一念発起(いちねんほっき) (2)

「それじゃ、一つ地稽古、お願いします」


 目の前で少しお辞儀している熱田を見て、猫丸は少し動揺し、すぐに納得した。

 これは自分に対する手合わせの申し出であり、今の時点での自分の実力が試されているんだ。それはつまり自分がチームメイトとして役不足じゃないかどうかの試練のようなもので―――


 猫丸は自分の頬を叩いた。それは今考えることじゃないだろ、今は熱田君と向き合うことに全身全霊になるのが礼儀だ。今は剣道のことだけ考えておけば良いんだ。頬の痛みが引くのと同時に、頭も冴えていくような気がした。


「はい、こちらこそお願いします」そう言った猫丸の目は据わっていた。


「お、地稽古始めるんか。じゃあみんな面付けますかぁ」

「いや、先輩方は面を付けずに見ててください。これは先輩方に僕らなりの地稽古の雰囲気とかを知ってもらうっていう意味合いもあるので」


 背伸びをしながら立とうとしていた加藤を止め、熱田が手ぬぐいを払った。湿った布が空気を叩き、パンと大きな音を鳴らす。その音が更に道場に緊迫感をもたらした。


「伏見、俺は先に面を付けてるから、準備ができたらお前も面付けろ。急がなくて良いからな、休憩は大事だ」


 そう言って熱田は再び手ぬぐいを頭に巻き、面を被った。加藤と野上は自分の面が置いてある場所に移動し、二人の地稽古を観戦する姿勢を整えた。


 伏見はもう一度水を口に含んだ。そして思い出す。自分がどんな剣道をやってきたのか、剣道のなにが好きなのか。目を閉じて自分がしたい剣道を想像しながら、塩飴をロッカーに置いて面のある場所まで歩いた。


 熱田は既に面を付けた状態で鏡の前に立ち、自分の立ち姿を確認している。少し竹刀を振っている姿を鏡で見たりして、まっすぐ振れているかをなどを改めて見ているのだろう。


 その一挙手一投足は経験者の模範ともいえるほどにどこまでも整っており、面を付けている間にも猫丸はそちらをちらほら見てしまっていた。それだけ、熱田の剣道には目を引くものがあった。


「おまたせ、やろっか」

「おう―――あ、そうだ。せっかく一面を俺ら二人で使えるんだ、実際の試合みたいな挨拶から始めるか。そんで地稽古も、この一面を広く使ってやろう」


 熱田の合図で、二人は白線で書かれた四角形の外側に立った。二人の間には四角形の外線以外にも二本の短い白線があり、そのちょうど中心には白いバツ印が書かれている。

 お互いが指定の位置に立って数秒経ったとき、二人は呼吸を合わせて外側の白線をまたぎ、三歩だけ中に侵入してその場で止まった。そして二人は小さくお辞儀し、左手でぷらんと持っていた竹刀を腰の高さに移した。


 その瞬間。二人はなんの合図もなく大きく右足を前に踏み出し、続いて同じ歩幅で左足を出したかと思うと、次に右足を出すのと同時に竹刀を右手で抜刀した。二人は足元を見ること無く、短い白線の元に立っている。


 二人が竹刀を抜いて、コート中心のバツ印を挟んで対峙する姿は、戦国時代の一騎打ちを思わせた。コートの外にいる加藤と野上の心も大きく脈打ち、いつの間にかこの戦いに心を奪われていた。


 竹刀を抜いた二人は静かに腰を落とし、蹲踞の形をとってしばらく静止する。そしてゆっくりと立ち上がった途端、二人の咆哮が道場全体を揺らした。


「イヤァァァァァ!!!」

「ホイヤアアアアアアァァァ!!」


 熱田の声は猫丸よりも野太く、道場を何度も反響していた。このやりとりだけで、加藤と野上は改めて剣道という武道の底力を感じていた。


 その後に訪れる静寂、それは二人がその中でお互いを探り合っていることを意味していた。一歩進んでみたり、下がってみたり。時たま熱田の竹刀が猫丸の竹刀を払ったこともあったが、その度に猫丸が一歩下がったり、守りの構えを取ることでその後のアクションは起きずに終わっていた。


