一念発起(いちねんほっき) (4)
「お疲れ様でした」
面を外した二人に、猫丸が真っ先にかけた言葉だった。
一年もの間、たった二人で切磋琢磨してきた。その間にも何度か地稽古による仮初めの勝敗はついていただろうが、今回のように試合形式で第三者に勝敗を判定して貰うことはこれが初めてだったという。
そして今、加藤の勝利という形でその決着がついた。勝った加藤も、負けた野上も、猫丸が想像できないほどの想いが心の中を渦巻いていることだろう。だからこそ、猫丸は迷った末に出た言葉はただひたすらにその戦いをねぎらうだけのものにした。
「お疲れ様っす」熱田も猫丸に続いた。真っ正面から二人に向き合っているとはいえ、どこかその表情にはためらいがみえた。
様子をうかがう後輩二人の前で、先輩二人は互いを見合わすことなく脱いだ面を睨み付けていた。余韻に浸っている、という表現が一番適しているようで、呆けているような表情の裏に、ざわめくものが収まらないでいた。
しかし数秒後、そのうちの一人が目線を天井に移して大きく息を吸い、その重苦しい空気を切り裂いた。
「いやー、せっかくの初試合負けるとはなあ。クソ悔しいな、やっぱり」
野上は言い切った後に歯を食いしばった。一年間こいつとやってきたからこそ、どこかで、こうなることが分かっていたような気がする。それが余計に悔しいし、腹が立つ。
でも、負けは負け。それ以上でもそれ以下でもない。野上は目の前の後輩達を不安にさせないために、全て唾と共に飲み込んだ。
そして野上は珍しく黙り込んでいる加藤の方を目だけで睨んだ。
「なにらしくもなく黙り込んでるんだよ、加藤。一ミリでも俺に後ろめたさみたいなもん感じてたらぶっ飛ばすぞ」
加藤はそれを聞いて少し黙り込み、ふっという笑い声とともににたりと口角を上げて野上の方を向いた。そこには野上の不安さえ杞憂に思えるような、そんなまっすぐな表情があった。
「ざけんな、剣道はそういうもんだろーが。そんなこと思うかよ。でもまあ、ちょっとあれだな。俺たちの高校剣道部物語の第一章が終わっちまった気がして、それはなんか寂しい気持ちだ」
加藤はそう言って目線を外した。熱田と猫丸にとって"寂しい"という言葉は先輩二人にとってとても重たいもののように思えていた。
しかし、すぐに野上が加藤の頭を軽くはたき、言い放った言葉がその場をしんみりさせることを許さなかった。加藤は「いって、なんだよ」といつもの調子に戻りつつあった。
「だから、らしくないっての。気持ちは分かる。俺も終わった瞬間ちょっと感傷的になっちまったからな。でもお前、この場合の一章完結は、喜ぶとこだろ。見ろ、第二章では味方にこんな優秀な新キャラも増えた。四人になって試合にも出られるようにもなった。
わかるか、俺たちはこれからもっと強くなるんだぞ。どうだ、楽しみになってきただろ」
加藤は一瞬面食らっていたが、すぐに小さく笑ってすっと立ち上がった。そして後輩二人を見て、にたりと笑った。
「ああ、さいっこうの気分だよ。そんで野上、この試合は何度だってやるぞ。俺たちが強くなったら、その都度やるんだ。いいか、俺たちは今まで以上にライバルだ。ぜってえ負けねえからな、このまま完勝で卒業までいってやるわ」
「はあ? 今回だって圧勝だったわけでもないのによく言うわ」
「勝ちは勝ちだろーが、お前は次試合するまで俺より弱いんだからあんまでけえ口叩くなよ」
「あ? なら今からもう一戦して引き分けにしてやるよ」
「はー? なんでそっちが勝つ前提なんですかー、訳わかんねー」
二人の諍いで一気に同場内の緊迫感が解かれていくかのように、窓を開け放っていた道場に外の空気が一気に入り込んだ。
「圧勝ではなかったことは認めるんだね、加藤先輩」
「相手の力量は、対峙したヤツがいっちゃん分かるもんだ」
そんな二人を見ながら、猫丸と熱田も綻ぶように笑い合った。
「で、明日からどうするよ。今日であらかた練習内容とか実力も分かったわけだけどさ」
部室で着替えながら、加藤が三人に尋ねた。そう言われて熱田が首をかしげる。
