第4話 知らなかったこと

「紫揮!!」


 床に落ちた写真を拾いあげるなり、私は彼が引っ込んでいった部屋に怒鳴り込んでいった。命令形じゃない単語一つだけなら、基本的に言霊は発動しないようだ。自分のことなのに今まで知らなかった。知ろうともしなかった。


 言霊のことも、家族のことも、唐松様のことも、何もかも全てが受け身だった。私は、何も知らなかった。そのことが、どうしようもなく腹立たしい。


 紫揮はベッドで横になっていて、突然押しかけた私に驚いたように目を見開いている。


 そんな彼の顔の前にずいっと写真を突きつけた。でも、なんて聞いたらいいのか分からない。迂闊に話しちゃいけないんだから、感情のままに彼を問い質せば、彼自身に影響がなかろうときっと大変なことになる。


 黙ったまま固まってしまっている私の手に、紫揮の手が重ねられた。


「俺に触れてる間は、言霊が無効化される……らしい。こうしている間は、自由に話していい」


「本当、ですか……?」


「一応試してみるか」


 紫揮はゆっくり起き上がり、「あの写真立てを燃やしてみろ」と中身が見えないように伏せられている写真立てを指差す。


「もしかしたら燃えてしまうかもしれませんが……いんですか?」


「構わない」


「……写真立て、燃えなさい」


 私は、写真立てを指差して口にする。しかし、何も起こらなかった。


「どうやら本当に言霊を無効化できるようだな」


 紫揮は、自分でも驚いたように私に触れていない方の手をまじまじと見つめた。


「消えない・・・・・・か」


 呟く紫揮はどこか寂しそうに見える。


「あの・・・・・・そんなに燃やしたいなら普通にやりますよ?」


「いや、いい。やめてくれ」


「わ、分かりました。燃やしません」


 処分したいんだか何したいんだか、よく分からない人である。そこでようやく、自分が何をしに来たんだから思い出した。


「あ、そうだ! これ、どういうことですか!? なんでママが写ってるんですか!?」


「喋れるようになった途端、騒がしいやつだな」


「ずっと心の中では騒がしかったです。話を逸らさないでください」


「簡単な話だ。この女はお前のママの姉。それで、このチビは昔の俺だ。分かったら出てけ」


 シッシッと追い払う仕草をする紫揮。私は、紫揮の話をゆっくりと噛み砕く。ん? それって。


「え? 私たち従兄弟どうしなんですか!?」


「そういうことになるな」


 何故か嫌そうな顔をする紫揮。


「え〜。なんかすご〜い。てか、紫揮って可愛いかったんですね」


「シバくぞ」


 そう言って、紫揮はスルリと手を引っ込める。


「待ってください!」


 逃すまいと手を捕まえてから声を上げる。


「ママは、今どうしていますか? 五歳のとき以来ずっと会ってないから……。最後はに言われた言葉には結構傷つきましたけど、でも、また会いたいんです」


「……そうか…………」


 そう言ったっきり、紫揮はなぜか口を閉ざしてしまう。何か言いたそうに開けたり閉めたりを繰り返して、最終的に俯いてしまう。


「紫揮?」


「ちょっと、付いて来い」


 紫揮は弾みをつけてベッドから飛び下りると、私の手を握ったままぐいぐい引っ張りだした。


「え、な、なんですか?」


 あれ、でも、なんだろう。なんだか懐かしい感じがする。前にも、この背中を追いかけていたような……。


 暗くて狭い部屋を出て、明るいリビングに出る。紫揮は、一つの扉を軽く押す。


 扉の隙間からふわりと風が吹き込んできた。緑が、視界いっぱいに広がる。草の匂いだろうか。風は、甘いような苦いような香りも一緒に運んできた。緑色に覆われている地面をおそるおそる踏んでみれば、さくりと柔らかさが触れる。


 なんでだろう。ここに来たのは初めてのはずなのに。なぜか、この景色を知っている気がした。


「覚えてるか?よくここで遊んでたこと。まあ、正確には俺が連れ出してたんだけど」


「あ……」


 そういえば、昔『お兄ちゃん』と呼んでいた人がいたような気がする。楽しかったから、思い出すとつらくて。だから、無意識に閉じ込めていた記憶。その人は、いつも私の手を引いて、笑ってた。いつも優しく細められていた深く青い瞳は……。


「紫揮……」


 『お兄ちゃん』の面影と、紫揮の顔が完全に重なった。涙が溢れる。ずっと探していた大切なものを、見つけられた気がした。


 紫揮はハァ、と面倒くさそうに息を吐くと、ギュッと抱きしめてくれる。ポンポンと背中をさすりながら、気遣うように言葉をかけてくれる。


「まあ、忘れてたのも無理はないな。政府は、お前に強い暗示をかけた。最強の言霊使いが自分たちに牙を剥いたら終わりだからな。政府に従順でいるために、そこが楽しい場所だと思い込むように、連れてこられる以前の記憶は辛いものばかりを残したんだろう」


「そうだと……いいですね」


 根拠はないけれど、少なくとも彼が傍にいてくれるのなら大丈夫だと思えた。彼の温もりにただ縋り付く時間は他の何をするよりも心地よかった。







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