第21話 フェイ:時間

 あれから何か月経っただろうか。

 忘れかけてきた頃に、再び彼女が現れた。


「5日…いや、ここでのきみの時間では近く経ってしまっただろうか。すぐに戻ると言ったのに…、許してほしい。」

 開口一番、フェイはそう謝辞した。


 そして少し憤慨した口調で、

「治癒魔法のおかげで怪我自体は1日で完治した。我慢してベッド療養もおとなしく甘んじた。

 なのに、いくら願い出ても『砂漠の恩人』に会いに行くことを許可をもらえない。

 まだ怪我が治っただけで回復したわけではないと言うんだ。」


(―――― 帰還時の惨状を鑑みたら、まあそれくらいの心配はされるだろうな。)

 俺は心の声を飲み込んで黙っていた。


「だから今日は内緒で来たんだ。

 休暇療養中だから、少しくらいの不在なら気付かれないだろう。」

 と言って、ニンマリと笑った。


 確かに前回のような鎧を装備していないところをみると、私的な行動であるに違いない。

 まるっきり普通の冒険者の装いだ。


「え…、それってダメなヤツじゃ…?」

「自主リハビリの一環だから、いいのっ。」


(──── …何言ってるんだろうね、このお姉さんは。)


 俺が呆れ顔で何も言わずにいる様子を見てフェイは慌てて、それでも少し得意げに、

「さすがに1人で砂漠横断は無謀だということくらいは私もわかっている。

 だから今回はちょっとしたんだ。

 《巡り合いランコーントル》魔法の中でも滅多に使うことがない《dreamwalk 》を使って、一気にね。」

 とさらっと爆弾発言をしてくれた。


「その《夢路dreamwalk 》って、何なの?」

 確か前世にそんな感じのピアノ曲名「Beautiful Dreamer」があったな…。いや、フェイの魔法とは関係ないんだけど。


「《夢路dreamwalk 》は、術者の私と目印であるきみとの間に、術者しか通れない『魔道』を繋ぐ魔法なんだ。

 片道しか使えないとは言え、道中は障害もなくあっという間に移動できる便利な魔法なのだけど、とにかく大量の魔力量が必要でね。

 1回使うだけでそのあとの約1か月間はまともに魔法が使えなくなってしまうんだ。生活魔法がなんとか、くらいで。だからそう簡単には使えないんだけどね。」

 と彼女は2本の高級魔力回復薬の空瓶を振ってみせながら、くすっと笑った。


 「魔道」とは異次元ルートみたいなものだろうか?、俺には未知のものだな。

 それにしても一時的とはいえポーションで補充しても解消できないくらい根刮ぎ魔力を持ってかれる魔法とはね…。確かに乱発はできそうにないな。

 だが今後のことも考えて、一応、釘を刺しておかないと。


「転移魔法とは違うようだけど、こんな一方的な魔法の目印にさせられていたとは知らなかったよ。

 まさか俺をここ砂漠での動く中継地点として利用するつもりだった、なんて言わないよね?」

 

 「夢路」なんて「巡り合い」に匹敵するくらい夢見がちな名前だけど、やはり実態はどちらも追跡魔法と変わらない。同意もなしに勝手に使われるようなら御免蒙りたい。


 俺が静かに怒っている様子を察して、再びフェイが慌てて、

「断じてそんなつもりはない。誤解を与えたようならすまなかった。

 この魔法を使ったのは…、一人でも確実にきみに会いたかっただけなんだ。」

 と早口で言い訳する。 


「…それならいいんだけど。」


「でも…、よく考えればやっぱり今回も少年と一緒に帰れないし、利用していると思われても無理ないかな…。」

 前回とは異なり今回は確実に俺がいることを知ってやってきているわけだから、罪悪感が半端ないのだろう。


「それについては前も言ったけど、気にしなくて良いってば。

 そもそも俺が一緒に帰還できたとしても、どうせ簡単には済まないんでしょう?」


 兵士や神殿の人間が常駐する人為的なポータルなら、つまりそこは関所の役割も兼ねているってことだろうからね。

 国境警備の最前線の兵士達が身元不明の人間を簡単に通すわけがない。


 フェイも顔を歪めて頷いた。


 ────────── ◇◇◇


「でも本当に私も気が気じゃなかったんだよ。

 この『迷宮の砂漠ダンジョン』は現実に比べて時間の流れがあまりに早いからね。」


 そう、開口一番彼女が言いかけた、数日間と数ヶ月の違い。


 この世界も1日24時間制だが、1週間は6日で1か月は4週間と毎月末の閏日を加えて25日間だ。1年は12か月だから1年は合計で300日しかない。前世地球時間より短いサイクルだ。


