#19
空いた時間を見つけてはギターの情報提供専用ダイヤルに連絡を入れてみるが、なかなか相手と繋がる気配を見せないまま数日間が過ぎ去る。電話番号とダイヤル先の応答メッセージを空で言えるようになった週末の昼休み、何気なしに番号をコールすると、
『もしもし、こちらはコーチンの盗難ギター情報提供ダイヤルです』
と落ち着いた男の声が耳に届いた。全く期待をしない状況で不意に繋がった相手に、理不尽な苛立ちを覚え、何から話すべきかと考えを巡らせたまま数秒間が過ぎる。
いたずら紛いの無言電話には慣れているのだろうか、電話口の男は『こちらはコーチンの盗難ギター情報提供ダイヤルです』と再び落ち着いた口調で同じ台詞を発した。
「もしもし……コーチンのギターに関して情報を持っている」
ようやく絞り出すように、でも相手になめられぬよう、こちらも低いトーンで用件だけを簡潔に伝える。
『承知致しました。ではまず、お名前とご住所、お電話番号をお願い致します』
「それは困る。個人情報だから簡単には教えられない、匿名で頼む」
『承知致しました。では整理番号をお伝えしますので、メモをお取りください。あなたの整理番号は五百二十四番です』
「五百二十四番?」
思いがけない数字に、思わず声のトーンが一オクターブ上がる。だが、落ち着きを取り戻して、
「五百二十四って、情報を提供した奴が五百二十四人いる、っていうことなのか?」と問いただす。
『はい、おかげさまで多数の情報が寄せられておりまして、あなた様が受付順で申しますと五百二十四番目、ということになります」
どおりで電話が繋がらないわけだ、と一瞬納得するも、
「……悪いけど、その多くはきっとガセネタだぜ。レプリカ品も含めてそんなに多く、コーチンのギターが存在しているはずはない」といつもの悪い癖で相手に正論を翳す。そんなものは誰の利益にもならないというのに。
『おっしゃる通りでございます。現在、集まった情報の精査を行っている最中です。ご指摘の通り、その多くは間違った情報であると私どもは認識を致しております』
五百二十四件の情報のうち、いったい何件があのギターに関する本物の情報なのか、と気に掛かる。コーチンの元から盗まれて俺の手元に届くまでの間に、いったい何人があのギターを目にしたというのか。そして、アカウントを削除したあのギターの出品者は、はたして情報を寄せているのか。
「こちらの情報だが、俺の手元にコーチンのものと思われるギターがある」
『五百二十四番様はコーチンのギターを所有していらっしゃる、ということなのですね』
「本物かどうかは分からない、あくまで似ているものが手元にある、ということだ」
『似ているものがある……承知致しました』
電話口の男はメモを取っているらしい。男のペンが一瞬止まった、と感じる僅かな間が気にかかる。
「公開されているギターの画像と比較した限りでは、ボディの傷や木目の位置など特徴が似ている。だけど本物であるという確証はない、誰かが製作したレプリカ品かもしれない」
『なるほど、承知致しました』
男は俺が提供した情報を簡潔にまとめて、ファミレスの注文確認みたいに丁寧な言葉使いで一度読み上げた。聞き取り易い、よく通る声だった。
言うか言うまいか悩んだが「それと、もう一つ」と追加で男に情報を提供する。
「そのギターの特徴として、フロントピックアップの下に文字が書かれていた。シリアルナンバーみたいなものかもしれない」
間髪入れずに『どんな文字が書かれているのですか?』と男が喰いぎみに聞き返す。
「全てを教えることはできないが、一部にコーチンの名を示すアルファベットが含まれている」
『アルファベット……でございますね……』
男の会話のリズムが崩れたのを、俺は聞き逃さなかった。なるほど、あのアルファベットの文字はギターが本物である有力な証拠なのだ、と確信する。
『そのアルファベット文字を確認したいのですが、画像をメールでこちらに送っては頂けませんでしょうか?』
「アドレスを知られたくないので、こちらからメールは送れない」
『……そうでございますか。かなり確証が高い情報と思われるので、是非とも一度確認をさせて頂きたいのですが』
「何処かであなたに会うのはどうだ? そこで俺はあなたにその画像を見せる。あなたがそれを確認して本物だと思うのなら、そこから交渉を開始させるとしよう」
『交渉というのは懸賞金のことでございますね』
『そうだ、交渉が開始されたら俺の身分と連絡先を教える。それでいいだろ?』
『承知致しました。明日は土曜日ですが五百二十四番様のご都合が宜しければ、何処かでお会い致しましょう。ご希望の場所などはございますか?』
俺が普段通勤で利用する駅から少し離れた郊外の駅を、適当に指定をした。そこは一度も下車したことがない駅だったが問題はない、駅前に喫茶店ぐらいあるはずだ。待ち合わせの時刻は男に一任した。
『では五百二十四番様、明日の午後二時に改札口でお待ちしています』
「そうだ、あなたの特徴を教えてくれないか。それを知らないと俺たちは出会えないよ」
『そうでございますね。身長は百六十五センチほど、瘦せ型の体型です。黒いスーツを着て参ります』
「分かった、俺は黒い革のライダースジャケットを着て行くから、それを目印にしてくれ」
『承知致しました』
終始低姿勢のこの男は形式ばった謝辞を述べて、静かに電話を切った。
シリアルナンバーの件を伝えた際の男の反応で、俺は確かな手応えを感じ取っていた。
その日の夜、帰宅すると今日も美咲は暖かい夕食を準備して、俺を待っていてくれた。ギターの情報提供ダイヤルに繋がったことを伝えると「ふうん、そうなんだ」と美咲は素っ気ない。
「明日の昼に、相手と直接会って話をしてくるよ」
「会うんだ……気を付けてね」
「気を付けるって、何を?」
「いきなり強面の人が現れて『ブツをよこせ』って、ナイフを突き付けられるかも」
軽口を叩いた美咲の目は笑っていなかった。
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