迷いの森放浪 編
第1話 富士見優太
富士見優太は昔から努力なんてしなくても、なんでもできる人間だった。
学校の模試は全国でもトップの方だし、試しにでた陸上競技の大会では優勝した事もあった。
優等生である優太は教師連中からの評価も高く、また頼れる生徒会長でもあったので、学園中の生徒達の憧憬の的であった。
しかし現在、富士見優太は見知らぬ森で遭難していた。
「一体なんだってんだよっ」
優太は自分の置かれている状況に訳が分からず、癇癪を起こして、側にあったバカでかい木を蹴り飛ばした。しかし木はびくともせず、何事もなかったように風にゆられ、葉音を立てる。周りにはこのようなバカでかい木がたくさんあり、少なくとも優太のいた東京にあるような森ではないと優太は思っていた。
「なんだこの森。白神山地か?」
優太はその場にすわりこんだ。
ついさっきまで、自分は東京にある学校の屋上にいたはずだった。
「これは夢か? いや、……まさか、俺は誘拐されたのかも」
薬で眠らされ、その間にここへ運ばれたのかもしれない。だがすぐにその可能性はないと悟った。
「だって、俺を誘拐するメリットがまるでないからな」
学校の連中は知らない事実だが、優太の家は貧しく、誘拐されても身代金を払うことなどできるはずは無い。そもそも唯一の親族である父親は毎日家で吞んだくれ、家族に暴力を振るうクソ野郎だ。ちなみに今朝も憂さ晴らしに殴られていた。
だから金があったとしても子供のために払うハズはないのだ。
優太は父親のことを思い出すと、嫌な気持ちになって、ハアっと長い溜息が出た。
―そもそも完璧な優等生のこの俺が、何故にこのような目に遭わなくてはならないのか―
その原因を探るべく、優太はここに来る前に自分に何があったのか、ゆっくりと少しずつ思い出し始めた。
……優等生でいることは非常に疲れる。
富士見優太はいつでも誠実で礼儀正しく、謙虚で信頼のある優等生であった。誰に対してもそのように接する事で、大衆のなかでの富士見優太のイメージは、己の理想通りの物へと成っていくのだ。
しかし問題がひとつ。バカと話すのは非常に疲れるということだ。しかも火に群がる蠅のように次々と集まりきりがない。
愛想を振りまくことを優太は得意としていたが嫌いであった。嫌なことを続けていればいずれ精神が参ってしまう。
そこで優太は考えた。気晴らしをしようと。
誰もいない屋上。当たりまえだ。ここの鍵は生徒会長しか持っていないのだから。
―ここなら何をしようと、誰にも見られることはない―
「う、うう……」
「おらぁ! しねぇ」
「ぐふっ やめてっ」
「ぎゃはは こいつ、ぐふぅだってっ! 聞いたかよ富士見」
優太の目の前で一人の学生がもう一人の学生から暴行を受けていた。優太はその様子をビデオで録画していた。
「分かった分かった。そんなことよりもお前あんま前に出んなよ。後で編集すんのが大変だろうが。ネットに乗せるんだぞ」
「くく、そうだったなくくく だけどこいつ、お前の昔のダチじゃなかったのか」
「はあ? こんな奴知るかよっ」
優太はそう言うと、キれ気味になって目の前で横たわっている学生の頭を蹴り飛ばした。その時、父親に殴られた事を思いだしてイラついたので、もう一度強く蹴った。
優太にとって暴力は一番手っ取り早いストレス発散の方法だった。もちろんこの行動がもたらす世間体などのリスクは理解していた為、秘匿するために生徒会長の特権をフル活用し、誰にも邪魔されない時間を作りあげていたのだ。
するとその時、屋上の出入り口の扉がガチャガチャと音を立てた。
それを聞くと優太は驚き体が固まった。想定外の事態だった。
「お、おい どういうことだよっ 屋上にはだれも来ないんじゃなかったのかよっ」
「落ち着けっ すくなくとも教師連中は絶対来ないはずだ。それに鍵は俺がもってるから開けられるハズはない」