「いやあ、俺も考えてたんすけどね。五人いれば、休んでる一人が四人のことを見て一回一回指摘してーみたいなことできたんすけど、俺ら今四人じゃないすか。それで誰かが誰かを見るとなると、二人がやってるところを二人で見ることになるんすよね、打ち込みながら見ることなんてできないんで。
それは流石に効率悪いし、どうしようかなあって思ってたんす」
熱田は改めて人数の少ない部活の弊害を実感していた。これであの顧問が練習にも来てくれりゃあ―――そう思わずにはいられなかった。
「でもしょうがねえんじゃねえかな、それは。今すぐ部員が増えるわけじゃないし、熱田が創部届に書いた奴らは総じて剣道なんてやったこと無い奴らばっかだろ? すぐ受け役として来てもらうわけにはいかないだろうしよ」
加藤は竹刀を振るような手振りをしながら口を曲げていた。
「そうだなあ、じゃあ熱田は固定でそれ以外の三人でローテーションする感じはどうだ、熱田が圧倒的に上手いのは間違いないだろうし」
「それは嫌っす、俺も稽古したいんで。それなら普通に四人でローテーションして、決まった二人が二人を見るってのの方がよっぽどいいっす」
「「ええ―――」」
相変わらず剣道への熱量は人一倍な熱田を前に、加藤と野上は感嘆と呆れを混ぜた声を漏らしていた。
傍から話を聞いていた猫丸からしても、この悩みを今すぐ解決するのは難しいことのように思えていた。
猫丸が何も言えずに淡々と片付けを続けていると、ふとある言葉が頭をよぎった。それは浪川が猫丸と熱田に先輩らのことを話していたときのこと。
『剣道場と部室を使って良いのは当然、剣道部と授業で使う場合だけな訳で―――』
ということは、この高校でも剣道の授業があるはずだ。猫丸はそれに気付くと、すぐさま加藤と野上に声をかけた。
「あの、この高校での剣道の授業ってどのタイミングでやるんですか」
突然顔を出した猫丸に三人が目をやる中、野上が記憶を探って話し始めた。
「一年の一学期と二学期途中までだな。ほら、時間割で武道ってのあるだろ。それが二年の後半と三学期は柔道になるんだよ。それが最後で、二年からは一切武道の授業はないな」
「へえーそうなんすね」
「お? 剣道大好き君なんだから、こういうことも興味あるかと思ったら、そうでもない感じ?」食いつきが弱い熱田に、加藤が突っかかった。
「いや、興味ないことはないですけど―――授業でやる剣道って、本当に基礎の基礎だし、打ち込みとなっても僕らからしたらなんか危なっかしくて、クラスメイトに合わせること以外考えられないんですよね。なのでそんなに楽しみでは無いってだけです。中には馬鹿にする奴らもいますし。
全員が野上先輩みたいな感じだったら良かったんですけどね」
「なんだよう、よせやい」
「ええ、きしょいな。照れてる先輩きしょいな」
再び加藤と野上の戦争が始まる前に、猫丸はそこに口を挟んだ。
「じゃあ、僕と熱田君が見つけてくれば良いですよね。受け役でもいいから、してくれるような人を。何人かいれば、一人が週五とかで来てもらわなくても良くなりますし、三人くらい帰宅部の子を連れてくることができれば」
目を輝かせて三人に提案する猫丸を、三人は目を見張って見つめていた。その瞳は、一番人との会話が苦手だろうお前がその提案をするとは、という驚きから生まれたもの他ならなかった。
「そりゃそうしてくれるなら勿論俺たちは嬉しいけど―――なあ?」
「伏見ちゃん、マジでなかなか見つからないぜ、そういうの」
熱田は何も言わなかったが、浮かない表情から察するに先輩らと思うところは同じなようだった。
言葉にしてから猫丸も思い出した。自分のクラスの中に剣道経験者だと語る者は一人もいなかった。熱田も仮の部員で人数を埋めるくらいに切羽詰まっていたことを思うと、きっと状況は猫丸と同じだろう。
猫丸は肩を落とした。
それを察してか、熱田が長く息を吐いて言葉を足した。
「でも、なんだ、部員になれってお願いするわけでもねえしな。ちょっと練習に付き合ってくれる、ってだけならなんとかなるかもしれん。どのみち、ちゃんと受けられるのかを見極めなきゃいけないわけだがな」
