第35話 引っ越しをお勧めします
息子である池内直樹の葬儀も何事もなく平穏無事に終えたところで、守は橋口にお礼を言って、自宅に戻ろうと思うことを告げれば橋口から、それは止めた方がいいと言われる。
「ですが、何事もなかったのですから大丈夫ではないのですか?」
「そうですね。直樹君の葬儀も無事に終えたので直樹君をご自宅に連れて帰りたいというお気持ちも分かります」
「なら「お待ち下さい」……何かあるのですか?」
「ええ。先日もお話した様に初七日を過ぎた頃に訴状を一斉に配送する手順です」
「はい。それは伺っています」
橋口は守の言葉に頷くと「実は」と懐からスマホを取り出し守に見せる。
「それが何か?」
「はい。もうそろそろ来る頃だと思います」
守は橋口がスマホの画面を自分に見せてくるが、なんの意味があるのかも分からず戸惑っていると橋口のスマホに電話番号が表示され着信を知らせる。
「出ないのですか?」
「はい。実は、この番号は直樹君の担任である川村さんからです」
「え? 直樹の担任がですか?」
「ええ、火葬場に直接来られて池内様に会わせてくれと騒ぐので私の名刺を渡し、何かあれば今後は私の方へ連絡して下さいとお願いしたのですが……」
「まさか……」
「ええ、それからほぼ一時間おきにこうして電話してくるようになりました」
「……ですが、何か用があって掛けてきているのではないのですか?」
「私もそう思い、最初の方は相手をしていたのですが……そのなんというか、掛けてきた用件と言うのが、食事はどうか、どこかに連れて行けといった具合に要はデートのお誘いみたいなので、今はこうして無視するようにしています」
「それは……大変ですね。でも、これと私達が自宅に帰られないのと何が関係するのでしょうか」
「それはですね……」
守の疑問も尤もだと思いながらも橋口は説明を続ける。
橋口が訴状を発送した後、その訴状を受け取った相手が最初にすることは、池内家に対し訴えを取り下げろと要求することが考えられる。そして、それに対し首を縦に振らないとなれば家族に対し危険が及ぶであろうことは容易に想像出来ることをあげる。
一人二人でも対処することが難しいのにそれがほぼ学校全体となれば暴徒の集団と化すことも十分に考えられる。一人であれば、暴力を振るうことを躊躇われても集団となれば集団心理が働き何かしたとしても『これだけ人がいれば個人の特定は難しくなるだろう』となり暴力に対する心の垣根はグッと低くなるだろうと話す。
橋口が話す内容に守は思わず身震いしてしまう。そして「まさか」と口に出すが、橋口がスマホの画面を指さしながら「本当にそうだと思いますか」と言う。
守は最初はその意味が分からなかったが、橋口が「誰かが先導すれば、アッという間です」と言う。そして川村が言っていた「池内君のお父さんにお願いしたいこと」と言うのがなんなのか分かってはいないが、自宅にいると分かれば必ずやって来るだろうとも忠告する。
「それでこれは雇い主からの提案というか、指示だと思って頂いても構いません」
「え、それはどういうことでしょうか」
「はい。ご承知の様に私の雇い主は池内様がお勤めになさっている会社の上位にあたる企業の会長職を務めております」
「ええ、それは名刺で分かっています」
「ですので、上長からの指示と思っていただきたいというのは、そういうことです」
「はぁ」
「雇い主からの指示と言うのは自宅を手放し、こことは違う土地で生活して欲しいと言われています」
「え? あそこから引っ越せと」
「はい。要はそういうことです」
橋口の言いたいことは大体は理解したつもりの守だった。だが橋口が発送する訴状をなんとか撤回しろと自宅に押しかけることは想像が着くから、ならば自宅を手放し知らない土地へ行けと言うのは些か考えすぎではないかと思う。
「困惑されていることは分かります。ですが、今度陽太君は中学に上がりますが、このままの状況であの中学で平穏無事に暮らせると思いますか?」
「……無理ですね」
「ええ、私も雇い主もそう考えています。それに雇い主の企業であれば、日本中はもとより世界のどこにでも行くことが出来ます。そして雇い主が提案しているのは、こちらになります」
「え? 本気ですか?」
「ええ、大丈夫です。言葉について不安を感じていらっしゃると思いますが、海外はほぼ九月開始なので約半年もあれば、基本的な言葉は習得出来るハズです」
「……」
橋口はそうにっこり笑うが、守には不安しかない。だが、橋口が言うように日本にいればいつかは逆恨みした誰かに襲撃されるかもしれない。それこそ、SNSに『被害者の家族発見!』とでも上げられてしまえば、その時点で平穏な生活は過ごせなくなる。
守は思わず頭を抱えるが、隣で黙って聞いていた美千代が守の手を握り「あなた、私達はどこに行っても大丈夫よ」と驚いた顔をする守に柔らかく微笑む。
「美千代……いいのか?」
「いいも何も日本にいると危ないってことが分かっているのでしょ。なら、ここは橋口さんの提案通りに海外に行くのもしょうがないと思うわ。確かに陽太の中学入学も近いけど、このまま、あの学校に陽太が通って直樹と同じ扱いをされるのかと思うと……」
美千代は陽太が直樹と同じ様に今度は史織を人質に同じ様に虐められ自殺を強要されるのを想像してしまったのか思わず両手で肩を掴み身震いしてしまう。するとその様子に守は慌ててしまう。
「美千代!」
「大丈夫、平気だから……だから、ね。このお話お受けしましょう」
「そうだな」
「では、まずは自宅の荷物を全て搬送いたしますので、その後は自宅の売買について手配します」
「はい、よろしくお願いします」
「いつもいつもすみません」
守達は橋口に深く頭を下げると、橋口も二人に対し頭を下げる。
「直樹君のことは私も思うことがありますので。では、また忙しくなるかと思いますが初七日が済むまではごゆっくりお過ごし下さい」
「はい、ありがとうございます」
そして池内直樹の初七日が過ぎた頃、池内直樹のイジメに加担していた者として、その中学に勤めていた校長を始めとするほぼ全ての教員と生徒に対し橋口と池内守の名で発送された訴状が届くのだった。
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