 しかしその静寂は十数秒後、一人の大胆な行動によって破られることとなった。


「スゥ―――メエエエエェェン!!!」


 一呼吸を置いてからの、全力の飛び込み面。熱田の竹刀の物打ち※は、猫丸の面を鋭く捉え、心地よい、かつ鈍い音が響いた。

 そして頭も身体も硬直している三人を置き去りにし、熱田は最高速度のまま猫丸の隣を駆け抜けていった。


「今の―――一本だよな」加藤が熱田を凝視しながら呟く。

「ああ、俺たちにだって分かる。あれは、誰が何と言っても一本、"面あり"だ」

 野上は眉をひそめながらも自然と口角が上がっていた。その一本は、そこにいた全員に一本であることを強制的に認識させるほどの完璧さだった。


※物打ち:竹刀の剣先から中結(竹刀を途中で縛るための細い皮を指し、剣先から全体の約四分の一の部分に位置する)の間のことを指す。基本的に剣道ではこの部分が竹刀の打突部であり、きちんとこの部分で指定箇所を打てているかが"一本(有効打突ともいう)"の要素の一つとなっている。


 猫丸は、みえていた。その打撃、それを生んでいる踏み込み、面まで一直線に伸びてくる竹刀、全てが視界に収まっており、把握もできていた。

 それでも、避けられなかった。その打突はあまりにも自然な形から繰り出されたものであり、その上尋常ならざる速度を持ってして猫丸の頭上に届いたからこそ、頭では反応できていても身体が追いつかなかったのだった。


 こんなこと―――初めてだ。それだけ、彼の剣道は綺麗で基本に忠実な剣道だったんだ。だから反応できなかった。


 でも、これで分かった。二度はやらせない。


 猫丸は先ほどよりも顎を引き、目を凝らした。

 熱田の一挙手一投足、全てを視界に入れる。予備動作から、何から何までを目で認識する。そうすれば、彼の打突が来る前に準備できる。


 猫丸は再び熱田と向き合った。熱田の構えはどこまでもまっすぐで、芯がしっかりとしていた。中心を取ろうと思っても、彼の竹刀はどこまでも重い。ならば、こちらから何か仕掛けなくてはこの牙城は崩せない。


「イヤァァァ!」


 猫丸は再び気合いを入れ直し、熱田の竹刀を小さく弾いた。すると熱田の面への道が開け、その道は熱田の冷静な対処によってすぐ閉じられようとしている。

 そこだ。猫丸はほぼ無くなっている面への道を進むために、足に力を入れて竹刀を少し浮かした。それに合わせて熱田の竹刀も自分の面をカバーするように上がってゆく。

 その瞬間、猫丸の竹刀は一気に高度を下げ、面とは真逆の方向へと向かった。


「コテエエェェェィ」


 熱田の右手首を狙って振りかぶられた竹刀は、熱田の竹刀の鍔辺りに当たって軽い物音と共に防がれた。猫丸の狙い通り、確かに小手への隙は作られていた。しかしその隙は一瞬で塞がれ、気付いたら二人は鍔迫り合い※の形に入っていた。


※鍔迫り合い:打ち合わせた竹刀を鍔元で受け止めたまま互いに押し合う状態のこと。


 面を防ぐとき、基本的には小手が無防備になることが多い。猫丸は面を打つことを示唆しつつ、その逆をついて小手を狙ったのだったが、それは熱田の反応によって完璧に防がれてしまった。

 熱田は、最小の動作で小手を防いだ。それ故にあれだけ大きなブラフを蒔いても引っかからなかったんだ。猫丸は改めて目の前の人間の基礎技術の高さに笑みがこぼれていた。




 その後も二人は付かず離れずの打ち合いを繰り広げていた。どちらかが仕掛け、それに対応したもう片方が鍔迫り合いか一足一刀の間合い※に持ち込み、再び駆け引きが始まる。この繰り返しだった。


※一足一刀の間合い:一歩踏み込めば打突ができ、一歩退けば打突を避けられる距離。竹刀の剣先が交わるくらいの距離を差すことが多い。


 それでも、その場にいる全員がはっきりと分かっていることがあった。この勝負、どちらが優勢か、と聞かれれば間違いなく熱田に軍配が上がる。その決断に迷いすら生ませないほどに熱田の打突は美しく、審判によっては一本が上がるだろうものも多く見られたのだった。


「なあ、これが―――剣道なんだよな」野上は呆然としていた。

「ああ、これはやべえな―――実際の試合でもない、ただの地稽古なのに、こんなにヒリヒリするものなんだなぁ。どちらかが勝負を仕掛けられる間合いになった瞬間、部外者のはずの俺の肝っ玉がブルブル震えてやがんのよ。これよ、これこそ全身全霊の駆け引き、剣道って武道なのよ。きっとな」


