第16話 武道を嗜む女


夕暮れ時、東慶寺の塀に隠れるように、男女が抱き合い体を密着させていた。

何か事情があるのか、女性は憂いの表情で男を見つめる。


「半之助さん。私、必ず、貴方と添い遂げるわ」

「ああ、俺もそうしたいよ」


半之助と呼ばれた男が、そう言うと二人は、唇を重ねた。

あまり時間がないのか女性の方から、身を離すと名残惜しそうに、その場を去って行く。


女性の姿が見えなくなるまで、男は手を振っていた。

黄昏が次第に陰を落とし、そのまま、辺りを包み込んでいく。

半之助の口元に、笑みが浮かんでいるのだけが見えるのだった。



東慶寺の御用宿、柏屋。

天秀が、この宿に厄介になって、五年の歳月が流れていた。


今は十二歳となり、少女から大人の女性へと変わる、一歩手前というところである。

甲斐姫と瓊山尼、二人の師匠のおかげで、天秀は立派に成長し、尼僧としての素養を高めていた。


そんな彼女にあてがわれた一室に、今、入り浸って、天秀に話しかける少女がいる。

それは、五年前、天秀が初めて駆け込みを体験した時の当事者、佐与だった。


彼女の母親は、三年前に無事、寺の勤めを終了させて、東慶寺を去っている。

しかし、同年代の友人が天秀にいないことを配慮してか、その後も甲斐姫は佐与を侍女として雇うことにした。


佐与自身も、今の環境を気に入っていることと、母親のお菊が別の男性と、恋仲に落ちたことに気を使って、留まることにしたのである。


そして、侍女の仕事を務めながら、天秀の話し相手となっていた。

だが、天秀がその役割を求めているというよりは、佐与が勝手に話しかけてくるというのが、実情である。


「天秀さま、先ほどの男女、見ていて心臓がドキドキしましたね」

佐与に面白いものが見られると、手を引っ張られて見に行ったのが、東慶寺の塀に隠れる男女の逢瀬おうせだった。


天秀は、縁切り寺の近くで、よく逢引きなんかするつもりになるなぁと、呆れて見ていたが、佐与は違った感想を持ったようである。

先ほどから、妙に興奮しているのだった。


「佐与にも、どなたか意中の方がいるのかしら?」

「い、いませんよ。止めて下さい」


照れながら、そう答えるが、嘘である。

佐与が時折、寺役人の小栗右衛門に熱い視線を送っているのを天秀は知っていた。


年齢は一回り以上、離れているのだが、東慶寺は尼寺である。

他にめぼしい若い男性は、近くにいなかった。


しかも、右衛門は優しい顔立ちながら、ときにはキリっと引き締まった表情を見せる。一般的に見ても、男前の部類に入るのだ。

佐与が熱を上げても、それは仕方のないことだと天秀は思う。


目の前にいる顔を真っ赤に染める佐与のことを、本当の妹のように可愛く思っていた。

それだけに、天秀は甲斐姫から言われたことを伝えるべきか、迷っている。


『右衛門には、心、許すでない。何か秘密を持って、近くにおる。十分に気をつけるのじゃ』


具体的に何かがあった訳ではない。甲斐姫いわく、この五年間で、自分に尻尾を掴ませないこと自体が、不気味な存在だと言うのだ。

ただ、武芸の師匠は最大限に警戒しているようだが、天秀自身、彼から悪意を感じたことがない。


確かに妙な視線を感じることはあるが、人に話せば、自意識過剰ではないかと笑われる程度であった。

だからこそ、佐与に甲斐姫の言葉を伝えそびれているのである。


「そろそろ、自分の部屋に戻って、休んだら?」

「そうですね。明日も早いですし・・・おやすみなさい」


挨拶を交わして、佐与が自室へと戻った。部屋の外まで出て、天秀が見送る。

いずれにせよ、何か事が起きても佐与に危害が加わることはないはずだ。


言い方は悪いが、佐与は普通の一般人である。

狙われるとしたら、天秀のみであろう。


そう考えた時、佐与には、まだ黙っておくのが吉だと考える。

彼の目的が、はっきりした時に、話そうと思いながら、天秀は寝床につくのだった。



翌朝、天秀が勤めのために東慶寺の門をくぐろうとした時、不意に女性から声をかけられる。


「この門から敷地に入れば、駆け込み成立なのかしら?」

「ええ、そうで・・・」


天秀が振り返ると、思わず、声を詰まらせてしまった。

目の前に立っているのは、昨日、東慶寺の近くで逢引きをしていた女性だったのである。


「そうです。この敷地に貴方の体の一部でも入った瞬間に、駆け込みは成立いたします」

落ち着きを取り戻した天秀は、改めて駆け込みの説明を行った。

女性は、「分かったわ」と、丁寧な説明に微笑を返す。


「駆け込みでしたら、どうぞ」

「ありがとう」


天秀が道を譲ると、その女性は礼儀正しくお辞儀をした。

そして、東慶寺へと、しっかりとした歩調で進んでいく。


その所作を見るに、何か武道を嗜んでいるのか、隙のない動きのように天秀は感じた。

これも甲斐姫の指導を受けているからこそ、気づいたことである。


それにしても、昨日、あれほど情熱的な逢瀬を重ねていた女性が、駆け込みをするということは、あの男性との関係は、どうなっているのだろうか?


男女の事は、上辺だけでは分からないと、この五年間で学んだつもりだったが、そこが腑に落ちない。

お多江の身元調べで、色々、情報が出て来るのだろうが、天秀はなぜか妙な胸騒ぎがするのだった。

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