 そしてフェイの説明によると、ここで流れる時間は「普通の世界」よりずっと早いらしく、普通の1日が砂漠での1ヶ月分の時間に対比するらしい。

 だから彼女はできるだけ早く俺に再会したかったのだと言う。


 まるで浦島太郎だな。

 だがお伽話とは異なり、なぜかこのダンジョンでは肉体年齢は変わることがない上、脱出後もダンジョンでの経過時間が肉体年齢に加算されることはないと聞き、俺も少し安心した。


 で話を戻すと、つまり彼女が5日間経って戻ってきたということは、俺は既に5か月はここで生きていたことになるわけだ。

 だから彼女は信じられなかった。

 この長い期間を子供ひとりでこの過酷な環境でどうやって生き残ったのかを。


 ◇


「俺の持ち物は全て規格外特別性なんだよ。そのおかげで俺は生き延びていると思ってるんだ。」


 俺は口で言うほど大丈夫そうには見えないフェイの様子を見て、テントの中で休ませることに決めた。

 そして、ある作戦を実行することにした。それは…。


「立ち話も何だからゆっくりできるようにテントを準備するね。

 ただしこれから見るものは口外禁止だよ。」

「ああ、わかった…。」


 テント設営はワンタッチみたいなもんだから、あっという間に張り終わった。


「これは…、す、すごいな。」

 中に足を踏み入れた途端、さらにフェイは感嘆の声をあげた。


 説明するにはあまりにも面倒な俺の能力を隠すために、生き残れた理由は不思議グッズのおかげと思ってもらうことにしよう。

 俺は説明の落とし所を考えながら、さらに寝袋も取り出してクッション代わりに彼女に座るように勧めた。


「外の風や音がまるで聞こえない…。このテントは防風に防音がかかってるのかい?

