#25

 夕刻に自宅に戻ると「ナイフで刺されずに済んだみたいね」と美咲が悪戯っぽく笑って出迎えてくれた。


「ナイフは出てこなかったけど、オカマが出てきたよ。あと、男だと思ったら女だった」


「なにそれ」


 今日の出来事を詳らかに話すと美咲は「女性と二人でカラオケルーム」の部分にクレームを入れてくる。


「疚しいことはなかったでしょうね」


「あるわけないだろ、すぐにオカマ野郎が入ってきたし」


「じゃあ、オカマが入ってこなかったら、何かあったってこと?」


 面倒だなと思いつつも、笑みを携えながら尋問してくる美咲と幸せなひと時を過ごす。


 厄介ごとだったギターと懸賞金の件は、今日で話が少しだけ前進した感がある。コーチンのギターが俺の手元にやって来た経緯は未だに謎が多いが、あのギターを探している人物――キングの元へ帰っていくのなら、もう何も口を出す必要もない。


 ギターと引き換えに三百万円が手に入るのなら、ここ一週間ほどの俺の苦悩なんて安いもんだ。そして美咲のバイヤーとしての千里眼には頭が上がらない。これからもずっと、俺のパートナーでいて欲しいと願うばかりだ。




 翌日、いつもの時刻に出勤をして定例的な業務をこなしながら、稚拙な妄想を繰り広げる。懸賞金の三百万円を手にしたら、それを全て投資につぎ込んで手持ちの資金を増やし、いつか地方の安い物件に店を構える。美咲のバイヤーとしての腕を信頼すれば、今の仕事を辞めてギターの中古販売を本業とするのもありなんじゃないだろうか。


 雇われの身から独立して一国一城の主になるのは、俺の昔からの夢だった。


 不要になったギターを安く買い入れてメンテナンスを施し、調律という名の価値を価格に転嫁して新しいユーザーの元へ送り出す。そこにどれだけの市場やニーズがあるのかは分からないが、独立するのなら、今の俺にはそれしか職が思い浮かばないのが悲しい実情だ。


 保守的に考えれば、安いなりにも賃金が保証されている今のサラリーマンを本業としてサイドビジネスを続けるのが、リスクが少ない最も賢明な選択だ。手堅く安定を維持するか、リスクを承知の上で新境地へ飛び出すか、優柔不断な俺に果たしてそんな超重要な決断ができるのだろうか。


 美咲は? 美咲に俺の夢を伝えたら、どんな反応を示すのだろう?


 そういえば、美咲は俺と一緒になるつもりはあるのだろうか。今のままの関係が今後もずっと続くなんて、俺の思いあがりかもしれない。


 一緒に暮らし始めてからずっと結論を先送りにしていた俺と美咲の関係。あのギターをきっかけに互いの気持ちを再確認する必要に駆られている。美咲が前に言った「呪い」がそうさせるのだとしたら、心ゆくまで呪われてみたい。

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