あいつらが屋上を使用する予定がないことは、あらかじめ分かっている。となれば扉の向こうの人間は教師以外ということだ。
それに、こんな時に備えて俺自身は暴力を振るわず、直接的な暴行は隣の……名前は憶えていないが。まあ、子分にやらせていたのだ。つまり言い訳もバッチリ用意しているわけだ。
しかし思いもよらぬことが起きる。
ガチャリ
「なんだって?!」
屋上の扉の鍵が開くと向こうから一人の女生徒が出てきた。
端正な顔立ちの女生徒はこちらをキッとにらむと俺たちがビデオで撮っていた男子生徒の元へと駆け寄った。
「勇気! 勇気! ねえしっかりして?」
「り、理沙ちゃん……」
優太はこの女生徒に見覚えがあった。いい印象ではない。常に好感とは反対の感情を自分に向けている記憶があったからだ。
せっかく俺から話しかけてやっても、いつも無視してくる鼻もちならないクソ女だ。
そして、このクソ女は床に寝そべっている勇気という男子と古い仲だった。
「え~と……
「あんた達っ 最低ね!」
優太がまだ話している途中だったが、それを遮り彼女は言った。
「ははは……だからね、誤解なんだよ。私は勇気君と仲良く遊んでただけなんだ。 男同士の友情ってやつさ」
「私、前から勇気に相談されてたのよ」
「…………?」
「富士見 優太! あんたが裏で勇気をいじめてた最低な奴だってことは、前から知ってたんだからねっ」
理沙は俺を再びにらみつけた。彼女の瞳からは恐怖も感じられるが、自分が正しいことをしているという正義感のようなものも感じ取れた。
「そうですか……そうだったんですね!」
優太はまたため息をつくと、今度は思いっきり力を込めて勇気の腹を蹴った。
「ううっぐえぇ」
「ゆ、勇気!」
蹴られた勢いで腹の中の物が飛び出てきた為、それで汚れないように素早く足を引っ込めた。
「で? それで? どうするつもりなんですか? 今日の事をチクってもだれも信じないと思いますよ? 傷は見えないように腹だけしか殴らせてないし、それに教師連中があなたと私のどっちのいう事を信じるかは明白ですよね」
「げえっ」
「クソが、きったねえなあ!」
優太は勇気に追撃をくらわした。すると理沙はポケットからあるものをさっと取り出して見せた。それは何かの機械のようだった。
「なんだそれ……まさか!」
理沙は次の瞬間、一目散に逃げ出した。
「お、追いかけろ 絶対に逃がすな!」
「へ? なんで」
「バカが 見なかったのか あいつの持ってたボイスレコーダーを! 証拠を取り返すんだ!」
「お、おう!」
優太たちは勇気を屋上に閉じ込めると、彼女を二人で追いかけた。今日は日曜日だ。幸いに走り回っても誰もいないため不審がられることもなかった。
陸上種目の優勝経験者から逃げられるはずもなく、理沙はだんだんと距離を詰められていった。
そのうち子分と廊下で両脇から挟み撃ちになり、しらみつぶしに空き教室を探していく事になった。
「この階のどこかにいるはずだ。もしこのまま逃げられでもしたら、お前だってただでは済まないんだからな」
「は、はい」
しかし二人で探したが、この階のどの教室にも理沙の姿は見当たらなかった。
「ま、まずいんじゃ、もう学校の外に出たんじゃ…急いで追いかけようぜ!」
「いや、あいつは確かにこの階に消えたはず……残るは」
そう言うと優太はまだ探していなかった女子トイレに足を踏み入れた。生徒会長としてもまずい行為だが、今はそうも言ってられない。
トイレの中はあまり綺麗とは言えなかった。男子の方と同じで個室が4つあった。そして後ろから子分がおどおどとついてきて言った。
「いなかったんなら早く出ようぜ 誰か入ってるみたいだし、流石にちょっと恥ずかしい」
トイレの中を調べると個室4つの内、奥の一つにだけ鍵がかかっていたのだ。
「いや、ビンゴだぜ……」