 しかもこの快適な温度調節に良い香りまで漂ってくるし、この寝袋はふかふかだ…。」

 さっきと逆で、今度はフェイが興奮状態だ。


「どう?、すごいでしょ、このテント!」

 すごいのはとにかくこのテント俺の魔導具。これで乗り切ろう。


「あぁ、見たところ普通の布製テントのようなのに、不思議だな。

 これはテント幕に模様のように散りばめられている魔法陣のおかげなのか?」


「俺はそう思ってるよ。

 それだけじゃない。防水防音や温度調節だけでなく、結界魔法もかかってるんだよ。」

「えっ、それは本当か?ますます信じられない…。」

「本当だよ。結界耐性がわからないから100%安全とは言えないけどね。

 でも俺がこうして生きていられるのは、優れた魔導具テントのおかげだと思っている。」


 実際、この快適で安全な環境を創り出しているのは、大小複数の魔法陣群だ。

 そしてこれら性質の異なる魔法陣を制御運用するために、どれだけ高度な魔術式を必要としているのか、俺には想像すらできない。


「…。」

 フェイは黙って天幕の魔法陣に魅入っている。


 俺はリュックサックからコップを取り出して水筒から水を注ぎ、フェイに手渡した。


「ありがとう」

 彼女は素直にコップを受け取り、一口飲む。

「…とてもおいしい水だ。…きみは飲まないのか?」

「もちろん飲むよ。」

 俺も水筒から直接水を飲む。


「…食料は魔物肉でなんとかできたとしても、この新鮮な水はどこから入手しているんだ?」


 この水筒の水はただの清涼水ではない。

 僅かだか治癒効果を含んだ水が、常に水筒を満たすように湧き出ている。

 これも水筒に描かれている緻密な魔法陣に加えて魔晶石を使っているおかげだが、希少な魔晶石を持っていることは話さない方がいいだろう。


 仕方ない、ここは少しだけ真実を交えて誤魔化そう。


「これでも俺だって魔法が使える年齢な『天使のいたずら』の声を聴いたんだよ。だから、水魔法くらいは使えるよ。」


 フェイ達と出会った時から5ヶ月余り経過した。あの時とは違い、俺だって今ではの魔法は使えるようになっている。


「ああ、の水なのか。

 じゃあ、火も自分で熾せるの?」


「うん、まあね。だけど燃やせるものがないからほとんど火魔導具に頼ってるよ。」

 これは残念な事実だ。未だに砂漠で燃料になるような植物などは見かけない。


「食料は、主に俺より弱そうな魔物を討伐して食い繋いでいるけど、最近はフェイ達みたいに冒険者に会えれば食料を融通してもらえることもある。

 だからフェイが罪悪感を抱く必要はないんだ。

 俺も、生き延びて砂漠ダンジョンから脱出しようって思ってるから、大丈夫だよ。」


「…なるほど、ある程度は納得したよ。子供なのに随分としっかりしているんだね。

 でも、少年は記憶をなくした上にこんな環境に一人でいるにもかかわらず、なぜそんなに落ち着いているんだい?」


「うーん、だって別に騒いだからといって記憶が戻るわけでもないでしょ?

 魔導具で転送させられたらしい痕跡があったから何か理由があったのだと思うけど、そもそも記憶喪失の俺にはわからないことだし。」

 嘘は言ってない。省略し過ぎて語らない事実もあるけどね。


「俺だって自分のことを知りたいとは思ってるけど、あまり以前の自分に執着しないようにしているんだ。だって今を生きることに精一杯だから。」

 これはほぼ本音だ。


「そうか、重ねて立ち入ったことを質問して申し訳なかった。

 少年の落ち着いた雰囲気から、記憶喪失だということを忘れていたよ。

 …さてと、今日は少年の話を聞きたかったのも確かだが、少ないが手土産代わりの食料だって持ってきたんだよ。忘れないうちにそれを渡さないと。

 もっとも正直を言うと少年が生きているか半信半疑だったんで、ろくな準備をしてこなかったのだけど。」


 彼女は気を取り直して、バッグの中から食料の入った袋を取り出した。


 ────────── ◇◇◇


 フェイが持参してくれた食料は当然のようにあのカチカチな消し炭パンがメインで、俺は彼女らしさに苦笑した。

 それ以外は、今回は肉類はない代わりに多めのドライフルーツと乾燥野菜、さらに調味料を持ってきてくれたようだ。


「少年がこうして生き残っているということは、魔物肉で凌いでいるということ。

 ならば、それ以外の食料と調味料が欲しいだろうと思ってね。」

 さすが冒険生活経験者の気遣いだな。


 食料は兵舎内の食堂の食糧庫から転売してもらったという。よくある取引だと。

 乾燥野菜はもともとあまり流通がない。今回はたまたまジャロット、ガウリーヌとペーンズ豆があったので分けてもらった、とのことだ。

 オレンジ色のジャロットは油ものに合う色鮮やかな甘い野菜で、そのままで食べても美味しい。

 だが濃い緑色のガウリーヌは乾燥させても栄養価が減らない優れた野菜だがとても苦くて硬い。まぁ、たいていの子供が嫌いな食材だろう。

 乾燥ペーンズは分厚い外側の皮のまま焼いて火が通ったら皮をむしって食べるか、野営などで時間がある時には皮ごとスープに煮込んで食べる。この世界でも豆は栄養バランスが良い、人気の食材だ。


 ドライフルーツは、定番のマーンカイと今回はチージンクもある。

 甘いものがあるってうれしいよね。

 あとで蒸し黒パンと混ぜてフルーツケーキ擬きができないか挑戦してみよう。


 調味料は多めの塩だ。高い胡椒を買うか塩をその分増やすか悩んだそうだ。

 もちろん胡椒はあればうれしいけど、いつ抜け出せるかわからない今の生活なら、確かに多量の塩の方がありがたいかもしれない。


 ◇


 そしてフェイは、食料だけを持ってきたわけではなかった。


 絵本だ。

 絵本は子供向けの単語の絵本で、挿絵に対して5か国語の単語が列挙されている。


「きみは気づかなかったようだけど、最初に出会った時我々はそれぞれの言葉で話そうとしていたんだよ?

