1-14 皇妃選定の理由

「どうして、私なのですか?」


 言いたいことがあるなら聴こうという窓辺のシグルスを、アイリーンはめつけるように真っ直ぐに見据えた。


 ほんの二、三日だったが、彼とは――ジークフリートを名乗っていた騎士とは――それなりの時間を過ごしていた。相手が重ねる問いに答えるかたちで、いろいろな話をしたりもした。


 けれども、アイリーンと時を過ごしたことによって、シグルスが自分を皇妃に決めたのだとは、アイリーンにはどうしても思えなかった。


 やってきた四人の辺境伯令嬢のうち、やはり、自分が最もシグルスの皇妃には似つかわしくないという思いは強い。


「おまえが一番、俺に似あわない女だったからだな」


 案の定、シグルスは、まるでアイリーンの思考を読んだかのように言った。アイリーンがそちらを見ると、相手は、に、と、人を喰ったような笑みを浮かべている。


「なんせおまえは、まだ十二歳の少女だ。まあ、年の差のことはこの際おくとしても、二十五歳の新帝に皇妃候補として差し出すには、少々、幼すぎる。――そうだろう?」


「一番上の姉はすでに嫁いでおります。父の子のうち、陛下のもとへけるのが、末娘の私しかいなかったというだけのこと」


「ははっ、嘘だね。トレノエル辺境伯には三人の娘がいるが、うち二人はまだ未婚だ。おまえのすぐ上の姉はまだ家にいるだろう? たしか歳は十七」


 シグルスはこちらの家族構成などとっくに把握済みのようだ。アイリーンは、ぐ、と、言葉に詰まった。


「二番目の姉には、すでに婚約者がおります」


 事実ではあったが、それはまるで苦し紛れの言い訳のように響いた。


 実際、それはシグルスにはこじつけた理由として聞こえたようだ。アイリーンの言葉を、はっ、と、鼻で笑いとばした。


「そんなもの、解消させれば済む話だ。うまくすれば、娘が皇妃なのだぞ? 皇帝の義理の父になれるかもしれない、めったとない機会だ。本来なら、決まっていた婚約など破棄させてでも、二番目の娘を寄越してくるだろうさ。国境の獅子と呼ばれる男なら、娘の婚約破棄ぐらい平気でやる。それが領地にとって得になると判断すれば、な。――そうは思わないか?」


「お父様は……婚約者を慕っておられる姉上のお気持ちを、おもんぱかられたのです」


「どこまでも現実主義者の、あの男がか? まさか! 天地がひっくり返ってもないだろう」


 あははは、と、相手は無遠慮に哄笑こうしょうした。


 それから、ひた、と、アイリーンを見る。つややかでありながら底をうかがわせない黒曜石の眸に見据えられ、今度こそ、アイリーンは何も言えなくなってしまった。


「さて、ここで問題だ。なぜ国境の獅子、トレノエル辺境伯は、十二歳の小娘を俺のもとへ寄越したのか」


 シグルスの眸に、どこか悪戯っぽい光が宿った。


「とりあえず、今回皇宮へとやってきた四人の令嬢たちを比べてみようか。言うまでもないことだが、いずれも辺境伯家の娘、家格は同じだ。同じような淑女教育も受けてきているだろう。俺の地元のナグワーンとの距離でいえば、近くを固めることを重視するか、遠くと結ぶことを考えるかというので多少考えるべきことはあるが……これはまあ、どちらも重要といえば重要だな。――さあ、この条件下で、四人のうちの誰が、最も俺の皇妃にふさわしいだろうか。おまえなら、誰を選ぶ? 賢い、アイリーンお嬢様」


「……わかりません。いまのままでは、決め手に欠けます」


「そうだな。――では、逆に、ひとり候補から落とすとしたら?」


 シグルスは、おもしろがるような表情で、アイリーンをのぞきこんだ。


 アイリーンは、ちら、と、眉を寄せる。


「私です」


 即答した。


「なぜ?」


 相手は目を細めて問いを重ねる。なんだかまた、試験でも受けさせられているかのような気分だった。


「年齢がそぐわないからです。私の年齢としでは、すぐにお世継ぎというのは望みにくいでしょう……そのうえで、どうしても北部と結ぶ必要を陛下がお感じになるなら、北東部、フォルディア辺境伯令嬢を選べばすみますから」


