#31

 美咲と一緒に夕食の準備をキッチンで手伝っていると、スマートフォンに連絡が入る。華岡からだった。


『キングのスケジュールを調整しました。明日の夕方に長野から新幹線で大宮まで来ます。とんぼ帰りですぐにスタジオへ戻るので、面会の時間は一時間程度になります』


「ありがとう、一時間もあれば十分だ。場所と時間はそっちに任せる」


『承知しました。では場所を伝えますのでメモをご用意下さい』


 華岡から伝えられた店名と住所、電話番号をメモに記す。飲食店なのだろうか、店名は聞き慣れない洒落たネーミングだった。


『では明日の午後六時、現地でお待ちしています』


 華岡がこれ以上俺と関わり合いを持ちたくないのは明らかで、事務的に用件だけをさっと伝えて通話は途絶えた。


 二人で準備した暖かい夕食を囲みながら、美咲は「誰かと会うの?」と聞いてくる。


「コーチンのギターの件でね。明日で決着を付けるよ。夕食はいらないかも」


「そう……ところで誰に会うの?」


「このあいだのカラオケの女性だよ」


「ふーん、浮気なんかしたら許さないから」


 冷たい言葉を発した美咲の目は笑ってはいない。もっと洒落た嘘でもついておくべきだった、と後悔する。


 キングに会う、とは美咲には決して言うまい。そして美咲から何かを聞くことも、決してしない。真実は明日、キングの口から聞かせてもらえば、それでいい。 


 その日の夜、俺は全く寝付けずにいた。天井を見つめながら、遠足の前日の小学生かよ、と自虐する。隣からは美咲の静かな寝息が耳に届けられている。


 デビューから突然の解散まで、追っかけ続けたバンドのボーカリストとの対面。追い求めた座標はギタリストのコーチンだが、そのすぐ横でマイクを掴んで歌っていたキングとの対面を想像して、ひどく興奮させられている自分がいる。


 あのギターに関して聞きたいことは山ほどある。だが、あの深海魚みたいな冷たい目を前にして、上手く喋れる自信は全くなかった。




 翌日。


 大宮駅の西口、飲食店が立ち並ぶ雑多な商店街は人で賑わう。ハードケースを片手に人の波をぬって歩くのには少々難儀な夕刻の時間帯。店の住所を予め入力しておいたマップアプリを頼りに、歩きスマホで商店街を進む。


 小うるさい客引きやビラ配りの類がへらへらと俺に近付いてくるが、この程よい緊張感を邪魔する奴らは全て無視と決めて歩みを進める。


 スマートフォンから『目的地付近です』とアナウンスがあった場所には、白い雑居ビルがあった。入居している店を表す看板に目を凝らすと「SHAMBARA」と目的の店名が見える。ビルの一階、少し奥にある狭いエレベータに乗り込むと、行先の階を示すボタンの横には店名が洒落たレタリングとともに並んでいる。目的の店は三階にあった。


 揺れを感じない躾の良いエレベーターが三階に到着してドアが開くと、そこはもう店の入口となっていて、薄暗い照明の中、酒瓶が並ぶバーカウンターが店の奥にひっそりと佇む。その手前には高級なソファーが整然と並んでいる。


 蝶ネクタイをした品の良い店員が奥から現れて、俺の容姿を一瞥すると「安田様でいらっしゃいますね、こちらへどうぞ」と別室へと案内をする。「ご予約のお客様がお待ちです」


 約束の時間の十分前に到着したのに、先客? ロックスターは遅刻の常習犯で、遅れてやって来るのが定石じゃないのか? 勝手な先入観に浸る間もなく『VIP』と表示のある部屋に通されると、アンティーク調の雰囲気で統一された部屋のど真ん中に、サングラスをかけたキングが足を組んでソファに座っていた。


 キングはすっくと立ち上がり「こちらへどうぞ」と俺を対面のソファに座るように促す。そのまま部屋のドアを開けて店員を呼び「ワインを二つ、それとつまみを」と注文をした。


 俺は華岡美智に「キングと直接会いたい」と伝えたが、「二人きりで」とは言ってない。キングの鞄持ちとして、華岡かほかの誰かが同席すると予想していたが、まさかの二人きりの状況に俺はびびり倒される。

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