1-11 ジュエリーシュガープラムの実
「ジュエリーシュガープラムだわ!」
木を見上げたアイリーンは、エメラルドの眸をきらきらと輝かせながらそう言った。
レイチェルの言う木は、庭園の外れにあった。もう
「あら、よくわかるわね」
レイチェルが感心する。
「プラムといっても、ベリーの仲間なんです。乾燥に強くて、
(きっと勝手に取ってはだめよね……ちょっとだけ残念)
ここは皇帝の暮らす宮殿であり、だから、その庭園にある木から勝手に実を取ることはできない。アイリーンは
「アイリーンさま、なんでもよくご存知ですね。まだまだお若くていらっしゃるのに」
レイチェル付きの騎士であるレオンハルトが、そんなふうにアイリーンを
礼儀を知る騎士である彼は、子供のアイリーンであっても――少なくとも、表面上あからさまには――子供扱いをしたりはしないらしい。こちらを
「ありがとうございます。褒めていただけて、光栄です」
にこ、と、笑うと、レオンハルトもかすかに口許をゆるめた。
「この実って、食べられるのね?」
レイチェルが訊ねてくる。
「ええ。熟した実は、甘くておいしいです」
「へえ、そうなの」
再び感心したように言いながら、ランス辺境伯令嬢が実をつけている枝に手を伸ばしたときだった。
「レイチェルお嬢様!」
鋭い声で彼女を止めたのはレオンハルトだ。
「なによ?」
「いけません。陛下の庭園の木ですから、許可なく勝手に
レオンハルトは真面目な声で言った。
アイリーンは、ちら、と、レイチェルをうかがう。固いことを、と、文句を言うかとおもったが、陛下という言葉が効いたのか、彼女はおとなしく引き下がった。
「ああ、そうね。そうよね……わたくしったら、うっかりしてたわ。ごめんなさい」
素直に詫びるレイチェルの姿を見ながら、アイリーンは手に持っていたピンクのちいさな薔薇を、思わず、背に隠すようにしていた。
ちら、と、ジークフリートを見上げる。彼はアイリーンが
(さっき、“陛下の庭園”の花を、私たちは摘んでしまったんだわ……それって大丈夫だったのかしら?)
憂いを込めて相手を見つめると、ジークフリートはつやめく黒曜石の眸をわずかに眇めて、くちびるの前に人差し指を立てた。
(もうっ……このひと、ほんとに猫かぶりなんだわ)
アイリーンはそんなことを思って苦笑した。
(でも、ふたりのひみつって、なんだかすてきね)
自分もまた、ジークフリートのくれた薔薇を、そっと髪に挿しておくことにした。
「捥いじゃだめなものをただ眺めてたって、たいくつなだけだわ。ね、アイリーン、もう行きましょ」
レイチェルは再びアイリーンの手をやや強引に引いてくる。
「えっと、あの……」
アイリーンが戸惑って声をあげかけたときだ。
「ねえ、アイリーン」
レイチェルが、アイリーンの耳許に、こそ、と、話しかけてきた。
「レイチェルさま……?」
「アイリーン、あたしね、どうしても陛下のいらっしゃるという
「え? でも……」
朝堂殿は
レイチェルも、それが禁じられていることだとわかって言っているのだろう。だからこそ声をひそめていたし、ちら、ちら、と、自分付きの騎士のレオンハルトのほうをうかがい見たりしていた。
「どうしても陛下に会いに行きたいのよ。ね、協力して? レオンハルトがずっと見張ってるでしょ? だから、彼の目をかいくぐるのを、あなたに手伝ってほしいの。一瞬でいいから、おとりになって、彼の注意を引きつけてよ」
レイチェルからの依頼に、アイリーンはエメラルドの眸でまじまじと相手を見詰めて黙り込んだ。
「お願いよ。ね、いいでしょ?」
焦げ茶色の大きな眸が、じっとアイリーンを見詰めてくる。その眼差しは、真摯だ。けれどもアイリーンは、きゅ、と、くちびるを引き結んだ。
すぅ、と、息を吸う。
「だめです、レイチェルさま! いくら陛下をお慕いしているからといって、こっそり朝堂殿へ行くなんて、ご迷惑になるかもしれませんわ!」
あえて、やや声を張って、ひと息に言う。
レイチェルが慌てたようにこちらの口をてのひらで覆ってふさごうとしたが、もう遅かった。
「しーっ、しずかにしてちょうだい……ちょっとあなた、なんてことしてくれたのよ」
レイチェルはひそめた声でアイリーンを咎め、眉根を跳ね上げる。
けれども、そんな彼女がそろりと後ろをうかがった時には、すでにレオンハルトがこちらとの距離を詰めていた。ひた、と、影のように控えつつも、油断なくレイチェルのことを見張っている。
ランス辺境伯令嬢は不満そうに眉根を寄せていたが、アイリーンは、ほ、と、息をついた。
顔を上げると、すこし離れたところ、まだジュエリーシュガープラムの木の下にいるジークフリートが、おもしろがるような眼差しでこちらを見ている。
「勝手をなされては、こちらもお嬢様をお守りしきれません。どうぞ賢明なご判断を」
レオンハルトがレイチェルをそう
最後にレオンハルトが、ちら、と、ジークフリートのほうを振り返る。
なんの意図でか軽く目配せをするのに、ジークフリートがひとつうなずいていた。
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