 そう話す加藤の表情は、どこか恍惚としたものにみえた。




 時間でいうと丁度四分が経とうとしていた頃、二人の攻防は依然として続いていた。


 熱田の打突が猫丸に襲いかかり、猫丸がそれを間一髪で防ぐ。そして時々猫丸が攻めて、それを熱田が丁寧に交わす。鍔迫り合いでくっついて、ゆっくりと離れて。

 そんな繰り返しを見続けて、加藤と野上は少し気疲れしていた。目は乾き、歯ぎしりしていたせいか顎が若干痛む。


「実際の試合って四分だよな、時間」加藤が横目で野上を見て小声で言った。

「ああ、そのはずだ。それで勝負がつかなかったら延長だけど―――この試合で言ったら熱田の最初の一本が決まってるから、四分になった時点で熱田の勝ちだろうな。伏見の有効打突は―――俺が見た感じ無さそうだったし」

「俺も―――無かったと思う。多分だけどなぁ」


 目と、頭が疲れた。まずいな、もう四分経ってしまうだろうか。猫丸は時間感覚を失っていた。


 体感ではまだ二分前後だと思っている。でもこれはきっと極度の集中状態にいるせいで、時間を短く感じているのだろう。それを加味すると、もうそろそろ四分に近付いていてもおかしくない。


 このままでは負けてしまう。僕は一本も決められていない。分かっている、本来地稽古は試合形式で行うだけで、試合のように行う稽古ではないということくらい。地稽古は自分の技を試す場、自分の立ち回りを確認して研鑽する場、そういうものだ。


 でも、この地稽古だけは違う。猫丸はなんとなくそんな気がしていた。それに、このまま流れるように終わりたくない。こんなの僕の精一杯じゃない。まだできる、一矢報いたい、熱田君の驚いた顔が見たい。


 猫丸は自分の感情がとことん高ぶっていることを実感しており、同時にそれを止める気には更々なれずにいた。


 もうそろそろ、か。熱田は一呼吸おいて、自分を落ち着かせた。大体伏見の立ち回りも把握できたし、打ちや駆け引きの実力もなんとなく分かった。少し不可解な部分はあるが、初めての地稽古で得られるものは十分に得られただろう。


 一足一刀の間合いから一歩下がり、熱田が地稽古の終了を猫丸に伝えようとした瞬間、猫丸の竹刀が熱田の竹刀を追うように近付き、裏を取ったり中心を奪おうとしてきていた。


 なんだ、まだ続けるつもりか。確かにこの地稽古でこいつの実力が知りたかったのはあるが、だからといって長くやれば良いってもんじゃない。熱田が少し悩ましそうに猫丸の表情を見た途端、熱田は背筋が逆立つのを感じた。

 

 チッ分かったよ、あと少しだぜ。ありったけぶつけてこいよ、伏見猫丸―――!


 熱田が小手面を打ち、それを猫丸が受けて鍔迫り合いをした後に二人は再び分かれる。立っている位置は偶然か、ちょうどコートの中心だった。

 その場にいる全員が、次の一本でこの地稽古が幕を閉じることを悟った。


 「「ヤアァァァァァァ!!!」」

 再び二人は吠えた。


 熱田は全身の力を抜き、柔軟に動けるように準備する。竹刀の剣先を上下しながら、足を止めずに動かし続けた。この状態からなら、いつでも打ちにいける。面でも、小手でも、フェイントを入れた後での胴でも。熱田は最後の一本を決める作戦を考えていた。


 伏見は少し足を前後させているだけで、大きな動きはない。何をしたいのかはこれだけ見たら分からない。それでも、俺は気付いている。伏見の剣先が初めよりも少し上がっているということに。


 俺の方が伏見よりも身長が高い。だから伏見が俺の面を打つとなると多少無理をしなきゃいけない。それが故の、この剣先の上昇だろう。こいつは準備しているんだ、俺の面を捉えられるように。この三分でそこまで順応したって訳だ。


 かといって、その位置は上過ぎるわけでもなく、ちょうど良いところでセーブされている。小手や胴が危なくならない、ちょうど良い位置だ。


 面―――面ね。二人で同時に面を打ち込むのなら、身長の高い俺に分がある。そんな勝負を、こいつが乗ってくるはずがない。きっとこいつは俺が面を打つところを狙って、小手か胴を打とうとしているんだろう。この剣先はその為のブラフ、といったところだろう。