「熱田君―――」猫丸の目は拾われた猫のようになっていた。
「そこの見極めは任せるからな―――まあ、お前は目が良いわけだし別に疑ってはねえけど」
「うん、頑張るよ。もしかしたら隠れ剣道ファンがいるかもしれないしね」
「それはねえだろ。それなら剣道好きを公表したお前になんのコンタクトもないの寂しすぎるじゃねえか」
「確かに―――」
一年生コンビの会話を聞いて、野上はただゆっくりと頷いていた。それを見た加藤はそれを二度見し、若干引いていた。
「なにお前、後方腕組み面かましてんの」
「いやあ、仲良くなったなあって思ってさ―――だってさ、こいつら俺らのとこ来たときろくに互いの名前も知らなかったんだぞ」
「それは確かに―――って言ってやりてえけど、それから一日しか経ってねえからな。多分そこまで関係性変わってないぞ」加藤は目を細めて二人を見ながら耳打ちした。
「うぅん―――」
加藤に突っこまれて野上は首を止めた。不安も残る二人だが、実力からみてもこの部活に追い風を吹かしてくれる存在であることは疑いようがなかった。
お前らの肩の荷にならない程度に、期待してるぞ。
野上は胸の内で彼らに明るい未来を託し、勢いよく手を叩いた。
「はいはい、まあお前らが誰か連れてきてくれるまではさっきの方向で進めるって事で。ほれ、はよ帰るぞ。試合したりしたせいでもう遅いんだから」
「「はーい」」
猫丸と熱田は再び着替えをするなり、支度をするなりで手を動かし始めた。
部室の窓からみえる外の景色は既に明度が下がっていた。時々入り込んでくる風は部員達の肌を冷まし、同時に汗や道着の匂いのする空間を浄化しているようだった。
それから二週間、授業での剣道は竹刀を持つことすらなかった。一週目は剣道の歴史やこれからのことを話すだけのオリエンテーション。二週目は胴着の着方や防具の付け方、最後の方にすり足をしてみる、といった具合だった。
剣道に興味がありそうな者、という意味で言えば、相当数いるようにみえた。しかしそれは剣道に興味がある、というよりも、竹刀を持って打ち合うことに興味がある、と言った方が正確だろう。
熱田にガンを飛ばされた数人は恐怖からか真面目に取り組むようになっていたが、それ以外の数人はやはりとにかく竹刀という棒に興味津々なようだった。
そしてようやく訪れた三週間目。今日はどうやら竹刀で素振りを行うらしい。最後には簡単に部位の高さで構えた竹刀に向かって打ち込みもするとのこと。猫丸は自分がどうするかよりも、教室全体に目を凝らすことに全神経を集中させていた。
「はい、じゃあ今日は早速竹刀に触れていこうと思います。まずは持ち方なんだけど―――」
「すげえ、竹の剣だぜ? 誰が考えたんだよこれ」
「なー、でもやっと触れたわマジで。後で真剣勝負な」
「おう、受けて立つぜ」
「男子うるさい、また先生が怒るでしょ―――」
「お前ら、これ以上授業が進まなかったら一生竹刀すら触れないわけだけど、いいのかな?」
先生の一言が、教室内を凍らせた。なんでもいいから早くしてくれ、と思っているのは猫丸だけではなかったのだろうが、その熱意に関しては猫丸は誰にも負けない自信があった。
いざ皆が竹刀を持って面を打つようにして振る、正面素振りをし始めた頃。猫丸は海外のホラー映画に出てくる人形ばりに首を回して教室全体を見回していた。
誰か、誰か筋の良い生徒はいないだろうか。別に経験者であって欲しいわけではない。極論受けられれば良いのだから、ある程度構えがしっかりしていてまっすぐ立てていればいい。
誰か、誰か―――先生の話など片方の耳からもう片方に抜けていたとき、猫丸の耳に先生以外の声がしたのが聞こえた。
「伏見君、剣道部なんだよね。流石だね」
話しかけてきていたのは、サッカー部の児玉だった。あの時の事を未だに申し訳なく思っているのか、言葉尻は柔らかくまとまっていた。
「ありがとう。そうなんだ、あの時熱田君―――ほら、あのデカい男子の―――」
