1章 砂漠編

第7話 Lost Identity

本編をまったりと再開します。(更新タイミングは不定。)

時系列的に言えば、これが一番最初の話となります。


──────────

 気づけば四つ這いになって胃の中のものを吐き出していた。


 頭の中で血管が破裂したかもしれないと思うほどの強烈な頭痛が、脳を串刺しにするように広がっていく。目の奥から脳全体がぐるぐると搔き乱され、あたかも自転が狂った波打つ大地に放置されたかのような、筆舌に尽くし難い眩暈に襲われる。

 察するに、三半規管の乱れによって平衡感覚が奪われているのだろうと思いながら、文字通り立っていることができずにまた地面に転げるように倒れこむ。


 眩暈により再び込みあがってくる吐き気を必死に抑えようとしたが、どうしても堪えることができない。

 顔を歪ませながら再び胸に手を当てると同時に砂地に向かって吐いてしまった。もう苦い胃液しか出せるものはない。


 足元に広がる自分の嘔吐物の臭いにむせ返りつつ、なんとか辛うじて立ち上がる。

 そしてようやく、転げ回っている地面が馴染みのない砂地であることに気が付いた。


 ◇


 ゆっくりと周囲を見回す。


 目の前に広がる風景は、果てしなく広がる石ころと流砂の無限の海だ。他に何もない。

 呆然として立ちすくむ俺の背なかを、間断なく吹き荒ぶ砂漠の風がひたすら叩きつけてくる。


(──── なぜ目の前に見知らぬ砂漠が広がっているんだ…?)


 頭痛と吐き気でクラクラな頭が、この非現実的な景色の受け入れを拒否する。

 しかし無情にも風に乗って顔に当たる細かい砂粒が、この風景が現実だと教えてくれる。

 三度目の吐き気が押し寄せてくる。


「…ここはどこだ?…というか、俺はどうやってここへ来たんだ?!」


 誰も答えてくれないのを承知で、掠れた声で問いかける。

 だが当然その答えを導いてくれるものは何もなく、砂地には、他人のものはもちろん俺自身の足跡すら見当たらない。


「!」


 何度目かわからない頭を叩きつけらるような激しい頭痛が頭の中を巡り始めるのを感じ、思わず顔をしかめる。

 こめかみに手を当ててその痛みを抑えようとする。


 口の中や喉に広がる不快感に耐えられず、思わず水を求める。

 だが無意識に手を伸ばして探したその先は、ずるりと下がっていくヒップバッグだった。


(──── ん?なんでバッグがずり落ちるんだ?)


 バッグだけではない。

 足元のバッグを取ろうと前屈みになると、今度はずるりと服が脱げて、俺は自分自身の服の中に埋没してしまった。


 2L?、いや3L以上なのか?いずれにしても、どう見ても俺よりデカ過ぎる。

 俺が意識を失っている間に誰かが適当な服を見繕って、勝手に俺を着替えさせたのだろうか。


 見慣れた素材のシャツやベストは、そのいずれも肩が合わずに完全にずり落ちている。

 スカートと勘違いするほどぶかぶかのズボンは辛うじてサスペンダーでぶら下がっているだけだ。

 靴に至っては大きすぎてもはやスリッパにしか見えない。


 ──── いや違うな、服を着替えさせられたわけではない。この手触りに馴染みがある。これは俺の服に違いない。


 ということは、まさか…。

 俺は恐る恐る自分の手を見つめ、唖然とする。


「なんじゃこりゃ~??!」


 驚愕に満ちた甲高い子供の声があたりに響き渡る。

 そう、この俺の手は、どう見ても子供の手だ。

 そして砂漠に響き渡った俺の声は、驚きのあまり声が裏返ったと言い訳するには高すぎる完全なボーイソプラノ子供の声だ。

 一縷の望みをかけて自分の顔や体をペタペタ触ってみる。

 残念なほど期待を裏切らない、すべすべで柔らかいお子様ボディだ…。


 信じられないが、全てが俺が子供だということを指し示している。

 だが断じて俺はこんなに小さな子供ではないはずだ。心ではそう確信しているのに、なぜか自分の年齢が思い出せない。


 …というか、ちょっと待て。そもそも俺は誰なんだろう?

 まさかとは思うが、──俺は自分の名前も年齢も、当然のように住んでいるところも思い出せないぞ?


 なぜか砂漠、なぜか幼児退行。

 これだけでも充分パニックになる要因なのに、さらに、いわゆる自分自身を形成するアイデンティティの確立すらできない、つまり記憶喪失だというのか?!!

 だが本当の年齢はわからなくても子供返りしているってことくらいはわかる。

 なぜならすべての感覚が違和感ありまくりだからだ。


 見知らぬ場所で自分自身が誰であるかもわからない心細さに、思わず自分の二の腕で身を抱きしめながら身震いする…。


 ◇


 砂漠に取り残されたあまりのショックに立ちすくんでいたところ、突如として脳内に自分以外の誰かの声が響き渡った。


『やあ!5歳を迎えたきみに魔法スキルをプレゼントするよ、…って?

 あれれぇ~??、きみ、なんでそんなにかわいらしい子供の姿でぼくの前にいるのぉ??

 …って、ちょっと待って、これはどういうことなのぉ???』

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