#28
自宅に帰ると室内は薄暗く、美咲は何処かへ出掛けていて不在だった。駅のホームで『帰る』と打ったLINEのメッセージに既読が付いていないことに気が付く。
代わりに新規メッセージの通知があった。工房AKIRAの中道君からだった。
『大丈夫ですか』とだけ書かれた一文に、彼の表裏のない真摯さが伝わってくる。迷わずにそのまま通話を試みると、
『名前が大っぴらに出ちゃっていたので……公表して大丈夫なんですか?』と電話越しに彼の心配顔が目に浮かんでくる。
「勝手に公表されちまったよ。大丈夫じゃないけど、もう白を切り通すしかないな」
中道君に音楽事務所との一連の経緯を全て話すと、他人事だというのに、俺の氏名が晒されたことに酷く憤慨している様子。どんだけピュアなんだよ、と俺の溜飲も下がる思いだ。
そういえば、ギターに記されたあのアルファベットの文字を見つけられたのは、中道君からのギターに関する指摘がきっかけだった。
「あのギターだけど、俺も少しだけバラしてみたんだ。確かにプロが扱う機材としては、作りが雑だったよ」
ピックアップキャビティに書かれていたアルファベット文字について言及すると、中道君はその文字の存在に気付いてはいなかった。そこにコーチンとキング、そして女性の名が記されていたことを伝えると、彼は少し興奮気味に話を切り出した。
『安田さん、あのコーチンのギターって、キングが作ったんじゃないかって、僕は思うんです』
「……キングが?」
『GTDギター製作学院には年に一度だけ、自由にギターはベースを製作できるイベントがあるんです。あのギターって、ちょうどプロとアマの中間ぐらいのレベルにあるから、その課程で作られたものだとしたら、合点がいきます』
「そっか、キングは君が通っていた専門学校の先輩だったな」
『キングはコーチンのためにギターを作ったんじゃないかなって。そうじゃなきゃ、わざわざそんな文字を残さないと思います。二人が出会ったのも、その頃だと言われているし。もちろん、これは僕の勝手な想像ですけど』
中道君の勝手な想像は、あながち外れではないだろう。ギターに懸賞金を掛けていたのは、おそらくキングだ。その理由が、過去に自分が作ったギターを取り戻すため、だったとしたら少々強引なやり口にも、奴らしさが伺える。
だが、この想像には少々の疑問が残る。
「キングは『入学早々に講師をぶん殴って、すぐに退学になった』って、前に聞いた気がするけど」
『それなんですけど……実はキングの都市伝説には真逆の話があるんです』
「真逆って?」
『札付きのワルだった、という話と、律儀で真面目なヤツだった、という話です。今のキングの見かけや態度からすると、ワルだったとしか思えないですけど』
「じゃあ、どちらかはガセネタなんだな」
『なんでこんなことになっているのかは、分かりませんが。キングがギターを作ったのだとすると「講師をぶん殴った」というのはガセネタだと思います』
その後も中道君はキングに纏わる噂話を電話口で披露してくれたが、どれも現在のキングからは想像もつかない話ばかりだった。
『付き合っていた女をバンドのメンバーに寝取られた、っていう話もあるんですけど……この寝取った相手って、ひょっとしたらコーチンなんじゃないですか』
「そうだとしたら……そんな奴のためにギターを作って渡すか?」
『たしかに……ちょっと辻褄が合わないですね』
コーチンとキングの出会いについては諸説が存在しているのを、俺は知っている。
家が近所の幼馴染、高校時代のバイト仲間、敵対していたヤンキー集団のリーダー同士、音楽雑誌に載せたバンドメンバー募集の告知――。
本人たちが出会いについて多くを語ろうとしないから、困った雑誌のインタビュアーが勝手に話を捏造でもしたのだろう。今ではどれが真実なのか、皆目見当もつかない。中道君が語った噂話も、そのうちのひとつに過ぎないのかもしれないが、あのギターというフィルターを通すと、ぼやけていた輪郭が少しだけ浮かび上がるのを覚える。
キングがギターを作る。
コーチンにギターを渡す。
コーチンがギターを弾く。
この流れがあのギターに纏わる真実だとすれば、ここ数週間の俺の晴れることのない靄を取り除けるかもしれず、縋りつきたい気持ちでいっぱいだ。だが、あのギターを長きに渡り使っていたのは、コーチンだ。その長年の行為に値するだけの価値が、はたしてあのギターにあったというのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます