#29
電話越しの俺の様子から、これは心配無用、と感じ取った中道君は、俺がメンテナンスに預けていた数本のギターの納期予定を伝えて通話を切った。彼から過去のキングに纏わる話を聞けたのは思わぬ収穫だった。
そういえば、美咲も以前「キングの本性はクソ真面目な好青年」だと言った。美咲はその噂をどこから仕入れたのだろう? キングのファンだったら、知ってて当たり前のことなのだろうか。
美咲が帰ってくる気配を感じ取れず、不安な気持ちがぐっと押し寄せてくる。美咲は俺の氏名が晒されたことに気付いているのか、気になるところだ。
MISAKINGKOCHINE――
気付かぬフリはもはや難しく、気付いている自分が真実を明かそうとするのを必死に堪えている。間違えて送られて来たギター、そのギターを「買い」だと目利きしたのは美咲だった。懐かし気にコーチンのギターを手に取り眺める美咲の眼差しが忘れられないでいる。
直接本人に聞けばいいものを。今の関係を壊したくない自分が、必死に制していて馬鹿らしい。
こうしてリビングのソファに座り、ゆっくりと時が動いてくれればそれでいい、そんなふうに思うときがある。それでは何も解決しないというのは、とっくに分かっているというのに。
頭を三度横に振って、思念を取り除く。こうしていても何も始まらない。行動を起こさなくては。
ソファからさっと立ち上がり、リビングを出る。二階に上がり、ギターを保管している部屋に入る。
ハードケースからコーチンのギターを取り出して、部屋の隅にある簡易的な撮影ブースに持ち込む。照明の加減を調整しつつ、ギターの表面の埃をウエスで取り払う。いつもの手慣れた作業で一眼レフカメラを準備して、このギターが最も美しく見えるアングルを探す。構図を定めたら、息を止めて一気に数回シャッターを切った。
普段ならボディの裏面と、ネックの状態や金属パーツの状態も画像に収めるが、界隈で超有名なこのギターにそれらは必要ないだろう。
一緒に送られて来たハードケースを単体で撮影したのちに、コーチンのギターを再びケースに収納する。押入れにストックしてある小さなエアパッキンを数枚取り出して、ケースとギターの隙間の部分に詰め込んでいく。この作業が甘いと運送時の振動や衝撃でギターがダメージを喰らってしまうので、慎重に作業を進めなくてはならない。
エアパッキンで満たされたケースにギターが深く埋まったのを確認して、ケースの上蓋を掴む。「納棺みたいだな」とひとり呟き、言葉が壁に吸収される前にさっと蓋を閉めて、ケースに二箇所のロックを施す。俺がこの蓋を開けることは、もう二度とあるまい。
ホームセンターで購入した大き目のエアパッキンでハードケース周辺を二重に覆い尽くし、透明なガムテープでがっちりと固定をする。綺麗に梱包されたギターは、この家にやって来た頃と何ら変わりない姿を見せている。今にして思えば、こいつの出品者も見事な仕事ぶりだった。送られて来たギターの梱包状態を見て、手練れだな、と感じたのをふと思い出した。
梱包されたギターを慎重に抱えて部屋を出る。階段を下り、玄関横にこいつを降ろして、リビングのソファで一息つく。ここまでの所要時間は二十分程度、我ながら今日も手際が良かった。
ソファでスマートフォンを片手に、フリーマーケットアプリの中から適当に一つを選んでインストールをし、アカウントを新規に取得して出品の準備に取りかかる。
撮影をしたギターの画像をカメラからスマートフォンに転送して、数枚をアプリにアップロードをする。商品の説明欄には「超有名ギター」とだけ記しておいた。無用な値引き交渉や、購入後のキャンセルはお断りの注意書きを記して下書きが完成した。
出品物のタイトルは「これが本物! コーチンのギター」として、即決価格を一万円と設定する。
音楽事務所の奴らへの逆襲の準備は、これで全て整った。
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