第3話 細い糸

 どれほどの時間が過ぎたのか分からない。ただ俺の心臓はまだ動いているようだ……。


 気が付くと、気を失う前と変わらぬ場所であおむけになって倒れていた。周りに小鬼はいない。


 不思議なことにあれだけ滅多打ちにされた体には痛みは感じなかった。折れたはずの足も動き、試しに力を入れると立ち上がることもできた。


「どうなってんだこれ」


 全てが夢だったのか。そう思えるほどに体は何ともなくなっていた。

 

 しかし自分が倒れていた木の根本を見ると、夢ではなかったことが分かった。恐らく自分のものと思える大量の血が乾いたような跡が残っていたからだ。


「う、これ全部俺の血かよ」


―こんな量の血がでたら普通死んでる。てか、たしか死んだはずっ―


「もしかして何度も何度もあいつらに殺されるっていう地獄なのかもな フッ」


 自分で言ってみたもののそれはとてつもなく最悪な事だと思った。あんなに痛いことをこれから先何度も、もしかしたら永遠に味わわなくてはならないなんて……。


 そう考えると優太は一気に青ざめた。


「そ、そんなの絶対いやだ! ……ここから逃げるんだ」


 そうして優太は森から出るために歩きはじめた。


 しかしこの巨大樹の森はとても広大で、まっすぐ歩いても出るには一月以上の道のりを要した。しかもずっと巨木が並ぶ同じ光景が続いているため、自分がどちらに進んでいるのかも少しずつ分からなくなっていった。


「くそっ くそっ! ここはさっき通った場所じゃないか」


 森を彷徨う内に、いつの間にか元の場所に戻って来ていた事も一度や二度ではなかった。


 そのうちに辺りも暗くなってきたので、優太は偶然見つけた小さな池の側で夜を過ごす事にした。


 暖をとれる火なんてものはなく、寒さをしのぐためにできるだけ縮こまり体を丸めていた。震えは止まらなかったがそうしているしかなかったのだ。

 またずっと歩きっぱなしだったが何も口にしていなかったので、腹が減り池の水を飲んでいたがその分余計に体が冷えてしまった。


―なんで俺がこんな目にっ―


 自然と夜の寒さに凍えながら全てを呪っていた。


―俺は今まで全てを完璧にこなしてきた。そのためならどんなこともしたしどんな努力もしてきた。カスの父親に殴られようとも、バカな学生どもが俺にはむかってきた時だって、俺は耐えた。耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて、ずっと一人頑張ったんだ。それなのに、なんだこれ…… ふざけんなよ―


 優太は幼い頃から母親に暴力を振るう負け犬の父親の姿を見て過ごしてきた。父に殴られた後に、決まって母はこう言うのだった。


「いい? あの人のようになってはだめよ」


 優太はそれから、勉強や運動などなんでも誰にも負けない男になろうと誓った。どんな犠牲を払っても、だれからもあんな負け犬のように思われたくなかったのだ。


 別に優太は母の言いつけを守っていたわけではない。ただこれは当時あのクソ野郎の言いなりになるしかなかった自分にできる唯一の反抗であったのだ。お前のようにはなるまいと。


 だがその結果がこれである。


 その時、背後から物音がしたと思うといきなり冷たい池の中に突き落とされた。同時に体の末端の感覚が寒さでなくなり凍り始めた。

 慌てて水から出ようとすると何者かに頭を押さえつけられ、そのまま水の中に押し戻された。


「ゲハッ ゲハハハハ!!!!」


 小鬼がやって来たのだ。


 必死にもがくが小鬼は息をさせてはくれない。結局そのまま俺は三度目の死を迎えた。



 そこからも俺は何度も生と死を繰り返した。

 目覚めては歩き、小鬼に見つかる度に殺された。


―もう死んでしまいたい―


 そのように思った夜は一度や二度ではなかったが、俺には自死すら許されていなかった。



 だが、この繰り返しが永遠に続くのかと絶望しかけていたとき、俺は小さな希望を見つけることができた。



 ある時、無気力に森を歩いていた優太は目の前に何かを見つけた。


「…………あそこに光っているのは何だろう」


 そう思い地面に落ちていたそれを手にした。どうやら金でできたロケットのようで太陽の光に反射し輝いていた。

 鎖の先についた楕円形のアクセサリには、淵に見た事のない文字が刻まれていて中心には翼の生えた獣をモチーフにした紋章が刻まれていた。


 アクセサリの下に触れるとネジ撒き式の留め具があったのでネジを外してロケットの中を覗いた。


 ロケットの中には絵が収められておりそれを見た後、優太の目からは自然と涙がこぼれていた。


「……ああっ 俺は、一人じゃなかったんだ!」


 写真には女性に抱かれる赤子の姿があった。美しいドレスに身を包んだ貴婦人は優しい微笑みをたたえて腕の中で眠る赤子を優しく見つめていた。


 紛れもなく人間だ。あんな化け物ではなく俺と同じ人間が、ここにはちゃんといたんだ!


 きっとこの森ではないどこかには人間の住む街があるのだ。そこには小鬼どももいないだろうから、地獄からも抜け出せる。


「諦めるのはまだ早いな 絶対ここから抜け出してやるんだ」


 優太はそう決心すると拾ったロケットを無くさないように首からかけた。


 それから最初に、この森から抜け出すまでの間の拠点を定める事にした。といっても都合よく洞くつがあったりはしないので、寝床はここら辺で一番高い木の上だ。

 小鬼共の手足は短い。きっとここまで登れば追っては来れないだろう。


 住処は一応確保できたが問題は食料だ。木は沢山あるが食べられそうな果実などは見当たず、木の皮や根を食べるしかなかった。

 しかし少しだけ冷静を取り戻した優太は高校のカバンの中に学食で買ったパンが余っていたのを思い出した。


「たしか、まだカメラも入ってたな 分解すればレンズで火も起こせるかもしれない……だけど、肝心のカバンは向こうに置いて来たままだ」


 カバンは最初に小鬼に襲われたとき、逃げるのに精一杯で持ってくる余裕がなかったのだ。なのでカバンを手に入れるには小鬼のいた場所まで戻る必要があった。


「……行くしかない 血の跡をたどればもどれるはずだ」


 そして優太は今まで歩いて来た道をたどり森の奥へと戻っていった。

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