「小説を、書いてみたんだ。」いつも通り、彼は突然に報告をした。


「遂に完成したのか。手ごたえはどうだ?」


「本当はまだ完成していないんじゃないか、って感じるよ。」


「なんだ、じゃあ完成してないのか?」


「彼らが真にどう表現されたかったかは、物語の担い手である彼らにしかわからない。だから、俺が認識した通りに表現するしかなかった。その作業が終わった、と言えばいいかな。」


そう言って、彼は原稿用紙の束を取り出した。彼の書いた物語が、そこにあった。


「読んでくれるかい?」


「もちろん。こう見えて、実は楽しみにしてたんだ。読み終わるまで少し待っていてくれ。」


「ああ。」原稿用紙の束を手放した後、彼は弱々しく返事をした。



「読み終わったよ、お前の小説。」


「……どうだった?」声色からも彼の緊張が見て取れた。


「逆に何が聞きたい?」


「何もかも。お前が何を思い、何を感じ、何を得たかの全てをだ。」


「そうか。じゃあ率直に言おう。」


彼は固唾を吞んだ。


「俺はお前の小説を読んで何も思わなかったし、何も感じなかった。ただただ物語を読んだって感覚だ。したがって何を得ることもなかった。」


彼はしばらく天を仰いでいた。やがて目をつぶって、またしばらく黙った後、やっと口を開いた。


「いや、その回答を全く想定していなかったわけじゃないんだ。ただ、なんて言おうか……。せっかくだからお前が感じなかったものについて、もう少し詳しく教えてくれないか。」


「まず、この物語に主題はあるか?」


「主題。」彼は少し迷って、こう答えた。「なくはない。」


「その程度の主張しか持たない主題は、読者の大半には伝わらんだろうよ。どうせプロットも書かなかっただろ?」


「俺には必要ないと思った。」彼はふてくされて言った。


「まさにお前に必要なものだったよ。伝えたいことを明確にするためには特にな。」


「じゃあ、この物語はプロットを作れば面白くなったのか?」彼は反論した。


「そうとも言えない理由が他にある。」


「……それも聞こうか。」彼は見るからに聞きたくなさそうな顔をした。


「主人公に魅力がない。口を開けば愚痴が出て、口を開かなくても陰湿な思考の主人公なんて誰からも好かれるわけがない。なんでこんなのを主人公にしたんだ?」


「事実、誰からも好かれてなかっただろう? それになんでだって? そいつが主人公として物語が回り出したから以外に理由があると思うのか?」


「ちなみにだが、この主人公にはまだ問題がある。」


「ちくしょう、まだあるのか!」彼は声を荒げた。だが耳までは塞がなかった。


「多少魅力がない主人公でも、最後に少しでも成長が見られたならまだ救いがあった。だが、この主人公は最後までずっと変わらず、不愉快なままだった。」


「そもそもこれは成長の物語じゃない。もっとこう、精神的な変容の物語なんだよ。」


「そんな物語、誰も面白いと思わなくないか?」


「そうかな……。」彼は考え込んだ。


「じゃあつまり、この物語は物語からしてすでに問題作だったってことか?」


「否定することはできないね。」


「なんだか釈然としないな。」彼はまたぶつくさと言った。


「ああ、そうだ。一つだけ、本当に一つだけだが、いい点があった。」


「本当か? それを早く言ってくればいいのに。」彼の顔に笑顔が戻った。


「お前らしい、陰湿で不愉快な文章だと思ったよ。他の作品群にお前の作品が混ざっていたとしても、一目でわかる自信があるくらいには。」


「褒めるときはせめて言葉を選べ。……まあでも、後半の部分は前向きに受け取ろう。」


彼は顔をしかめていたが、先刻よりは機嫌が良くなったようだった。

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