第24話 最強の称号

「いやぁぁぁああああぁぁぁっっ!! 」


 自分のものとは思えない悲鳴が喉の奥から飛び出した。口に苦いものが込み上げてきて、荒い息と共に吐き出す。


 頭上から冷たい声が降ってくる。


「何を驚いてるんだァ? これはずっと藍羽がやってきたことだよ? 」


 唐松様は崩れ落ちる私を見下ろして、小さい子に1たす1を教えるように言った。


「いやっ、私っ知らなく、て」


「『知らなかった』は罪を犯していい理由にはならないんだァ。藍羽はずっと、人を殺してきた。ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとォ!! 」


 唐松様は今まで見たことないくらい怖い顔で笑う。


「お前は、地獄に堕ちるべき人間なんだァ」


 何も言い返せなかった。口を開いても不安定に漏れ出る息がただ煩いだけ。そんな私を庇うように紫揮が声を上げた。


「おい、いい加減にしろよ。さっきから好き勝手言いやがって。そもそも全てお前がやらせたことだろ」


 唐松様は不思議そうに首を傾げた。


「紫揮、だっけ? 部外者は黙っててくんない?」


「失礼だな。お前の方がよっぽど部外者だろ」


「そんなことはない。僕と藍羽は十年も絆を育んできたんだァ。とーっても仲良しなんだよォ」


 ちょん、と乾燥してガサガサの指先が頬に触れる。唐松様のものだと気づくと、背筋がゾッとした。


「おい、藍羽に触れるな!!」


 怒鳴る紫揮の声など聞こえていないみたいに、唐松様は耳元で囁く。


「アハァ、やっぱり従順な子は好きだよォ」


 反射的に逃げようとした。でも体は少しも言うことを聞かなかった。声すら出せない。


「いい加減に……」


 紫揮が瞳に静かな怒りを込めて唐松様を睨みつけ、足を踏み出す。


「おっとォ、それ以上近づいちゃだめェ」


 チャキン、と高い音が耳元で鳴る。緊張で強ばる首筋にチクリと鋭い痛みが走った。目だけを動かして下を見ると、光を反射して鈍く輝くナイフが突きつけられていた。


「ちなみに、赤の力も使っちゃ駄目だからね。声を発した瞬間、刺すから。勘違いしないでね、こっちは藍羽の体が手に入ればそれでいいんだからァ」


「……っ」


 紫揮の唇が悔しそうに引き結ばれる。


「ねぇ藍羽、なんで体が動かないのか分かるる? 」


 邪魔者がいなくなった、というように唐松様は続けて囁く。


「藍羽の言霊はねェ、まだ自分自身を呪ってるんだよ。藍羽は忘れてるだけ。人を殺す感覚、僕に従う心。なかったことにはならないんだァ」


 至近距離で耳に吹き込まれる言葉は魔法みたいな力が込もっている。たとえ言霊使いじゃなくても。

 

 少しナイフが動いて、染み出した血が首筋をゆっくりと伝う。


「藍羽ァ、本当は分かってるんだろ。自分の本質に。暴力と蹂躙に惹かれる醜い心に」


 心臓の鼓動が一層速くなる。周りを圧倒的な力で威圧する姿から、目が離せなかった心が頭をよぎった。輝いて見えた。あいつが。


「いい加減認めなよォ。自分が根から邪悪だってことォ。僕はずっと知ってたよ。ねェ……僕と一緒に行こう? 」


 動かない体、首に突きつけられるナイフ。そのどれもが、壊れそうになるくらいの恐怖を生み出す。


「まァ、藍羽に拒否権ないんだけどね」


 やめて、やめて、やめて、やめて。


 そのとき、カンと何かが落ちる音がした。


 紫揮がペンのキャップを床に転がしてこっちを睨んでいる。絶対に声を出さないと主張するように唇を固く引き結びながら。


 どこから取り出したのか左手にはスケッチブックを持っていた。


『筆談ならいいか?』


 真っ白な紙にはそう書いてあった。


「そんなに僕と話したいっていうならいいよォ、別に」


『どうしてそこまで藍羽に固執する?』


「どうしてって、そりゃ利用価値があるからだよ。従順でなんでも言うこと聞いてくれるし、研究のしがいもあるし、もう最高」


『それは藍羽が最強の言霊使いだからか?』


「それもあるね。最強の手綱を握って操る感覚はなかなかクセになる」


『なら代わりに俺を連れていけばいい』


「……はァ? 」


 唐松様がそんな反応をすることなど分かっていたみたいに、紫揮は紙を淡々とめくる。


『藍羽は現時点で全ての力を出し切っている。お前もそろそろ飽きたんじゃないのか? その点、力に目覚めたばかりの俺はまだまだ伸び代がある。赤と青の力の融合。可能性は無限大だろ』


「ほォ……」


 見定めるように唐松様の目が細められる。もう一枚、紙がめくられる。


『俺が背負う。最強の称号を。俺が最強になってみせる』


 音のない世界で、静かに示された覚悟だった。紙面に力強く書かれた文字が、ぼやけて見えなくなっていく。


 紫揮はいつも、そうやって全てを背負っていく。カッコつけて、自分を犠牲にしてまで、私を守ろうとする。


「いいねェ、面白いかもォ」


 唐松様が笑うと、クククッと空気が揺れる。


「いいよォ、藍羽の代わりに君を連れてってあげる。ただし、いついかなる時も僕に従順であることを誓って」


『了解』


「復唱してェ。私は」


「私は」


「唐松秀俊に」


「唐松秀俊に」


「逆らいません」


「逆らいません」


「よろしい」


 唐松様はしきりに頷き、私の肩を突き飛ばした。床に背中が強く打ちつけられる。


「じゃあ行こっかァ」


「はい、唐松様」


 紫揮はどこを見ているのか分からないような瞳で返事をする。そして振り向くことなく唐松様と歩いていった。

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