第19話 フェイ

 ※グロシーンあり


 ──────────

 そんな砂漠生活も5日目に突入した。

 ここでついに、というかようやく、生きている人間と出会った。


 ◇


「ぎゃぁぁ…。」

「ワゥオーン!」「ギャイィィ…ン。」「ゴホガハッ!」


 いつものように、もはや枯れとは言えないくらい干からびた川底沿いに移動している俺の耳に、丘陵の方から騒がしい音がきこえてきた。


「何だ?人の叫び声が聞こえたみたいだが…。」


 索敵を働かせながら低地から這い上がって近づくと、大型犬のような動物に囲まれて襲われている3人の人間が目に入った。


「人間と犬?…いや、あれは狼…か?」


 灰色の狼の集団が獲物を取り囲んで、俊足を活かして積極的に人間に襲い掛かっている。


 対して人間は、女性騎士一人だけで戦っているがその動きは鈍く、狼どもを躱すので精一杯のようだ。なぜならその彼女も岩を背に剣を片手で握っているだけで、剣にまるで気が乗っていない。

 大量の血が流れ出ている彼女の左腕はダラリとしたままだ。

 おそらく気力だけで立っているのだろう。


 彼女の傍には2人の人間が倒れていて、身動みじろぎ一つしない。

 彼らの周辺には斬殺されたか魔法で爆殺されたらしい原型を留めない複数の狼が、血溜まりの中に倒れている。

 

 ◇


「助けに入るぞ!」


 一応その女性騎士に声をかけたが、返事を聞く前にその場に突入した。

 彼女は一瞬驚いたように目を見開いたが、虚ろな目で俺を見つめ返すだけだった。頷く余裕もないのだろう。


 俺は彼女の傍の岩まで近寄り、ボディポーチに仕舞っていた角カエルの唾袋を瓶から素早く取り出した。そして途中で袋が破裂しないように魔力膜を纏わせて、俺達から離れた場所にいる狼どもに向けて力任せにぶん投げた。


 バシャッ、バチン。

 ジュワー…。


「ヴォォォォォーン…!」

「!、…ギャフン、ギャャャー!」

「クシャン、クシャン、…グェッ!」


 狼の体に命中した唾袋が勢いよく破裂してあたりにカエルの毒が飛び散る。 


 唾袋の直撃を受けた2匹の狼達が泡を吹きながら倒れて痙攣していたが、やがて動かなくなった。  

 袋がモロに当たって飛び散った酸が付着した場所は、分厚い体毛どころか肉まで溶解してしまい、ピンク色っぽい血肉をへばりつかせた骨を露出させている。

 内と外から爛れた様子はなかなかグロく、ちょっとした地獄絵を見ている気分だ。


 周囲の狼達も、飛んできた酸で火傷をしたり、毒霧にむせ返りながら涙を流したり涎を垂らして苦しんでいる。

 嗅覚が良いのも善し悪しだな。


 投げた自分が言うのもなんだけど、やはり強烈な酸の毒って怖いなぁ…。


 ◇


脚力jump!》


 狼どもが状況を掴めずに苦しんだり戸惑っている間に、俺はすかさず岩陰から跳躍して女性騎士を襲っていたリーダー格の狼に飛び掛かかった。


 《鑑定》スキルでこの狼達が俊敏性に優れていること以外特技がないことを確認しているので、今回は気兼ねなしに肉弾戦を仕掛けられる。


 部分強化脚力スキルでパワーアップさせた脚を狼の首に固定して躊躇うことなく片方の目をナイフで抉り潰すと、

「ギャワヮォォォーーン!」

 と狼が甲高い悲鳴を上げている間に、首を掻っ切った。


 プシューッと弧を描くように動脈から鮮血を勢いよく噴き出しながら、狼がドサッと横倒しになった。

 狼の虚ろな瞳が血飛沫の合間から覗く鮮やかな碧天を映していたが、それもすぐに光を失った。


 毒で倒した狼に続いて、すぐにリーダー格の狼の魔力も俺に流れ込んできた。

 残念、野生の狼魔物ではない生物は思ったより魔力が少ないんだな。


 ◇


 奇襲攻撃もここまでで、毒の影響をあまり受けなかった残りの4頭が目標を俺に変えて襲い掛かってきた。

 俺は今度は《脚力run!》と叫んでその場から離れるように駆け出すと、狼達は怒りながら俺の後を追ってきた。頭が悪くてよかった。

 

 俺は女性騎士から充分離れたところまで来ると、くるっと体の向きを変えて駆け寄って来る狼達と向き合った。

 そして足元の砂を握りしめて狼達に投げつけた。……魔力を込めて。


「ギャン!」

「キャイン、キャイン…、クシャン!」

「ヴォォーン、カーッぺぺッ。」


 砂漠に生きる狼達にとって、小さな砂が飛んでくることくらい大したことはない。

 そう高をくくって突撃をやめなかった狼達は、飛んできた砂がいつもと違い、速いスピードで目や鼻などの露出部した部分に鋭く突き刺さったことに驚いたようだ。


「ちっ、やっぱり砂粒程度じゃ大したことないか。

 川底ワーディにいたら石礫でもっとダメージを与えられたのに。」


 残念だが丘隆の細礫くらいでは狼達に致命傷を負わす迄はいかないようだ。

 目や鼻、薄い耳から血を流しながら、怒り狂った狼達が再び突進してくる。


 俺は今度はポケットからホーンラビットの細長い角を取り出して狼に向かってスローした。……もちろん、こちらも魔力をのせて。


 ◇


 バキューンッ!ドスッ!ドスッ!


「ギャッ!」

「キャンキャン!」

「ブワフッ、グギャ!」


「やりぃ、狼の目玉ブルだっ!」


 今度はいい感じにスピードと威力が加わったみたいだ。

 ダーツのイメージでスローした。だって長さのあるホーンラビットの角はダーツ投げにピッタリだろ?


