蜜蜂よ、夜々を遊行せよ

 わたしたちの話をしようか。

 おもしろく話せないよ。

 言ったでしょう、語りとは真理のためにあるもの。おもしろさは必要ないのよ。

 こどもの寝物語りには、退屈なほうがよいかもね。

 そういう問題じゃないわ。

 ……そうだね、退屈させるために語るのでもない。

 そうよ。わたしはアアフリーン。

 わたしはラング・ハイ・リ。

 わたしは姉。

 わたしは弟。

 わたしは母。

 わたしは息子。

 わたしたちは行者。

 寝物語りをし、あなたたちの夢を集める。

 外側から見れば、わたしたちはただの乞食。芸人。

 けれど、わたしたちの内側から見れば、わたしたちは行者だ。神々と聖者に奉仕し、真理を語り聴く。おちいさいひと、あなたはこのあと、わたしたちのようなヴァーマナにまた出会うかもしれない。小児のような背丈で、語り部をし、花を捧げられる蜜蜂の行者に。そのひとびとはみな、真理という蜜を集めることによって聖なるものに仕えている。蜜はわたしたちを生かすが、わたしたちは不死ではない。母によって生まれ、老いて死ぬ。そのいのちの花綱は、同じ名によって接がれる。アアフリーン。ラング・ハイ・リ。あなたがつぎに会うのは、同じ名の別のいのちかもしれない。でも、そのひとびとも行者。同じ存在に仕えている。わたしたちは語りの共同体を維持している。反響しあう物語り、吸収し膨らむ物語り、転変する物語りを語り接ぐ。やってきて、やがて去っていくいのちは星ぼしのように燃え、神々と聖者たちに捧げられる。薪は灰になっても、聖なる火は不滅。物語りは不滅なのだ。

 わたしたちは実在しない。夢幻の存在。声が聞こえ、触れることができ、ダルとロティを渡すことができても、それはきみがそう官能しているというだけだ。だが、わたしたちは死んでいない。きみのなかで生きている。息づき、空気をふるわせ、熱くたぎる。わたしたちは語られることによって生き、語ることによって生かす。きみたちを。

 自分は語られているから生きているのだと思うことはないか? ある王はそう思い、そう語られなかった自分の生を星空に描いた。女であったり、虫けらであったり、聖仙であったり、乞食であったりしたかもしれない生。それぞれは気炎で生き生きと燃える星。王は気狂いになりそうだった。あまりにも多すぎるのだ。可能性が。ひとつひとつ、銃で打ち落としたくなった。天体観測所の月見台の上で、かれは懊悩した。太陽が日に一回巡り、黒雲が湧き起こって雨期になり、乾期の砂嵐が街をひとつ消すというできごと、天体と気象の動きに対して、人間はあまりにも無力でちいさい。科学者でもあるジャイ・スィング二世はさけび声を上げた。シタールの音色は絶え、タブラの低い音だけが続いた。その心臓の拍に似た音を聴き、王は気を取り直した。そうだ、ひとりの人間があまりにちっぽけでも、それ以外のあらゆる生き物の集合体が、霊魂の横溢があまりに巨大でも、人間はただひとつの生を生きていかなければならない。王のように権力を持っていればそれを使わざるをえない。不可触民であればなにも持っておらず、住居や家族を打ち壊されるかもしれない。それでも、二度と繰り返されることのない生を生きなければならない。苦痛や苦悶、危機に晒されても。転生することは救いではない。この世の安楽にどれだけの価値があろうか? 生という一瞬で消えていくのに。ただ解脱だけが楽土を約束されている。しかし、その道はだれにもってもけわしい。

 さて、わたしたちは行者だ。ただ語りの道を歩き、真理を集めて不滅の炎を燃やす。わたしはあるアアフリーンから生まれた。わたしたちは近親のなかで婚姻を繰り返すので、奇形がおおい。わたしもめしいという奇形だった。最初はしろっぽくぼんやりとしたかたちは見えていた。もっとも、わたしにははっきりとしたかたちとはなんなのか、一生理解できないのだが。父母は仲むつまじく、よく語り合い、笑いあい、互いに奉仕をして、父は母の髪を編んでやり、母は父の足を洗ってやっていた。わたしはよく言われた。めしいであることは幸いである。事物の見目にとらわれることがない。語りの本質をつかむことができる。うつくしさとはかたちやいろではない。

 じゃあ、声なの?

 わたしは父に訊いた。父は笑い、そういうことでもない、と言った。だが、声のうつくしいひとに惹かれるのはもっともなことだ、われわれはそれを頼りに語っているのだから。

 ふたりは互いの声が甘いのだと言い、恍惚と謳いあった。蜜のような声。蜜のようなことば。舌に感じるのと同じように、耳に、こころに感じる甘さ。その、沙漠の冬に感じるぬくもり、熱暑の夜に感じる涼やかさ。かれらが互いに触れているのを見なくても、わたしはかれらがその心地よさのなかにいるのを知っていた。同時に、それは底にくるおしさを持っている。春先にやわらかな風にまじるマンゴーの花の香り、その胸をくすぐるようなやるせないくるおしさを。

 父は歳寄ってからわたしを儲けた。わたしには姉がいるというが、彼女は別の行者とともに別の行のなかにいる。

 父が亡くなると、わたしがラング・ハイ・リとなった。母とともに語り歩いた。母は、父が死んだとき声が出なくなったほどだったが、わたしたちは蜜を集めなければならないので、わたしは彼女の代わりに語った。母は体調が安定せず、わたしの姉を呼び寄せようと言った。

 でも、母さんが語らなくなったら、母さんはどうなるの。

 蜜蜂が出て行く。

 父さんから母さんが受け継いだように? でも、父さんは……。

 父は死の直後、母に蜜蜂を引き継がせた。生きている者の喉から、女王蜂は出て行くことができない。必ず――……

 ラング、あなたがわたしの首を切って。

 なにを言って。

 女王は謳う者に棲む。わたしはもう、物語りとして燃やされるべきなのよ。

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