優太は持ち前の運動神経を活かしてなるべく素早くトイレの扉を登ると、そのまま鍵のかかった個室に侵入した。個室の中にはやはり便器に腰かけている女子生徒がいた。
「え? あんた、あり得ないわよっ」
扉の上から跳びおりると理沙は個室の扉を開け外に逃げようとしたが、出口で待っていた子分に難なくつかまった。
「離しなさいよっ あんた達ここがどこだか分かってんの 私叫ぶから!」
「おっとそれは困るな」
「え? ちょっと! むぐぅっ」
理沙の口に自分のハンカチを詰め込み声を出せないようにすると、そのまま便所の床にはっ倒した。
「さあっ、さっさとさっきのレコーダーを渡せよっ」
しかしいくら頼んでも、彼女は俺をにらみながら首を横に振るのみだった。
今日は日曜日で学校の中に人があまりいないといっても、このままもたもたしていてはいずれ他の生徒がやって来てしまう。
「……こいつの体をしっかり押さえとけ」
子分にそう命令すると、優太は仕方なく嫌がる理沙の制服のなかに手を突っ込んだ。そしてしらみつぶしに服の中のボイスレコーダーを探し出した。
理沙は必死に左右に体を揺らし抵抗しようとしたが、がっちり子分に押さえられ彼女の力では抜け出すことが出来なかった。
「す、すぐ出さないのが悪いんだ」
やっと内ポケットから見つけたときには、彼女の表情は今にも泣きだしそうだった。流石に罪悪感を感じていると子分が俺にこう言ってきた。
「富士見 こいつどうするつもりなんだよ」
「は、どうするって……もうレコーダーは奪ったから羽月には用はないけど」
子分は下卑た笑みを浮かべて俺に耳うちをした。
「へへへ、けどこいつっ 絶対後でチクりますよ。何か口封じでもしといた方がいいんじゃ。例えばこのカメラで………………」
「ええッ いや、お前それは……」
優太は躊躇した。
いつもイジメている勇気にはもはや何の躊躇も無い。しかし羽月理沙に対しては、既にやりすぎている自覚があったからだ。
なので優太は子分の
しかしその瞬間、まるで別人格に支配されるように、全く反対の感情が優太を乗っ取った。
(………今更、何を偽善者ぶっているんだ?………)
それはほんの一瞬だったが、優太が考えを変えるには十分な時間だった。
「それも……いいかもな………」
「へへへ、さすが分かってるぜ」
二人の会話を聞いて、これから起こることを察したのか、理沙は今までになく必死にもがき始めた。口がふさがった状態でなんとか助けを呼ぼうと、なんどもうなり声をあげていたが俺たち以外に人の気配はない。
優太は子分からビデオカメラを受け取り、凄惨の撮影を始める。
しかしそんな悲惨な光景を見ていても、先ほどまでわずかにあった彼女に対する罪悪感はどこかに消え去っていた。
「うーっうーっ」
「へへへ、じっとしてろ」
ただ静かに録画を続ける。ほとんど無の状態だったがいつも強気な態度できにくわない女生徒が、目の前で弱っているのを見るのは少し楽しかった気がする。
だがしかし、突然思いもよらぬ事が起こった。
次の瞬間、突然轟音と共に窓の外が真っ赤に染まると、突然、周りにいた自分以外の人間が見えなくなったのだ。
「は? 何がおきた?」
今まで経験したことのない異常に生物としての危機感を覚えた。
優太は手に持っていたカメラを投げ捨てると、慌ててトイレから飛びだした。そして外のようすを見るために屋上にでた。
するとそこには世界の終わりとも形容できる光景が広がっていた。
空は真っ赤に染まり、街には極大の隕石のような燃える岩が次々と降り注いでいた。街は隕石で壊れ燃えていた。
「なんだこれ……意味わかんねえよ」
気が付くと俺の頭上にも大きな隕石が落ちてきて、そのまま学校は隕石によって破壊された。
そうして、この世界の富士見優太は死んだのだった。
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