 魔物のパーツのおかげかな、さっきの砂礫と比べてこっちの方が魔力が乗って想像以上の殺傷力になったのは想定外の嬉しい効果だ。

 狼の分厚い毛皮装甲を突破して横脇腹や前足に突き刺さるのはもちろんのこと、目玉にヒットしたやつなんて狼の脳髄まで届いて即死させたようだ。


 だが咄嗟のことで手持ちの本数があまりない。お試し試行も成功したことだし、適当なところでやめておこう。


 俺は毒や角で苦しむ狼達に突進して、足蹴りやナイフを使って躊躇なく残りのやつらを倒した。

 この数日間で、敵と見做した生物の命を奪う倫理的な戸惑いなんてもう無くしたよ。


 ────────── ◇◇◇


「もしもし?」

 女性騎士の元に戻り、茫然としている彼女に声をかけてみたが反応がない。


「おい、大丈夫か?」

 女性騎士の肩に手をかけて少し揺さぶると、彼女はなにやらモゴモゴと言ったようだが、砂嵐のせいかよく聞き取れない。


「すまない、風であまりよく聞き取れないようだ。

 大丈夫……には見えないが、とりあえず意識はあるか?」

 とさらに声をかけると、ようやく女性騎士が、

「……あ、あぁ、……助けてくれて……感謝する。……私の仲間は?」

 と答えが返ってきた。


 俺は振り返って倒れている二人に近づいた。

 魔法使いか魔術師らしき服装の男性と冒険者風の男性二人は、吹き荒ぶ砂地に埋もれかけている。


 さらに近づいて様子を確認すると、魔法使い風の男は首を噛み切られて出血多量で絶命している。自分の命と引き換えに多数の狼達を魔法で裂殺したんだろう。

 斥候タイプの冒険者はかろうじて命は取り留めているようだが、顔の傷だけでなくナイフを持っていた右腕と右足を引きちぎれてショック状態に陥っている。


「残念だが1人はすでに亡くなっているようだ。もう一人も重体だ。

 …ほら、この盾はお姉さんのだろう?」

 戻りすがら拾った丸盾を女性騎士に手渡して、見た通りを伝えた。


「自前の薬はある?止血を手伝うことくらいならできるけど。」


「あぁ、…すまない。

 あそこの…荷物の中にポーションがあるので、持ってきてもらえると助かる。」


 彼女が指さした仲間の荷物からポーションと清潔そうな布を何枚か持って戻る。

 小瓶の体力回復薬ポーションは濃い赤色だ。色の濃さから見ておそらく俺が持っているものより効果の高い薬だろう。

 俺は薬瓶の蓋を取って彼女の動く方の手に持たせて、飲めるように手を支えた。

 体力回復薬ポーションを飲み切ると、少量にも関わらず彼女の顔色がぐっとよくなり呼吸も穏やかに戻ってきた。すごい、効果てきめんなんだな。


 同じように、もう一本を冒険者に飲ませる。

 こっちは意識がないので無理やり口をナイフでこじ開けて少しずつ瓶の中身を流し込むようにして飲ませた。

 少し落ち着いたようだが顔色は真っ青のままだ。体力回復薬では流れ出た血を補うことはできないのだろう。

 女性騎士に許可を得て、念の為もう一本、冒険者に飲ませる。


 それから俺は水筒の水で彼女の傷口を軽く洗い流した後に、布で傷口を包帯を巻くように覆ってあげた。


 冒険者の手足は完全に切断してしまっているので同じように断面を洗い流してから魔力操作で圧迫止血を試みたが、なにぶん初めてのことだからちょっと自信がない。


 鋭い牙で噛み千切られたギザギザの断面から、ぐちゃぐちゃになった肉だけでなく筋や骨が飛び出ているのを見ながら、想像できない痛みに心が痛む。

 止血したはずの布が、あっという間に鮮血で染まる。


 拾った冒険者の手足の断面も洗い、とりあえず布で一緒にぐるぐる巻きにして本人の傍に置いた。


 ────────── ◇◇◇


「見知らぬ私達を助けてくれてありがとう。いくら不意を突かれたとはいえ、たかが狼後ごときにこの様とはな…。」

 目力が戻った女性騎士が、後悔の涙を滲ませながら俺に礼を言ってきた。


「どういたしまして。野生狼とはいえかなりの数だったようだし…、お姉さんだけでも話せるようでよかったよ。」


 俺は年齢相応な子供っぽい話し方のふりをして女性騎士そう言った。


「で、お姉さん達はすぐに還れる手段はあるの?

 ポーションで一時的に元気になったように思えるかもしれないけど、根本的な治療をしたわけじゃないからね。

 特に手足を切断された冒険者のおじさんはまたショック状態を起こしかねないから、急いで戻って優秀な治癒士に治してもらった方がいいと思うけど。」


 彼女も頷いて、

「そうだな、仲間二人がやられて私もこの状態、今回の調査でなんの成果もあげないまま戻るのは悔しいが、この状態で作戦続行は無理だ。

 パーティ帰還で転移ポータルに戻ることにするよ。」


 ────あぁ、帰還石なのか…。


「そっか…。」


 高度な魔術式が施された転移スクロールだったら俺も一緒に連れて行ってもらえるかもと期待したのだが、掛捨て旅行保険のような帰還石では予め登録してある個人またはパーティメンバー以外を連れ帰ることはできない。


 俺のがっかりした様子を見て、彼女ははっと気づいたようで、 

「少年、まさかとは思うが…、きみはこの砂漠に一人でいるのか?