「うんうん、彼ね。彼には悪いことしたなあ、と思ってるからさ。俺もいつか彼の、というより、剣道部そのものの力になりたいと思ってるよ。手伝えることあったらなんでも言ってね、罪滅ぼし程度のことならなんでもするからさ」
「そんな、気にしないでよ。熱田君もそこまでは怒ってないと思うし。でもそうだね、その気持ちはありがたく―――」
そこまで言って、猫丸は児玉の事を観察し始めた。サッカー部ということもあり、十分な体躯を持っている。それでいてきっと運動神経も良いことだろう。
「児玉君、急で申し訳ないんだけどさ。少し竹刀をまっすぐこっちに構えてくれないかな」
「え? いいけど―――」
「そう、そんな感じで。僕も構えるから、少し竹刀を合わせてみよう」
児玉は先生に言われたことを思い出しながらも、目の前の剣道部の見よう見まねで竹刀を交差させた。
はたしてこれはできているのか、と不安に思いながら猫丸の方をみると、その目の鋭さに背筋が寒くなった。
猫丸は目を凝らして児玉の構えを分析していた。持つ位置、竹刀の高さは申し分ない。しかしそれに固執してか姿勢が前のめりになり、足の位置も大きくずれてほぼ仁王立ちになっている。
これは―――どうだろう。修正できる気もするし、見ようによっては癖となっていて難しいような気がする。猫丸は重ねて児玉に指示を出した。
「今からエアーで面打ってみるから、それを受けた体で避けてみてくれないかな」
「ちょっ、ちょっと待って」児玉は構えを解いて猫丸に詰め寄った。
「え、どうしたの―――あ、先生にばれたら怒られるよね、こんなことして」
「いや、違くて。純粋になんでこんなことしてるのかなって思ってさ。まあ打たれるのがちょっと怖いのもあるんだけど」
「ああ、そういうことね―――いや、それがさ―――」
猫丸が一通り状況を説明すると、児玉は首をかしげた。
「部員って伏見君と熱田君、それと先輩二人だけなんだ」
「そうなんだよ―――ほんとに少ないでしょ、あ、でも一応部活として五人いることにはなってるから、このことはあんまり口外はしないでほしいというか」
「いや、そういうわけじゃなくて。俺さ、
それにしては伏見君と会話少ないなとは思ったけど、ほら―――二人とも元々あんまり人と話さないじゃない?」
「露峰―――?」
猫丸は記憶をたどった。名前に聞き覚えはない。しかしまさか経験者を自分が見落としているとは―――しかしこれは大きな情報だ。
「ごめん、その露峰君ってどこにいるのかな」
「え、ほら―――あれ、どこいったのかな。ちょっと待ってよ―――あ、いた。ほら、あの子だよ」
児玉は首を回して道場の端にいる青年を指さした。露峰という名の彼は、ただ淡々と竹刀を振っていた。遠くからでは姿までは分からないにしても、猫丸よりも身長が高いのは間違いなさそうだ。
「もしその受け役? ってのになって欲しい人を探してるならさ、彼とかいいんじゃないかな。まあ俺が毎日部活あって難しいってのもあるけど、確か彼部活入ってなかったはずだし―――いや、聞いてみなきゃ分かんないけどね」
「ありがとう、本当にありがとう」
猫丸は話の途中で児玉の手を取り全力で握りしめ、ぽかんとしている児玉を置いて、猫丸は児玉に背を向けて露峰の方へと急いだ。
経験者か、経験者じゃないか。そこまではまだ判断できないにしても、彼の竹刀さばきはまるで風に靡く木々のように静かで、とにかく綺麗だった。
ある程度素振りを終えたのか、露峰は竹刀を肩に担ぎながら手首を回していた。
肘辺りの筋肉が張っているのが分かる。手のひらを握りしめたり離したりして、手のしびれを感じた。
「あの、さ。露峰君だよね」
自分を呼ぶ声が、左肩の後ろの方から聞こえる。一メートルくらい離れた場所から声をかけている所から察するに、まだ距離感をつかみかねているのだろう。
一体誰だ、と首だけで声の主を視界に入れた途端、露峰は目を見開いた。
よりによって、彼か。
露峰は目線を落とした。
「そうだけど。何か用かな」
「よかった、露峰君って剣道やったことあるの?」
猫丸は遠目から露峰をみたとき、正直露峰が経験者だとは思えずにいた。