 最初に会話が進まなかったのは、お互いの言葉が理解できなかったからさ。」


 そうなのか、全くそんなことは気づかなかったよ。


「私は少年が《翻訳》スキルを持っているのかと思ったけど、それとは違うようだったからね。こういう絵本が役に立つのかと思ったんだけど。」


 フェイ曰く、この世界は国が200以上もあるらしいし交通手段も未発達なため、この5か国語がどのくらいの世界共通語ワールドスタンダードにあたるかはわならないというけど、と予め断りを入れられたが、俺としては何ら問題ない。


 俺の言語に関するスキルはよくある「異世界言語」とか「異世界翻訳」というチートスキルではないようだが、聞く回数を重ねていくうちにある程度理解できるようになっていくことだけはわかっている。他の旅人と会話してもそれを実感している。

 子供が言葉を覚えるを超短期間でこなしている感じだろうか。

 だからたとえ少ない単語数だとしても、他国言語をあらかじめ学習しておくことはきっとすぐに役に立つだろう。

 俺は素直に「ありがとう、すごく嬉しいよ」と感謝の言葉を述べた。


 ちなみに、同じく子供向けの数字と簡単な計算について書かれた絵本ももらった。

 数字はよほど特殊な言語体系の国でない限りほぼ同じ形らしいので、話し言葉を覚えるよりは負担が少なそうだ。計算方法とか公式とかのこちら独自のルールを知る必要はあるけどね。

 なにより前世元日本人の沽券にもかかわるので、算術では負けられないよね。


 ◇


 たかが本と言うなかれ。

 この世界では紙とは羊皮紙で、さらに印刷技術がない。

 このため本の制作は、羽ペンの手書きで書かれた原本を同じく人手で写本する形となるので、とても貴重なものなのだ。

 王族や貴族専用の図書館だけでなく街には平民向けの図書館もあるようだが、平民向けに至っては娯楽本が多くを占める。


 だからフェイからもらった絵本も、子供向けの数ページの薄いものとはいえ裕福層の商人レベル以上でないと個人が手にすることはできないはずだ。

 フェイがどのくらいの家門の騎士かは知らないが、俺は相当貴重なものを譲られたに違いない。


 そこまでわかっていて俺はうかつにもフェイの前で、例のごとく俺の特別製の不思議な文具、──手帳とペン──、を見せてしまった。


 それは、前世の洋紙に似た紙で綴られた書き込みページが減らない手帳とインクの減らないボールペンだ。

 俺の中で基準日にしようと、フェイから教えてもらった「普通の世界」の今日の年月日を忘れないように書き留めることに気が急いてしまったのだ。


「へぇ、インクのいらないペンとはねぇ…。

 それにこのツルツル滑らかな紙はとんでもなく書き心地が良さそうだね。」

 とフェイがぽそりと言った。


(──── しまった!)


 俺の荷物はこの世界に似つかわしくない有能過ぎる持ち物が多い。「普通の世界」に戻ったらこの辺りは秘匿しなければ俺の身が危なくなること必須だ。


 俺はぎくりとしてフェイに、

「あ…れ?、ごめん、申し訳ないけどこの文具についても他の人に内緒に…。」


 最近はすっかり自分の非常識な超便利な道具に慣れ親しみ過ぎてその特異性》を失念していた俺は、うっかり見せびらかす形となってしまった。


「あぁ、もちろん口外しないよ。

 …これで『夢路』dreamwalkのことを伝えてなかったこと、許してくれる?」

 と、ニンマリと笑った。


 俺は溜め息をつきながら、

「…あぁ、わかったよ。

 俺の持ち物ってちょっとおかしいくらい便利なものが多くて、一人で生活していたからすっかりこれが普通になっちゃってさ…。」


 記憶を失ってしまってから前世日本人の記憶が全面に出てくることが多くなったため、なおさら元の世界に近いこれらの道具に違和感を感じなくなったのも敗因だな。


「確かに少年は秘密が多そうだね。

 どうして一人で数か月もの間、こんな砂漠で生き延びたんだろうと思っていたけど、ちょっと納得したような気がするよ。」


 フェイがニヤリと笑いながら、それでもこれ以上突っ込まない程度に礼儀をわきまえてくれた。


「うん、そうなんだ。

 でも俺だって、フェイ達と別れてからそれなりに努力して体を鍛えるように頑張ったんだよ?」

 俺は少し口を尖らせてちょっと抗議してみた。


「わかってるって。きみのその筋肉の付き方を見れば、ちゃんと体を使っていることもわかるよ。」


 うん、やっぱりフェイってすごくいいやつ…失礼、いい女性ひとだな。


 ◇


 本の読み方を教えてもらったり、色々と世間話情報提供をしてもらっていたら、あっという間に2時間経ったようだ。

 ちなみにここでは時計は役に立たないから、朝晩以外の細かい時間感覚は体感頼りだ。


 そろそろ彼女も元の世界に戻るのかなと思ったが、突然、真顔で相談を持ちかけられた。

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