて数分、熱田の元に浪川が現れた。その左手には竹刀を携えており、言わずもがな姿勢はピンと張っていた。
この人が、全国二位にまでなった剣豪―――熱田は頬を綻ばせていた。
「すいませんね、久々の着付けだったもので。少し手間取ってしまいました」
「いえ、全然です。よろしくお願いします」
熱田は竹刀を握る左手に、力を込めた。
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