整った容姿に、さらさらと流れる髪。細身の身体と相まって、あまり剣道をしていた人間には見えなかった。
しかしどうだろう、近くで見ると肩幅こそ狭いにしても、腕は確かに筋肉がついており、なにより振っている手首がしなる鞭のようで、とても柔らかいようにみえた。
「だとしたら、何」
「え、嬉しいなあ―――じゃあ」
猫丸の期待を込めた発言は、冷たい吹雪のような一言で崩れ去った。
「俺、剣道部には入らないよ。君、伏見くんだよね。ごめんだけど、俺は剣道はやらない。だから自己紹介で経歴を話すようなマネもしなかったんだから」
「え、いや、そっか―――じゃあ受け役、受けるだけでも協力してくれないかな」
露峰は少したじろいだ。それでも猫丸は食い下がっていた。
「嫌かな。俺本当に剣道したくないんだ。才能無いし」
「そっか―――でも一回、一回だけとか。毎日じゃなくても良いんだ、週一でもいいから」
「そういう問題ではなくて。受け役をすること自体を断っているんだけど」
「えっ―――そうか―――うん、そうだよね―――わかった―――」
猫丸はこの上なく肩を落とした。
しかしダメだ、やりたくないと言っている人に無理にやらせることほど、相手からしたら辛いことはない。それは自分もよく分かっている。猫丸は自分を納得させるために竹刀の
それを見ていた露峰は眉にしわを寄せていたが、次第に目の前の人間の絶望具合にいたたまれなくなっている自分がいた。
「別に俺じゃなくても、他の誰かに頼めば良いんじゃない? 受けるだけならかかり稽古じゃない限り誰でもできるでしょ。痛いのは我慢しなきゃだけど」
「そうだね、そうする。ごめんね、無理言って。じゃ―――」
「―――はぁ。ねえ」
背を向けてとぼとぼとその場を去ろうとしていた猫丸を、思いがけない声が止めた。猫丸は力なくふり返り、露峰を見上げていた。
「どうしたの? 無理矢理誘ったりはしないから、大丈夫だから」
「その顔、態度。諦めるって感じじゃないでしょ。絶対後日になってネチネチ勧誘してくる未来が見える。
―――はぁ、わかった。でも約束して。一回だけ受けてあげるけど、その代わり俺を剣道部に勧誘するとかは絶対にやめてね。それが嫌で剣道の時間は君にみえないところにいたのもあるんだからさ」
「え―――」
猫丸は少しためらった。彼が経験者なのだとしたら、今入部してくれなくなるのは後々困るかもしれない。しかし今受け役がいないのもそれはそれで痛手で―――猫丸は頭を抱えた。
しかし今現在、露峰は剣道部に入る気は一切無いという。ならば、受け役をやってくれた方が得なのではないだろうか。これでもし、受け役だけならこれからもやってあげてもいいけど、となるだけでも、剣道部にとっては万歳ものだ。
しかもこれは猫丸の想像でしかなかったが、熱田君の勧誘はきっと上手くいかない。ならば今ここで一人確保しておいた方がいいのは間違いない。
「わかった―――それでいいから、受け手お願いします―――」
「うん、じゃあ日にちは明後日の木曜日で。それまでに防具やら竹刀やら持ってくるから」
「あ、いや、防具とかは用意しなくても大丈夫だよ、授業用のとかもあるし―――」
「いや、人のやつ使いたくないから。その気持ち分かるでしょ? どのみち授業で面付けるまでに自分のを持ってこようとは思ってたし」
「ああ、そう―――」
確かに気持ちは分かるけど―――猫丸は言葉を失っていた。
「じゃあそういうことで。それじゃ」
「あ、露峰君。あのさ」
去りゆく露峰を呼び止め、猫丸は自分でも信じられないことを口走っていた。なぜそんなことを言ったのか、と聞かれても上手く答えられない。
ただ、終始"剣道をやっていただけの人"のように振る舞う彼に、何か一つでも良いからかましてやりたかったのかもしれない。
「うちの剣道部来たら、剣道やりたくなっちゃうかもだから。その気で来てね」
おどおどしながらも覇気のあるその目に、露峰は心底嫌気が差していた。
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