第9話 ビアード

「ま、ま、ま、まずいよ! そんな大きな声を出したら、見張りの人が来てしまうよー」


 ビアードは慌てたようにそう言うと、空を飛ぶのを止めまたゆっくりと地上に降りてきた。


「だってっ、人が空を飛んだんだぜッ なんかの仕掛けも無さそうだし……」


 優太がそう言うと、ビアードは何故か訝しげにこちらを見た。


「ふうーん 君、その様子じゃ魔法を見たことすらないんだね」


「魔法……ッ 今のが」


 

 それは優太にとって御伽噺や小説の中の存在に過ぎなかった。それが今、リアルな質感を伴って存在していた。


「君も見た感じ、潜在魔力はそうとうあるから、てっきり魔法が使えるのかと思ったんだけど」


 そのとき、遠くから複数の人間がこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。どうやら見張りの人間に気づかれたらしい。


「話の続きはは後だね。とりあえずここから逃げるよー それっ」


 するとビアードは老人とは思えない力で俺の事をひょいと持ち上げると、また魔法で飛行しそのまま地下から脱出した。


「いやー、空を飛ぶのは楽ちんちんだなぁ」



 村を出てしばらくした後、ビアードは優太を解放した。

 牢の中からは分からなかったが、優太がいたグロッチ村は山の麓にあり、村は森に囲まれた場所にあった。

 そしていつの間にか日は沈みきっていた。


 優太を地面に下ろすとビアードは持っていたグロッチ村の村人の服をくれた。赤茶色のかなり質素な服だったが、裸より百倍ましだ。


「ここまで来ればもう追ってこないね。あとはこの方角に真っ直ぐ森を抜ければ大きな街に出られるよー」


「待てよ……、何で俺を牢から逃がしたんだよ」


 優太はそのまま立ち去り村の方に戻ろうとしたビアードをよびとめた。


「君は明日、魔軍団長ゾディアックに生贄として差し出される予定だったんでしょ。それは本来はわしの役割だったんだよー。だから君が食べられる必要なんてないのよ」


「それだっ その魔軍団長ゾディアックてのは一体なんだってんだよ」


 そう言うとビアードは驚いた。


「魔法だけじゃなく魔軍団長ゾディアックも知らないの!」


 そうして息を飲むと神妙な面持ちになって優太にこう言った。


「ならば当然、魔王軍のことも知らないね。……ずっと昔人と魔物の住む場所は完全に分かれていた。それ故、両者が出会うことはありえなかったんだ。だがある時、一人の魔物が人間の街へやって来た。……彼はその町の人間を一番むごいやり方でみんな殺すと、周りの街も同じようにした。そして一週間も経たないうちに、彼によってその国は滅ぼされたんだよー」


「…………それが魔軍団長ゾディアックなのか?」


 優太は黙ってビアードの話を聞いていたが、そこで彼にそう尋ねた。


「いや、惜しいかな。魔軍団長ゾディアックはその後に彼に従えだした強力な手下のことなんだ。例の事件の後に知能のある強力な魔物達が彼の元で徒党を組み、同じように人間を襲い始めた。そこから人と魔物の百年の戦いが始まったんだ。その彼はね、今じゃ人の間では魔王と呼ばれ恐れられているよー」


 ―魔王? ここはそんなものが存在する世界なのか さっき、ビアードが見せた魔法といい、まるでRPGやファンタジーの世界としか思えない―


 優太は困惑していた。しかし、老人の話のおかげで少しずつだが納得できたこともあった。


「はー……だんだん分かってきたぞ 魔物が作った組織の中で魔王がトップだとすれば、おそらく魔軍団長ゾディアックは中間管理職の様な物だろう」


「ち、中間管理職? うーん、よく分からないけど、魔軍団長ゾディアック達は魔王軍の中でもかなりの立場にいると思うよ。たぶんね」


「たぶんて……、分からないのかよ」


「ううん……君は魔物を倒したことがあるよね なら魔物は倒すと名前が分かることは知ってるね」


「ああ……そういえば、そうだったかもしれない」


 優太は森での事を思い出した。小鬼ゴブリン影鬼シャドウデーモンも倒す前は名前が分からず適当な名前で呼んでいたのだった。


「うむ だけど、魔軍団長ゾディアック達はみんな強すぎるんだ。だから誰も倒したことがない。して、誰も彼らのことは知らないのよー」


「そうなのか……そうだ、お前の魔法でやっつけられないのかよ」


 優太が尋ねるとビアードは左右に首を振った。


「無理じゃ なぜなら魔軍団長ゾディアックの強さには秘密がある。それは……」


 するとそこでビアードは話を止めてしまった。


「おい、その秘密はなんだってんだよ?」


「……すまん、そろそろ行かねばならなくなったみたい」


 そう小声で言うとビアードはそっと村の方を差した。見ると夜明けの薄明かりに紛れて数人の村人がこちらに向かっていた。


「どうやら君と話せるのもここまでのようだね。わしゃあ、これからあいつらを引き留めておくよー。さっき言った通り森を抜け、街にたどりつくんだ」


「色々とありがとう 恩に着るよ、じいさん…………あ、だけど俺の身代わりってことはじいさんがっ」


 ビアードとの時間はほんの少しのものだったが、優太は自分のことを救ってくれたこの老人がこれから自分の代わりに死ぬのだと思うと悲しくなった。


「いいんだよー。本来はわしの役目じゃ。それにわしゃあ、もう十分生きた。最後にかわいい孫の居場所を守れるんだから本望だよー」


「じいさん……」


 ビアードは毛だらけの顔の下で俺を安心させるようにやや大げさに口角を上げた。そしてそのまま立ち去ろうとしたがふと何かを思いだすと振り返ってこういった。


「そうだ、君名前は?」


「優太だ」


「ユ、ユユタ。いや、……ユタかな」


 ビアードはクレアと同じように優太の名前を中々言えないようだった。どうやらこの世界の人にとって、優太という名は発音が難しいのかもしれない。


「ユタはたぶん魔法を使う才能があるよ。わしゃあ、これでも魔法使いだから分かるのさ」


「へえー……俺も魔法が使えるようになるかな?!」


「ああ、保証するよー。一つコツを教えてあげよう。魔法とは自分の中の幻想イメージを魔力によって現実にする力さ。ユタの幻想イメージを疑うな。自分を信じるんだ。それが一番のコツだよー」


「え、そのセリフは…………もしかしてじいさんの孫って……」


 優太が大事なことに気づきそれを尋ねようとしたとき、ビアードは既に飛行魔法で村の方へ飛び去った後だった。

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