「うん。俺もそう思う。十人に訊ねたら、まあ、九人はそう言うだろうな。――だから、おまえ」


「そこがわかりません……陛下」


「トレノエルがわざわざ、十中八九は選ばれないような娘を送ってきた意図は何かという話さ。俺が読んだ、あの男の腹は、こうだ。――この先の政変の可能性を考えれば、いま立ったばかりでまだ権威薄弱な皇帝との間に親密な縁が出来てしまうのは、困りものだ。この皇帝は、いつ、皇位からわれるか、わかったものではないのだからな。ならば、自家からこの皇帝に添う皇妃は出したくない。選ばれるはずのない娘を送っておこう……ってな。つまり、トレノエルは、いまは俺と結びたくない。そういう腹が、おまえを寄越してきたことに、透けて見える」


「そんなことは……」


「したたかな男だからな、国境の獅子は。隣領には帝位を望むベイワーン公爵がいる。そのことを思えば、いまは中立でいたいというのも、十分わかる。どちらにつくのが自領にとって得か、もうしばらく、情勢を見極めたいんだろう」


「っ、あなたさまは、そんな父の思惑がわかっていながら……私を妻になさるというのですか」


「ん? 悪いか?」


「――……っ、意地悪、です……!」


 アイリーンが可憐なくちびるを、む、と、引き結ぶと、シグルスは刹那、きょとんとした。


 ついで、あはは、と、声を上げて笑う。


「意地悪ときたか! それは……予想していなかった言葉だな」


 くつくつ、と、名残のように喉を鳴らした。


「さて、そろそろ納得がいったかな、お嬢ちゃん。だから俺の皇妃は、おまえってわけだ」


「私は……」


「悪いがおまえをトレノエル領に返すわけにはいかない。このまま皇宮ここにとどまって、俺と結婚してもらうよ。おまえは人質だ、アイリーン。皇妃とは名ばかりの人質さ。おまえを妻にすることで、俺は、国境の獅子にくびきをつけたい。いまトレノエルに、ベイワーン側につかれては困るんだ。――とりあえず、俺の政権が落ち着くまででいい。おまえはおとなしく皇妃という名の人質をやってくれ」


 アイリーンは言葉に詰まる。


 相手は、ふ、と、口許をゆるめた。


「ああ、そんな顔するなって。可愛いのが台無しじゃないか。――安心するといい、とりあえず俺の政権が安定するまでの間だからさ。もう大丈夫だとなったら、離婚にだって応じる。だがそれまでは、おまえには皇妃として、俺の傍に立ってもらわなければならない。嫌でも、な」


 シグルスは、に、と、人の悪い笑みを見せる。アイリーンは、きゅ、と、唇をかみしめた。


 なんだかよくわからないが、すべて、相手のてのひらの上でいいように踊らされているような気がして、それがすこし口惜くやしかった。眉をひそめ、エメラルドの眸で、シグルスを睨み据える。


 余裕の笑みを絶やさぬ相手に、せめて一矢むくいてやりたい、と、そんな気分だった。


「陛下」


「ん?」


「陛下が私を皇妃になさるというなら……こちらにも、ひとつ、条件があります」


「ほう。この状況で俺に条件をつきつけてくるとは、なかなか肝が据わっている」


 シグルスは気分を害したふうもなく、面白がるような表情を浮かべていた。それがまた、アイリーンの癪に障る。


「なんだ? 言ってみろ」


 促され、アイリーンは眼差しを持ち上げ、シグルスを真っ直ぐに見据えた。


「私は……浮気はゆるしません、陛下」


 言ってやると、相手は一瞬拍子抜けしたように、きょとん、と、した。

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