1-6 護衛騎士ジークフリート

「皆様方には、たいへん申し訳ございません。陛下には、もう二、三日、手が放せそうにない、と……謁見の件は、いましばしお待ちくださいますよう、お願いいたします」


 明くる朝、アイリーンたちは昨日と同じ応接間に集められた。そこで侍従じじゅうの青年から聞かされたのが、そんな言葉である。


「なにそれ、どういうことよっ!?」


 今日もやはりいきり立つように言ったのはレイチェルである。美しく整えられた眉を吊り上げて、いまにも青年侍従に掴みかからんばかりの様子だった。


 オリヴィアは昨日同様おっとりと微笑んではいるものの、あらまあ、とでも言いたげに眉尻を下げた、いかにもな困惑顔である。ソフィアはソフィアで、ふう、と、あからさまに溜め息をついていた。


 アイリーンもまた、この事態に、戸惑わざるをえなかった。


 そもそも、皇妃候補として、アイリーンたちを皇宮へ集めたのは向こうである。それなのに、いざやって来てみれば、会えない、と、言う。


(どういうことなのかしら……物語だと、こういうときは、なにか裏でとんでもないことが起きていたりするものよね。陛下には、不測の事態でもあったのかしら?)


「陛下はご政務でお忙しく」


 しかし、侍従の青年が口にするのは、昨日と同じような理由ばかりだ。


「皇妃選びよりも大切なご政務って何よ? 正妻候補の顔を見に来ようともしないだなんて、信じられないっ!」


 聞きようによっては皇帝に対してずいぶん不敬ではないかというレイチェルの言葉には、誰も、積極的にはうべなわなかった。が、自分で呼んだのだから顔くらい見せてもいいのではないか、とは、誰しもが思ったかもしれない。


(まあ、皇妃選びよりも大事なご公務は、実際、たくさんあるんでしょうけれど……)


 アイリーンは、そ、と、溜め息をついた。


 きっと新皇帝の目の前には、喫緊に取り組むべき課題が、それこそ山のように積みあがっているのに違いない。皇帝がアイリーンたちと会う時間が取れないというなら、それはそれで仕方がないことなのかもしれなかった。


 が、それにしても、なんとなく違和感がぬぐえない。


(なにか……特別な事情でもあるのかしら)


 アイリーンは黙ったまま、侍従の青年の顔をじっと見上げた。アイリーンの眼差しに気づくと、彼は深いとび色のひとみでちらりとこちらを見て、それから、にこりとやわらかく微笑んでみせた。これは、アイリーンが子供だから、とりあえず笑顔で安心させてくれようとしたのだろうか。


 やがて青年は、あらためてすっと背筋を伸ばし、姿勢を整えた。


「申し訳ございませんが、ご寛恕かんじょいただき、いましばしお待ちくださいませ。――皆様には、陛下の命にて、一名ずつ護衛騎士をつけさせていただきます」


「どういうことですか?」


 ソフィアが訊ねた。


「皆様に窮屈な思いをさせぬようにという、陛下のご配慮にございます。陛下とのお目通りまでの間、その騎士を伴ってであれば、宮殿内をご自由に散策していただいてかまいません。庭園も入っていただいてかまわないとおおせでございました」


 部屋にばかりいては退屈だろう、と、そういう気遣いからのことらしい。


「ただ、妃嬪の住まいにあたる北宮ほくぐうはただいま閉鎖しておりますのと、東宮には、先帝のお母上、皇太后さまがまだ残っておられますので、ご遠慮を。西宮は祭祀の場、庭園より南の朝堂ちょうどう殿でん朝政まつりごとの場となりますので、いずれも立ち入らぬようお願いいたします。――それでは、失礼いたします」


 青年はそう言い置いて、応接室から去っていった。


 代わりのように部屋に入ってきたのは、四人の青年騎士たちである。


 そのうちのひとりの姿に、アイリーンは、あ、と、思わず声をあげた。


「昨日の……」


 蜂蜜はちみつ色の肌、ほのおのような明るい赤髪、そして黒曜石のひとみ。南部の出らしい印象的なその姿は、まちがいなく、昨日アイリーンが砂糖を託したあの衛士えいしだった。


 あちらもアイリーンの姿を認めると、ふ、と、口許をやわらかくゆるめた。


 そうかと思ううちに、そのすらりとした長身が、つかつかとアイリーンのほうへと近づいてくる。こちらのすぐ前までやってくると、相手はすっとかがみ、片膝を立てるかたちで、アイリーンにひざまずいてみせた。


「これよりお嬢様の護衛を務めさせていただきます、ジークフリートと申します。身を呈してお嬢様をお守りいたす所存にて……どうぞよろしくお願いいたします」


 こちらの手をすっと取ると、指の先に、うやうやしく口づける。つやめく黒曜石の眸に見上げられると、騎士に誓いを捧げられた経験などないアイリーンは、なんだか、どきどきしてしまった。


(なにこれ……まるで、おなしの中の出来事みたい)


 爪の先に感覚などないはずなのに、くちびるが触れたところが、くすぐったいような熱いような、へんな感じだ。


「えっと……ジークフリートさま。ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 

 ジークフリートと名乗った相手の手が離れると、あたふたと慌てながら、ぺこりと頭を下げた。


「ああ、どうぞ、ただジークとでもお呼びを……アイリーンお嬢様」


 ジークフリートは言って、にこ、と、人好きのする笑顔をみせた。

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