 じゃあまっすぐ面なんて打ってやらねえよ、伏見。これはお返しだ。


 熱田は剣先をあげたかと思うと、すぐに下に下げた。猫丸の竹刀の裏を通り、猫丸の小手へと伸びる。それに対応して猫丸の竹刀も下がった。


「あっ、伏見それは―――」野上の口からこぼれたのは、猫丸への警告だった。


 熱田の竹刀は小手への道中でUターンし、まっすぐ面へと向かった。面を打つ振りをして小手を狙い、小手を打つ振りをして、もう一度面を狙う。

 これは猫丸が最初に熱田に仕掛けた勝負の、更に上を行く高度なやり返しだった。


 猫丸を翻弄し、なんの障害もなく決まるはずの一本。その勢いは猫丸によって止められた。


「コテエエェェェ!!」


 ―――は? 熱田は自分の右手にまっすぐ伸びてくる竹刀に困惑していた。どういうことだ、今伏見は俺のブラフで小手を守っているはずだろ。なんで、こいつがまっすぐ俺の小手を狙ってる。いやいや、今はそんなことを考えている暇じゃねえだろ。


 熱田は全力で腕を下に下げた。しかし、その抵抗は流石に間に合わなかった。

 道場内に綺麗な小手の音が鳴り響く。同時に竹刀と竹刀の鍔が当たる音も響いた。当然前者が猫丸のものであり、後者が熱田だった。


 熱田は考えるのをやめ、ただひたすらに己の経験に身を任せた。


「コッテッッッ―――メエエェェェン!!!」 


 熱田は下がりながら無理矢理面を打ち、そのまま残心を取った。その面の音は、最初のものとは違ってどこか濁って聞こえた。




「「ありがとうございました」」


 二人は小さなお辞儀と共にコート外にはけていった。その瞬間、道場に張り詰めていた緊張感も解け、全員の表情が若干緩んだ。


「いやあ、すごかったぜ、二人とも」

「加藤、まずは面外させてやろうぜ。話も聞きたいところだしよ」


 面が並んでいるところに戻ろうとしている二人に飛び込もうとする加藤を野上はなんとか押さえ込んだ。加藤はまだ熱が冷めておらず、二人をみる目が爛々としていた。


 面を外すと、しばらく二人は自分の面や手ぬぐいを眺めていた。その様子を見て、先輩二人もそわそわしている。

 猫丸からすると、正直不安だった。先ほどの手合わせで、熱田に失望されてしまったのではないだろうか。チームメイトとして頼りないと思われてしまっていたらどうしよう。そう考えると自分から何か言葉を出すことはできずにいた。


「お前さ」


 熱田のいつも通りの声が、静まりかえっていた道場を切り裂いた。

 猫丸は目を見開いて、続きの言葉を待っている。それは気の遠くなるような時間だった。


「めちゃめちゃ不気味だな、ずっと怖かったわ。なんでか分からんけど」


 熱田は複雑な表情で猫丸を眺めていた。自分の方が強いはずなのに、それでも常に全身に張り付いて離れないような不気味さ。熱田はこれの正体が分からずにいた。

 猫丸は目をぱちぱちさせることしかできずにその場に硬直しており、先輩二人はそんな二人を首を振って交互に観察していた。


 不気味―――これは、褒められているのか? いや、褒められてはいないのか、でもストレートに弱いと言われている訳でもなく―――なんだこれ。猫丸の脳内はショート寸前だった。


「基本的なスキル、みたいなもんはしっかりしてると思ったぜ。流石は経験者って感じだった。けど―――なんだろう、運動神経的な問題かな。打ちの速さとか強さ、竹刀の扱いとか足さばきの技術面が、なんだかな」

「ま、まあまあ熱田くぅん、そんなズバズバ言わないであげてよぉ―――」

 冷静に分析する熱田に、加藤が後ろからツッコミを入れた。


「いや、それなのに―――謎の気持ち悪さがあったんだよな。攻め込めない、やりづらさみたいな感じか。最初の一本、あれはお互いがお互いのことをほぼ知らなかったからできた不意打ちみたいなもんだった。だからあれは完璧に決まった。


 でも問題はそれ以降だ、なーんかいつも通りできなかったんだよな。全部先を読まれてる気がして、一本目みたいな思い切りのある一本が打てなかった。なんでなんだ? あれは」


 猫丸は竹刀を振るふりをしながら、自分の立ち回りを思い出していた。

 初めの一本を見てから、猫丸は熱田のねじ込まれるような一本を常に警戒していた。そして最後の"出ばな小手"まで、ずっと彼の動きを観察し続けていた。自分が打った時の避け方、逆に自分が避けたときの対応の仕方、全てを目に入れようと必死になっていたんだ。

 