 まだ子供のようだが、保護者おとなは?一緒の仲間は?」

 と、口早に聞き返してきた。普通はそういう反応だろうな。


「いや、俺一人だよ。

 記憶喪失なんで詳しいことはわからないけど、俺以外は誰もいないよ。」

 全部を明かすことはできないので、差しさわりのないところだけ伝えた。


「まさか?!!普通の砂漠でも過酷だというのに。

 ここは『砂漠のSand 迷宮Labyrinth』と呼ばれるダンジョンだ。

 一見、普通の砂漠に見えるかもしれないが、ここはダンジョンの地下なんだ。

 きみもこの砂漠の不自然さに気づいているだろう?」


 俺は心の中で「好きでここにいるわけじゃないんだけど」とぼやきつつ、

「道理で偏りある魔物ばかり出現するなって思っていたけど…、そうか、ダンジョン…だったんだね。教えてくれてありがとう。

 でもまぁ幸運なことにまだ今日は生き残れているよ。明日とか未来はわからないけどね。」

 と答えるしかなかった。


 ────────── ◇◇◇


「申し訳ない…。

 恩人でもある少年ひとりをこのような場所に残して去るのは心苦しいが…、我々はこれ以上任務を続行できる状態ではない。きみの助言通り、即時撤退する。

 …その荷物の中に少量だが食料や薬がある。少なすぎる対価だが、受け取ってほしい。」

 苦渋の決断で顔を歪ませた彼女は申し訳なさそうにそう言った。


「うん、そうしなよ。

 俺がここにいる事情はお姉さんのせいじゃないから気にしないで。

 食料と薬はありがたく頂戴するね。」


 それから女性騎士はキリっとした顔をして、俺にぐいっと顔を近づけてきた。…上目遣いで。


「だが私は必ず礼をしに、再びきみに会いに戻ってこよう。

 だからその為に、…少年を見つけることができるように…、印を付けマーキングさせてもらっても良いだろうか?」


 体力回復薬ポーションの服用直後で少し上気した顔に、揺らめく菫色の瞳が俺を見つめる。

 …あざといな。なんだよ、そんなかわいい顔もできるなんて反則だろ?嫌なんて言えないじゃないか。


「…れ、礼なんて気しなくてもいいのに。

 まぁそれでお姉さんの気が済むならいいけど、でもどんなマークか知らないけど痛かったり入れ墨みたいにずっと残るものは嫌だからね。」

 ちょっとドギマギしながら答える。


 近づく彼女から離れようとするが、澄ましたような紅い唇と、破れた制服からのぞく細いうなじや鎖骨から目が離せない。

 …彼女、随分と美人だな。


「まさか、そんな痛みを伴う物理的な印は付けないよ。」


 そんな俺の不躾な視線に気づく様子もなく、彼女は軽く笑って俺にもう一度近寄り、両手で俺の頬を軽く挟んで軽くキスを落とした。

 こんな素敵なキスならいくらでも!

 …………は俺の妄想だ。すまん。


 ◇


 離れた俺に再接近した彼女が俺の両頬を挟み、何やら耳慣れぬ呪文を唱えながら呼気を長く吐き出すと、眼の前に魔法陣が浮かび上がった。

 彼女の瞳と同じ、菫色の円陣だ。


「!」

 俺は思わず目を瞠って、眼の前を漂う魔法陣を食い入るように見つめた。


 魔法陣はすうっと上昇して暫く大小と大きさを変えながら俺達の頭上を旋回していたが、やがて2つに分裂して、彼女の手が触れている俺の両頬に一つずつ吸い込まれていった。


「今のは何?」

 俺は自分の頬を触ったりつねったりしながら尋ねた。

 うん、変化なし、いつもどおりのツルペタな子どもの頬ほっぺただ。


 彼女は満足げに、

「我が家に伝わる魔法、《巡り会いランコーントル》だよ。

 魔法陣を通して対象とする人や物に私の魔力を残すことで、一定期間、対象の居場所魔力のありかを感じることが出来るんだよ。」


 マジか?それってつまり、一種の追跡魔法だよな?

 夢見がちな名前に惑わさなければ、運命ロマンスとは縁のない、えげつない魔法だ。


 …俺、逆恨みでこんな砂漠にとばされていることを忘れていたよ。

 うっかり印づけマーキングを許可してしまったが、あのアザカワな仕草といい、また何かの悪意に巻き込まれたのだろうか?


 ◇


「コホン。…もちろん、どの対象にもできるわけではないしそれなりに制約もあるが、人や物ターゲットに込められる魔力次第で、感知できる範囲や魔法の有効期間も変わる。

 例えば今回は、約1年間、この砂漠の範囲くらいなら少年の居場所を捕捉キャッチできるだろう。」

 

「?、『私の時間で』ってどう意味?」


「このダンジョンと普通の世界での時間の流れは異なるんだよ。

 まあ、詳しいことは次に会った時に話たい。私からも色々聞きたいことがあるからね。

 だから私と再会するまで生き残るんだぞ。必ずだ。」


 熱意を込めて話していた女性騎士の顔色が再び悪くなってきた。呼吸も少し乱れてるようだ。


 察するに、家宝という特殊な魔法ランコーントルは、呪術者の魔力を対象ターゲットに「印」という形で一時的に移管するのだろう。

 発現自体にもそれなりの魔力を必要とするようだから、彼女は今、急激な魔力低下を起こしているに違いない。


「うん、わかった。再会できることを楽しみにしているよ。

 だからお姉さんも、早…」


「フェイだ。私の名前はフェイと呼んで欲しい。敬称もいらない。」

 俺の話を遮って、彼女が自分の名を名乗った。


「…フェイも、早く元気になってね。」


 俺がそう言い直すと彼女は満足そうに頷き、

「ありがとう。で、少年の名前は?」


「俺は記憶をなくしているから名前はないんだ。

 あぁ、そんな顔しないで。…詳しい話はまた会えたら、だよ?」


 こうしてフェイは仲間達と共に帰還石で戻ったんだ。



 ────────────:◇◇◇

 ※用語補足:帰還石


 転移ポータルで提供される、帰還魔術式を施された魔石のこと。この魔石のおかげで冒険者の生還率が一気に高まることになった。

 帰還石に魔力紋登録することで、その石を砕くと登録元のポータルに戻ることができる。

 魔力紋登録による帰還契約は、神殿から派遣される神官または聖女と行う。

 一人一石の契約の為、本人以外の生きている魔力紋未登録の人間が一緒に戻ることはできない。


 転移スクロールよりは安価だがそれなりに登録料は高い。

 契約タイプは、任意帰還、強制帰還、パーティ帰還などがある。

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