第13話 父さん?

 紫揮を見失わないように滑りやすい廊下を走る。途中で転びそうになったので、靴下を脱いでまた走る。廊下を突き当たって一番奥に、蔵書室はあった。中では怪しい人影が瑠璃の首筋に刃物を当てている。


「父さん!?なんで……」


 紫揮が叫ぶ。その声は掠れていて、ところどころ裏返っている。侵入者に悟られないよう、指先だけ彼の手に触れた。


「この人が紫揮のお父さんなんですか?」


 ではなぜ、彼は生きているのか。なぜ瑠璃の首筋に刃を当てているのか。動けないでいる私たちに、瑠璃が叫んだ。


「この人は、違うっ。紫揮のお父さんじゃ……」


「黙れ小娘!!」


「ウッ」


 侵入者が瑠璃の首に回した腕に力を込める。苦しそうに呻く瑠璃を横目に収めながら、侵入者はヘラっと笑った。


「紫揮ぃ、お父さんだよ」


「てめえ、ふざけるな」


「ふざけてなんかいないよーお?てか、それ以上近づいてこないでね。この子がどうなってもいいの?」


「クっ……」


「そこの女の子。藍羽ちゃん・・・・・・だっけ?先に言っとくけど、君の言霊、俺には効かないからね。抵抗しようとした瞬間、こいつを殺す」


 紫揮は、踏み出しかけた足を戻す。私は唇をなるべく動かさないようにして尋ねた。


「あの人は紫揮のお父さんなんですか?」


「知らん。でも、瑠璃を害する者を父だとは思わない」


「では、本当にあの男は言霊に対抗する術を持っていると思いますか?」


「ああ。じゃないとここも探し出せないだろうし」


「何をコソコソ話してるのかなあ?父さんの要求は一つだけ。藍羽ちゃんを返してほしいんだ。彼女さえ戻ってきてくれれば、もう君達に手は出さない。」


「卑劣だな」


「世の中なんてそんなものさ。紫揮は知ってるだろう。搾取する側とされる側がいて、搾取される側は一生される側のまんまだ。お前は知っているはずだ。その理不尽さも、残酷さも」


「覚えがないな」


「強がらなくてもいい。何なら、お前もこっちに来るか?一緒に搾取する側になろう」


 一瞬、目を伏せる紫揮。


「分かった。こいつを連れて、そちら側へつく」


「紫揮!」


 肩に紫揮の大きな手が乗せられる。その指が動いて、肩に素早く文字を書いた。


『しんじろ』


 見上げた彼の横顔に、諦めの感情は見当たらなかった。ただ目の奥で青い怒りの炎が燃えている。


「じゃあこれ、付けといて」


 侵入者は、足元に置いてあった手錠を足で蹴る。重い音がして転がってきたそれを、緩慢な動きで紫揮は拾う。俯いたその一瞬、彼の口元は誰からも見えなくなった。


「動くな」


 短い、たった一言で。侵入者の動きはぴたりと止まった。瑠璃の首を切ることもなく、驚きに目を見開いたまま、固まっている。ついでに瑠璃も固まっていた。


「瑠璃だけ動け」


 紫揮がそう命じると、瑠璃は慌てたように動き始め、首に絡みついていた侵入者の腕をどかしてこちらにやってくる。


「え?え?え?ど、どういうことですか!?紫揮は言霊を使えないんじゃ・・・・・・」


「藍羽、この本を反対にしてみろ」


「え?こ、こうですか?」


 言われるままに手近な本をひっくり返す。


「もう一度逆にしてみろ」


「は、はい」


「本はどうなった?」


「二回ひっくり返したから、最初と同じ状態になりました」


「つまりそういうことだ」


「・・・・・・どういうことですか?」


「察しわる」


 そういいながらも、丁寧に説明してくれる。


「お前にとって、俺は『防御』みたいなものだろ?あの男は、おそらく瑠璃と同じように防御決壊を貼られている。そこに、さらに防御をかければ、効果を反転させることができる・・・・・・と考えた」


 紫揮は憂鬱そうに息を吐くと、固まったままの男を見据えた。


「たぶんあいつは父さんの皮を被った偽物だ。詳しいことは分からないが・・・・・・。あとで尋問してみようと思う」


 あいつは偽物。それは紫揮にとってせめてもの救いだったのだろうか。目を伏せる私たちに、瑠璃が抱きついた。


「まっ、とりあえず助かったよー。二人ともありがとねー!」


「わ、私は何もしてませんよ」


「確かにー!」


「やっぱり人から言われると傷つくので、否定しといてくださいっ」


 尋問とか、世界を変えるとか、そういうのは後ででいいよね。


 今は、この平和な時間が長く続けばいい。長く伸びる三つの影を見つめながら、そう願った。 









 






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