「僕は見てたんだ、ずっと君の動きをさ。一回食らった攻めは二度と受けないように、動きの全部を見て学ぼうと思って―――」


 それを聞いて、熱田は何かに気付いたように手を叩いた。


「ああ、なんだそういうことね。お前の剣道見たり、話聞いたりしてからもしやと思ってたけど、お前は目が良いんだな。反射神経、視野の広さ、目で見たことに対しての分析力とか、目に関するもんが総じて優秀なんだと思う。だから俺は警戒されてるのが分かってどんどん責めづらくなったし、最後には綺麗な一本を決められた。

 それが、お前の強さな訳だ。なるほど納得だ、良い才能持ってるなお前」


 猫丸は下を向いたまま、喉いっぱいに唾を飲み込んだ。こんなに強い人に、自分は認められた。その事実が自分の涙腺を緩め、少しでも気を抜くと堤防が決壊してしまいそうだった。


「なあなあ、あの最後のやつ。あれどうなったんだ? 俺よく分からんかった」

 加藤が熱田の目の前にドカンと座った。目をキラキラさせて解説を求めている。


「目が良い、ということは、伏見は見えてたんすよ。多分。俺のブラフも最後の面も、全部見た上で判断したんだと思います。前半の二つのブラフは、きっと伏見からしたらそれよりも前に見た俺の打突とはどこか違った。

 それに比べて最後の面は俺の打突そのものだった。だから面が来ると確信して、出ばな小手を打ったんじゃないかな。じゃないとあの場面で小手に飛び込むなんてありえないっす」


「ほえー、そうなの? 伏見ちゃん」加藤が顔を猫丸に移した。


「はい―――そうですね、熱田君の立ち振る舞いを見て、面か小手が来たときに自分が応じ技で相手しようと準備してました。面が来たら小手、小手が来たら払って面を打とうとして―――って感じで。

 でもまあ―――あそこから小手面を合わされちゃあ、もう僕は完敗ですね。あんなの反則です」


「あんなん"小手あり"で終わらせないための足掻きに過ぎねえよ。試合であれが一本になるかどうかなんて二、三割って所だろうし、なんなら審判によっては伏見の小手をとることも十分にあると思うぜ。そんくらいベストタイミングだった、自信持てよ」


 熱田は隣で小さくなっていた猫丸の背中を強く叩いた。その筋肉のせいか、猫丸はそれだけでも身体がぐわんぐわんと揺れた。その衝撃が猫丸に本当に意味での地稽古の終わりを告げた気がして、猫丸は身体中の力が抜けるような感覚になっていた。


「さ、それじゃあどうしましょ。やりますか? 先輩方二人も」


 熱田が手を叩いて一度場を締め、再び先輩二人に対して不敵な笑みを浮かべた。先輩二人は「え、え?」と動揺している。


「俺が気になってたことは、今日で全部明らかになりました。先輩方の練習と実力、それと伏見の実力。俺は正直これで大満足っす。でも、先輩方は違うんじゃないっすか? 地稽古をみていた目、姿勢、やってる側としてもめちゃめちゃ伝わってきましたよ。なあ、伏見」


 猫丸は控えめに頷いた。猫丸も思い当たる節が沢山あった。


「だから先輩方、改めて二人で地稽古やってみたらどうですか? なんなら地稽古、なんて練習じみたものじゃなくても良いっすよ。正式な試合、としてでもいいです。それなら俺が審判させていただきます。旗、ありますよね?」


「あー旗ね―――あるよ、部室に。でもなあ、あんなもん見せられたらなあ」

 野上は斜め下を向きながら立っていた。自信のなさ故か、思ったよりも若干渋っているように見える。


「なんだよ、なんだなんだその心躍る提案はよぉ。やらない選択肢ないじゃねえのよ、こちとらお前ら見てずっとうずうずしてたってのに」


 あぐらをかいていた足をゆらゆら揺らして加藤が熱田に笑いかけた。口角は耳に届かんとするほど上がり、目は爛々と瞬いている。


 それを見て熱田は微笑み、野上の方へと顔を向けた。野上は「げ」と顔を曲げたが、少しして「わかったよ、俺も熱くなってたのはホントだしな」と何か諦めたように頭をかいた。


「やるのは試合だ。俺たちは今まで二人だったからできなかった。けど今なら審判してくれるやつもいるし、作法を教えてくれるやつもいる。でもこれは正真正銘初試合だ。

 二人とも、色々教えるなり審判してくれるなり、よろしく頼むぜ」


 野上の言葉に熱田と猫丸は顔を見合わせ、二人で「はい!」と立ち上がった。




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