食堂、兄、驚愕の事実

 ――あれから少しして、洋箪笥の中身を漁ってワイシャツとズボンに着替えた俺は、テレサに案内されながら食堂へと向かった。

 長い長い廊下を歩きながら、おかしく思われない程度に、俺はテレサに質問する。

 はたから見れば、子供でも知ってるような一般常識を聞いてるみたいでマヌケだろうけど、確実な情報はいくつか手に入った。

 要約すると、こうだ。


 ・自分が今いるところはミトガルド王国、ゴールディング公爵領地の屋敷。

 ・魔法の源『魔力』を人々が持ち、技能として魔法を有している。

 ・ネイトには兄がいて、両親は才能のない俺を嫌っている。

 ・日付は聖歴1338年6月、ゲーム本編が始まるちょうど半年前。

 ・地名や人名、歴史からしてここは間違いなく『フュージョンライズ・サーガ』の世界。


 これだけ聞けば、俺がしばらく生きていくには十分だ。

 体はネイトだから、こうして誰かと話せている通り、文字の読解にも困らないはず。

 ただ、質問の後半からテレサの態度がおかしくなってた。


「ネイト様、どこか調子が優れませんでしょうか?」


 こんな質問をするもんだから、テレサが不思議そうな顔をするのは当然だよな。

 そりゃあ記憶喪失か、ちょっと気が触れたかって疑われてもおかしくない。


「い、いや、ただの雑談だよ、雑談! ははは……」

「……そうでございますか」


 どうにかはぐらかした俺は、廊下を歩いた先にある食堂についた。

 召使いがずらりと並び、白いクロスが敷かれた長いテーブルとたくさんの椅子が並ぶ食堂は、典型的な中世貴族が食事をする場所のイメージだ。

 俺が空いている椅子にてきとうに座ると、後ろを誰かがすい、と通り抜けた。

 テレサじゃないなら誰だろうか、と疑問に思うより先に、そいつは奥の椅子に腰かけた。


「――この時間に起きているとは珍しいな、ネイト」


 いいや、そいつだなんて言っちゃいけない。

 俺と同じ髪色のロングヘア、精悍な顔つきと鍛えられた体つきは間違いなく、ネイトの兄のドミニク・エドガー・ゴールディングだ。

 ゴールディング家の長男で魔法の達人、ハンサムな見た目と相まって家臣や両親の期待を一身に背負い、そのすべてに応えてきた完璧超人。


 だけど、元々のネイトが歪んでしまった原因でもある。

 魔導学園特別顧問にして教員免許を持ちながら、騎士団にも属する立派な兄がいるから、ネイトは生まれた頃から両親にも誰にも期待されずに、ぞんざいに扱われてきた。

 そんな環境に置かれたネイトはどんどん性根が曲がって、周りの皆に当たり散らすようになって、ますます嫌われて、以下負のループって感じだ。

 だからといって、ネイトのやったことが正当化されるわけじゃないんだけども。


 ついでにこの兄も、物語の中盤であっさり死ぬ。

 悪い人ってわけじゃないから、こっちの方はショックだったのを覚えてるよ。


「……ネイト?」


 おっと、いけない。

 考え事に夢中になって、返事を忘れてた。


「あ、はい、ドム……じゃなくて、ええと、兄様?」


 しまった、ドムってのはファンからの愛称だ。

 正直、ネイトがドミニクをどう呼んでたかなんてちっとも覚えてない。


「……ドムでいい。いつもみたいに、陰ででくの坊だ何だと言わなければなんでもな」


 だけど運よく、ドミニク――もといドムは、不思議に思わないようだった。

 というか俺、バレてるって知らずに陰口叩くのはマジでカッコ悪いぞ。


 ――そんなこんなで、俺は朝食を摂った。

 パンに、スクランブルエッグに、スープにサラダにミルクと、あっちの世界の洋食と変わらないメニューに少し安心した。

 わけの分からない魔物の肉とかが出てきても困るしな。


「おい、ネイト様が普通に食事してるぞ……」

「いつもなら塩加減が、焼き加減がって言って全部ひっくり返すのに……」

「中身が他の誰かとでも入れ替わったのかしら……?」


 普通に食べてるだけなのに、周りからは驚きの声が聞こえてくる。

 24時間癇癪かんしゃくでも起こさないと生きていけなかったのか、俺は?


「調子はどうだ」

「調子?」

「半年ほどでトライスフィア魔導学園に入学するんだ。予習くらいはしておいた方がいい、と昨日言っただろう。お前が素直に言うことを聞くとも思ってはいないが」

「い、いや! やります、今日からやります!」


 ついでにドミニクの方から俺に声をかけてくれるのも、ちょっとばかり皮肉が混ざってるとしてもありがたかった。

 この世界じゃあ、ネイトみたいなやつの味方なんてほとんどいないと思ってたし。


「……無理にとは言わん。やりたいことをやればいい」


 ドミニクの口ぶりからして、ネイトはすっかりられてるな。

 兄弟として面倒は見てくれるんだろうけど、仮に俺がストーリー通りに死んだって、この兄は表情一つ変えないかもな。

 まあ、全部こいつの自業自得なんだけどさ。

 数少ない肉親に見放されるなんて、普通は辛くて仕方ないもんだろうが。


「あー……今日は天気がいいので、少し遠くを散策にでも行こうかな、なんて……」


 とりあえず当たり障りない返事をすると、ドミニクが頷いた。


「そうか。だが、あまり遠くには行きすぎるなよ」

「どうしてです?」

「……昨日も言っただろう」


 ごめんなさい、色々あって昨日のことを俺はちっとも知らない――。


「カーマイン伯爵の息子、ノアが魔物に襲われて死んだ」


 ――なんだって?


「魔物が活発化していて、いつ出てくるか分からないから、危ないところに行くなと言っているんだ」

「……あの、ドム? その、死んだ貴族って、まさか……」

「どうした? ノア・カーマインを知っているのか?」


 ああ、知っているとも。

 その名前を聞いて、死んだと知っただけで汗が止まらなくなるくらいには!


「――ごめん、朝食はもういい! 残してごめんなさい、でもおいしかったです!」


 言うが早いか、俺は朝食を半分ほど残して食堂を飛び出した。

 やっぱり口に合わなかったか、おいしいと初めて言ってくれたとかって使用人達の声が聞こえてきたけど、ちっとも構う暇なんてなかった。


 廊下を駆け抜けて、たちまち自分の部屋まで戻ってきて、ちょうつがいが外れかねないほどの力で俺は扉を閉めた。

 高鳴る心臓を抑えて、やっと俺はテレサを食堂に置いてきてしまったのを思い出した。


 だけど、今はあっちに戻ろうなんて考えられない。

 俺の頭を埋め尽くしてるのは、ドミニクが話した貴族の少年の名前だ。


「なんで……なんでだよ!?」


 ここに転生した時よりも、ずっと大きな「なんで」が芽生えた理由。





「……なんでゲームの主人公が、死んでるんだよ!?」


 当たり前だ。

 ノア・カーマインは――このゲームの主人公なんだから。

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